幕間(届けられた記憶)

第39話守りたいもの(前編)

数多くの人間が、その周囲に集まっていた。

盛大に篝火かがりびがたかれ、まるで昼間の様に明るい場が作られている。

その中心にあるのが祭壇だった。

これだけの人が集まっているにもかかわらず、この場には余計な口を開くものは誰一人としていなかった。

篝火の音、風の音、木々のざわめき、星々の息吹。


厳かな雰囲気が、山の麓にある開けた場所一面に漂う。

それは、急ごしらえで作られたような祭壇を中心としたものだった。


十段程の階段を昇る高さに、やや大きめの舞台が作られている形の祭壇。

その中央には、大きめの簡易寝台が供えられていた。

そしてその横に、大きめの柱が一本だけ立っていた。


その柱に縛られている九郎。


痛々しい姿ながら、あの出血はすでに止まっているようだった。着せられている白い衣装死に装束に、全く汚れはない。

だが、すでに死んでいるかのように、その頭は力なく垂れ下がっている。しかし、かすかにまだ息があるようだった。


しかも時折、儀式を行う神官が九郎の様子を確認していた。それは、その時までは生きていることを証明するためかもしれない。


そして儀式が執り行われるこの場には、その神官以外にも人がいた。

入念にこの場を祓い清める神官と、九郎を処刑するための太刀を持つ検非違使けびいし

そして、そこには坂上雄達さかのうえのゆうたつ春澄透水はるすみとうすいの姿もあった。


その中に、誰にも気づかれずにいる黒猫もいた。


祭壇は、四方を何かの儀式的な置物が置かれ、何かをいぶすような煙が足元に充満している。だから、誰も気が付かない。まるで置物のようにじっとしている黒猫の事を。


「来たか。そろそろ、こちらの準備を整えよ」

北西の地を見ていた坂上雄達さかのうえのゆうたつが、周囲の人間に命令する。その視線の先には輿を担ぐ集団がいた。


地上にいる誰もが伏し拝む中、その一団が祭壇に向かって歩いていく。輿にかつがれているのは、純白の衣をまとった少女。


それは、この世のものとは思えないほどの美しさ。

しかも、凛とした花のよう。

そして、その顔はじっと東南の空を見つめていた。


その少女の見つめる先は、祭壇のはるか上。


そこには、東南の空から天空にまで伸びる尾をもつ星の姿があった。

その姿はまるで、天を割り地に災厄をまき散らすもののよう。

誰もが正視しない中、その少女の視線はそこに向けられている。


その間も、輿はゆっくりと階段を昇っていく。そして最上段についた輿は、そこで役目を終えていた。立ち上がり、ゆっくりと輿から降りる少女。


その少女の前に、坂上雄達さかのうえのゆうたつが進み出る。


「さあ、魂憑姫たまよりひめ。そなたが旅立つ場所はあそこだ。そなたを旅立たせた後、しっかりと兄を送ってやる」

凶星を指し示す雄達ゆうたつ。その顔を、きつくにらむ少女。

その視線を堂々と受け止め、雄達ゆうたつは悪びれる様子もなく告げていた。


「そなたが望む、九郎の助命。確かにそれを伝えはした。だが、九郎の罪はそれほど軽いものではない。鎮護国家の為には、そなたという神への供物と共に、悪鬼を屠る威光が必要なのだ。それに、九郎はそなたがいなくなれば生きてはおるまい。しかも、猫目の秘法とやらを使ったのであろう? それは輪廻の外のモノになるものだと聞いた。いや、鬼神化をあれだけ使ったのだ。すでに人外のものとなっておる。せめて人の世の役に立てるように、この場には生かしてあるのだ。猫目一族最後の生き残りとして、九郎には祭祀の役目も担ってもらう。もっとも、そこにいるだけだがな」


無表情の雄達ゆうたつを睨む少女。その前に、片手を失った春澄透水はるすみとうすいが割って入る。


「姫、そろそろ時刻となります。すでに、凶星はあの通りの姿を見せております。都では恐れおののくものが出始めておる様子。儀式は滞りなく済んでおります。残すところ、姫次第となりました」


少女の行き先を指し示すかのように、仰々しく簡易寝台に誘導する春澄透水はるすみとうすい。少女のいく先には確かに簡易寝台があるが、そのさらに先には凶星の姿があった。

ゆっくりと頷く少女は、その脇にある柱を悲しげに見上げる。


兄様あにさま……。どうか、生きてくださいまし……。魂憑たまよりの巫女が願い奉る――」

静かに誰にも聞こえないように、少女は祝詞のりとを奉じ始める。


その歩みと共に。


「よし、九郎を起こせ。皆に知らせよ! 式神しきを放て! 今宵、全ての穢れは凶星と共に消える。征夷大将軍、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが子。この坂上雄達さかのうえのゆうたつが全てを見届ける!」


一斉に動き出す祭壇の場にいる者達。それぞれが己の役割を果たすべく、見事な連携を見せていた。


そして坂上雄達さかのうえのゆうたつもまた、簡易寝台に昇った少女の隣に立っていた。


ちょうど九郎に背を向ける形で小刀を少女に差し出す。

その場にいる誰もが、いったん手を止め視線を少女に向けていた。だから、誰も気づいていない。


九郎が縛られている柱の上に、一匹の黒猫がいたことを。

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