第37話天にかかる星に願いを

癌。

この病院の医者がつけた、しずくの病名がそれだった。

かえでも、それを受け入れていた。


――たったそれだけで、それがしずくの全てだと?



原因不明の意識消失発作。


それが今までしずくが病態として説明を受けていたものだった。

今回そこに触れたのかどうかは分からない。だが、いきなりの病名告知。しかも、それは予想もしない病気だった。


かえでが混乱するのも無理もない。

分かったことだけを前面にだし、わからない事は誤魔化しているのだから。


しかも、詳しく言うとリンパ腫というもので、あらゆるところにその存在が疑われるという説明だった。

そして、かえでははっきり言われたという。『もうすでに、手の施しようがない』と。


それが、さっき聞いた電話の内容。電話の相手は義守よしもりだった。

そして、しずくは山のような新しい検査を、淡々とこなしているようだった。


今晩、検査結果を説明する。

もう一度義守よしもりを交えて、詳しく説明をするという連絡。

それが、うまく伝わらないようだった。

さすがのかえでも、涙を流しながらわかりやすく話すことはできないようだった。


義守よしもりに電話した後、そのまま妖怪婆犬神ヨシと話し、ゆっくりと電話ボックスからでてきたかえで

そして、そこで待っていた俺と目が合う。


すがるような目の奥に、かすかに見える非難の色。


だが、それを口には出さない。かえでもその事は理解しているのだろう。だが、突きつけられたこの現実は、かえで一人で支えるには荷が重かった。


やがてかえでは病院に向かおうとして立ち止まる。そして、時計を見たあと、方向をがらりと変えていた。


おそらくしずくが検査から戻るには時間があるのだろう。その間に、顔を整えに行くつもりだろう。


その気持ちはわからない訳でもない。さすがに涙のあとがついたままではダメだと思ったに違いない。

だが、しずくの勘の良さで考えると、義守よしもりに会えばすぐにばれる。

黙っていようがいまいが、それが知れるのは時間の問題。

それよりも、俺の知らないところで予期しない出来事が起きていた事実が問題だ。


病魔の奴が表に出ている。それが医者にでもわかる病気として現れている。

それは、その存在が大きくなりすぎていることを意味している。


まだ、半年もたたぬ間に?

これは何かの意志なのか?

また、俺から奪おうとするのか?


そして、その夜は俺も忘れられない夜になっていた。



その日の夜は、いつになく星がきれいに見えていた。病室から見える星空は、街の明かりが消えた頃に、より一層はっきりと見えていた。カーテンの隙間からでも。


検査疲れとか色々あったのだろう。病室に帰ってから、ずっと布団をかぶり横になっていたしずく

かえでも今日は早々に帰っている。義守よしもりは病室にも来ていない。

本当に情けない奴だ。

かえでしずくが交わした言葉は、二言、三言。お互いに同じ空気の中にいるようだった。


だが、夜中をすぎた頃に変化が起きる。

電気もつけず、窓のカーテンを全て開け、外を見えるようにしたしずく

暫らくその景色を眺めるしずく

しばらくしてベッドに戻ったが、座って空を眺めていた。


暗い病室の中から見える星々。ただそれを呆然と見つめるしずく

ただそれだけの時間が、過ぎていく。


「あの三角形が夏の大三角形かな? 詳しく知らないけど、あの三つの星のどれかが、織姫と彦星だよね。毎年曇り空で、見えた記憶はないけど、今日は見れてよかった……」


ぽつりと言葉を落としたしずく

布団の上だが、丁度しずくの太腿あたりで寝転んでいる俺をなでながら、なおじっと空を見上げていた。すでにアキハは眠っている。本当を言えば、俺もそろそろ眠りたい。


だが、しずくは一向に眠る気配がなかった。


「そうだ……。七夕だった……」


思い出したように呟くしずく。だが、すでに日付が変わって今はもう七月八日だ。

ただ、今見ている空は変わらない。日付が変わったと言っても、七夕の空と言えるだろう。


そして、この空は千年前からほとんど変わることはない。

この千年で人の世界はずいぶん様変わりをした。だが、時間の進み方が違うのだろう。こうして見上げる星の光は変わることなくそこにある。


「ねえ、クロ。星になる気分ってどんなだろうね……」

にゃあしらんよ

「もう、冷たいなぁ。でも、今日は尻尾で返事しないんだ」


俺に話しかけながらも、その顔は星を見つめている。だから声を出しただけだが、本当にコイツは勘がいい。


「クロは七夕伝説って知ってるよね。あれって、本当なのかな? いくら働くのが大事だって言っても、神様が愛情を否定していいのかな? 神様ってそんなに偉いのかな? どれだけ遊んだのか知らないけどね。でも、愛をく神様が、愛し合う二人を引き裂くなんてひどくない?」


しずくが言う『あれ』が何を指すのかわからない。だが、一般的に信じられている物語を言っているのだろう。仕事をさぼった罰として、二人を引き裂いた話のこと。ただ、不憫に思った神が、一年に一度会えるようにしたという話。それが丁度七夕の夜だ。


だが、しずくの言う神と七夕伝説の神は神違いだ。俺も会ったことがないからわからないが、しずくが言う愛をく神はいわゆる唯一神とその使徒。そして、七夕伝説の神は数多くいる神の中の一人。しかも、たぶんアイツらは気まぐれだ。


「ねえ、クロ……。私、このまま星になったらハレー彗星見れないね。仮にその中に住むんだったら、ずっと見れないよ……」


ふみゃあ俺がそんな事許すかよ

「ふふ、クロが強気だ。……正直に言うね。やっぱり不安だよ」


凶星ハレー彗星の接近は、人の心に不安という影を落とす。


いくら文明が進化しても、まだ人は人の心を解き明かしてはいないから当然だ。しかも、生命の神秘にまだ人は到達していない。輪廻に関しても同様だ。だが、生まれ変わりは存在する。ここに俺がいるのがその証だろう。俺の知らない不思議な事もいくつもある。

だから、しずくが不安になる気持ちは、あの時代の人間と変わりない。

この街の邪気もますます大きくなっている。

凶星ハレー彗星が世の乱れを引き起こしているのか、世の乱れた時に凶星ハレー彗星が来るのか。

それは、俺にもわからない。ただ、一つ言える事。


それは、ハレー彗星がまた俺の守るものを奪おうとしているということだ。


みゃあ、にゃーふざけるなよ、バカ野郎

「えっ、何!? どうしたの? いきなり」


――聴け! そこで高みの見物をしている奴! いつも、いつまでも、お前の思う通りになると思うな! 今度こそ俺はお前からこいつを守るからな! この千年守護獣のクロが!


(なに? クロ? 夜中に何叫んでるの? 月?)


――うるさい、アキハ。お前は寝てろ。男には叫びたい時があるんだ。


(はい、はい。盛りってやつ? こんな時に節操ないね。言われなくても寝るよ? でも、びっくりして起こされた私にその言い方はないかな? しずくもびっくりしてるよ? この時間にこの位置。どうせ、いきなり窓に飛び移ったんでしょ?)


――なっ!? お前な……。

だが、振り返ると、確かにそこに驚いたしずくがいた。


にゃー、にゃんちょっと文句を言っただけだ


「そうなんだ……。『まさか、あのクロが織姫と彦星に願い事するの?』っておもってびっくりした」


――おまえなぁ。俺をなんだと思ってるんだ?

(超絶俺様)


――うるさい、アキハ! うぞ!

(はい、はい。でも、クロがそんな感じじゃないと、しずくも不安になるって。でも、しずくの気持ちもちゃんと聞いてあげてね? 自分一人の考えが正しいなんて思わない事。それはもう、わかってるよね?)


――アキハ?

(もう、私は寝るね。しずくは願えばいいよ、クロが頑張って叶えてあげてね。私はそれを応援してる。大丈夫。私の願いも叶ってたしね)


――ああ、そうだな。でも、何だ? お前の願いって?

(……………………)


「どうしたの? クロ? 何かいるの?」

にゃん何でもない


――安心しろ、しずく。お前の望みは、俺が叶えてやる。お前にハレー彗星を見せてやる。この地上から、見上げる形で。


だが、一応確認だけはしておこう。


みゃあお前は何を望む

再び傍に来た俺の目をじっと見つめるしずく。アキハに言われたからじゃない。俺もこの千年で色々学んでいる。


だが、しずくは俺から一度目を逸らし、再び星を見つめていた。おもむろに目を閉じ、そのまま夜空を見上げつづけていた。その姿は祈りなのか、思考なのかわからない。


だが、再び目を開け、俺を見つめるしずくの瞳には、確かな意志が込められていた。

その目を俺は知っている。否定されても、俺はその目をよく知っている。


「生きたい。生きたいよ、クロ。もっとみんなの事を知りたい。みんなと同じ時間を過ごしたい。せっかく一緒にいると思えるようになったの。だから……、死にたくない……」

にゃんわかった


お前の気持ちははっきりしている。

俺のやることもはっきりしている。


あとはすべて俺に任せろ。お前は俺を信じればいい。


「もう……、クロ。泣いてないよ。いきなり飛び掛かってこないで。びっくりするじゃない。でも、クロは温かいね。こうして抱きしめると、とっても安心する」

にゃあ、みゃあもう寝ろ、そして信じて待て

「うん……。ありがと、クロ」


しばらくそのままだったしずく。だが、ゆっくりと俺を離し、布団の中に入っていた。


しばらく見守る俺の前で、しずくの小さな寝息が聞こえ始める。


――お前が俺を信じてくれる。だから、俺も全力で戦ってやる。千年守護獣の本気の力だ。たとえあと半年で病魔がどれだけ大きくなっても、俺の本気で押し潰す。だから、今は休め。体を休めることが、お前の戦いだ。


そして、俺もしずくの隣で丸くなる。明日学校が始まる前にやって来るであろう、なぎさの襲来。それに備えなければならない。









だが、それからのしずくは、深い眠りの中に閉ざされ続けていた……。

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