幕間

第34話敗北

鬼がいた。

累々たる屍の山を築きあげ、己の強さを誇る鬼がいた。


幾千の矢の雨が鬼の頭上を覆うとも、その雄叫びが矢をことごとく弾いていた。

幾千の槍が鬼の体を貫こうと突き進んできても、手に持つ青白き刃が全て地面に叩き伏せていた。

数百の術、数十の人にあらざる姿のモノ達。

その全てを払いのけた鬼だった。

だが、鬼も無傷ではない。

すでに傷つき、片膝をついている。いかに強さを誇る鬼とはいえ、鬼を倒そうとする者たちも必死だったという事だろう。

だが、それは鬼も同じだった。

自らを鼓舞するかのように、一際大きな雄叫びをあげる鬼。傷ついた体を奮い立たせ前に進む。その男を睨みながら。


そう、そこには一人の男がいた。


浅黒い顔にぎょろりと光る双眸。隆々たる体躯を鎧が隠しきれていない。すでに抜き放った刃は、白い光を放っている。その光は刀だけでなく、その持ち主をも覆っていた。


坂上雄達さかのうえのゆうたつが、名刀騒速そはや真打しんうちを持ち、かつて猫目九郎と呼ばれた鬼に向かって静かに歩きはじめる。


「ヲ……マエ……デ……オワ……リ……ダ」

「哀れ、九郎。すでに言葉もなくし始めたか。身も心も魂さえも、人からとし修羅となりはてたか。だが、これだけの軍勢をたった一人で壊滅するとはな。この力、鬼神化だけではあるまい? うわさに聞く『猫目の秘法』とやらか? いや、それはもうどうでもよいことだ。それだけの才華さいかを有していながら、人にあだなす存在となったお前だ。それを生み出した猫目一族もまた、他の古き一族同様に滅びの道をたどった。もはや、この世に人外の力は不要なのだ。物の怪もののけどもも、やがて駆逐されていくだろう。まあ、この俺も同じ末路を辿るのだろうがな。これから真に人の時代となるのだろう。その中で人を守るのは陰陽寮おんみょうりょうという事らしい」

「シ……ラヌ……。ヲマ……エ……タオ……ス」


言葉のうち合いが刃にかわる。互いに申し合わせたかのように、一気にぶつかり合う雄達ゆうたつと九郎。渾身の一撃を、そこにのせるかのように。


白い光と青白い炎の激突。力と力のぶつかり合い。


そこに何者の存在も許さぬ力の場が生まれていた。

だが次の瞬間、それは瞬く間に消え失せる。その間隙を埋めるように、今度は二人の間から突如風が生まれていた。

しかし、それだけではなかった。互いにうち合う無数の斬撃。そのどれもが互いの刃で弾かれる。互いの刃が火花を散らす衝撃を周囲にまき散らし始める。

やがてそこは、吹き荒れる風が支配する領域と化していた。


無数の光と音がせめぎ合う。互いの刃が放つ光が描く軌道。その一つ一つが必殺の軌跡。

互いにそれを、打ち消し合いながらもなお放つ。

咲き誇る火花と吹き荒れる気合の風。

一瞬の油断が生死を分かつ斬撃の中で、不思議と二人の口元は緩んでいた。


生と死の狭間にあって、己の命を燃やす光が生まれていた。

幾重にも重なる度に風が生まれる。


光と風と音。


その中から、突如雄達ゆうたつの声が聞こえてきた。


「これほどの力とは! 惜しむらくは、人の世に尽くすことが出来なかったことか。だが、所詮それは鬼の力。人を守るものではない。世を乱すだけのものよ」

「…………」

「では、そろそろ終わりにするか。語るべき言葉、帰るべき場所を失った哀れな鬼よ。天を覆う凶星の到来は世の終わりを嘆きとなる。お前を討ち取ることで、その払いとなろう。そして供物くもつの姫をささげる。すべては人の世の為よ。今宵の儀式。その準備はすでに済んでおる。あとはお前を討ち取った知らせを送る事と、ふもと供物くもつの姫を捧げるのみ」


その瞬間、青白い炎が燃え盛る。


爆発的なその一瞬に、雄達ゆうたつだけが吹き飛ばされた状態で現れていた。


「まだ、そのような力が残っていたか」

雄達ゆうたつの驚きの声が小さく漏れる。その横に、かしずく人影が現れていた。


雄達ゆうたつ様。供物くもつを守る結界は取り除き、手に入れました。今よりそちらに戻り――」


最後まで言葉を語らぬうちに、人影は青白い炎に包まれていた。


「聞いた通りだ。もはやあきらめろ」

自らを覆う青白い炎をその刃で消し去りながら、雄達ゆうたつは一歩前に進んでいた。


「ふむ、素早いな。まだあきらめてないと見える」


その言葉を聞く者は誰もいない。

だが、それを気にする様子もなく、雄達ゆうたつは歩き始めていた。



***



「ぬかったわ。この春澄透水はるすみとうすい。まさか、雄達ゆうたつ様の前から逃げおおせる者がいるとは思わなかった」

陰陽装束おんみょうしょうぞくに身を包んだ透水とうすい

失った左腕の止血を自らの式神にさせながら、忌々しそうに九郎を見ていた。


兄様あにさま……。そのお姿……。まさか、かような事になっておいでとは……。もう、離してくださいませ……。このような事をしてまでわたくしは……」

「シン……パイ……ナイ……、オ……マエ……ハ――」

「そのような事、わたくしは望んでおりませぬ。兄様あにさまは猫目の秘法をお使いでないと言われたではありませぬか。鬼神化も目だけだとおっしゃったではありませぬか。全て嘘だとわかっていました。でも、それでも兄様あにさまは言っても聞かぬ人故、黙っていました。でも、わたくしが間違っておりました。やはり、もっと早く兄様あにさまの前から消えるべきでした……」


白拍子しらびょうしの衣装を着た少女が、九郎に抱かれて泣いていた。

九郎は片腕で少女を抱きかかえ、片腕で青白い炎をまとう刀を持っている。

その姿は人にあらざる者。だが、その瞳は、少女をいとおしそうに見つめていた。


「シ……ン……」

その言葉の途中で、鬼は自らの刃を前にかざす。少女を抱えた左腕を、やや後ろに引きながら。


次の瞬間、すさまじい衝撃波が吹き荒れる。


「その続きは俺が言おう、九郎。『心配するな。すぐに後を追わせてやる。だが、行き先は違うがな』とな。ん? その目は何か違うと言いたいか? だが、お前が何を言おうが、変わらん。外道げどうとなったお前はこの世から去る。供物くもつの姫は凶星にささげられる。全て、人の世に必要な事よ。ほれ、片腕では苦しかろう? 姫を守るには力が足りんな。姫を下ろせば、力は十分。だが、姫を下したが最後だ。再びお前はその手に姫を抱くことはできぬ。たった一人のお前に、姫を守りきることなどできぬ。もっとも、姫の方は覚悟を決めているようだがな」


白い光を放つ名刀騒速そはや真打しんうち

それに押し込まれる九郎の天黒羽剣アメノクロハノツルギ


再び起こる鍔迫り合い。力と力のぶつかり合い。だが、両腕の雄達ゆうたつに対して、九郎は片腕で刀をもっている。


その差は大きかった。


片膝をつきながらも、九郎は少女を離さない。すでに押し戻される刃も、自らの額で支えている。


九郎の額に青白い刃がくい込んでいく。流れる血が頬を伝い落ちていく。


「そのまま額を割られても、姫は守れんぞ? だが、それも当たり前だ。それがお前の限界だ。人の世を守るこの俺と、妹の為に人の世に背を向けたお前では、守るものの大きさが違うのだ! 妹も人の世を守るために生きてきたのだ。本懐を遂げさせてやれ! お前はお前のわがままで、それを邪魔しているだけのこと! 魂憑姫たまよりひめの覚悟を邪魔するな! 潔く死ね! 九郎!」

更に押し込む雄達ゆうたつ。すでに勝利を確信したかのように、その口は薄く広がっていた。


兄様あにさま!」


少女の叫びに呼応するかのように、青白き炎が猛々しさを増していた。


「ガァァァアア!」

九郎の絶叫が響き渡る。それに呼応した青白き炎が九郎を包み、騒速そはや真打しんうちを弾いていた。ただ、その少女は不思議な光で守られている。


「ゴタ……ク……ハ……、イラ……ヌ。タ……ダ……、マ……モル……ダ……ケ……ダ……」

再び立ち上がった九郎の前に、一瞬で距離を詰めた雄達ゆうたつがいた。


「そうだな。すでに語らうべき時は過ぎた」

その声と同時に九郎の口から苦痛のうめきが沸き起こる。天黒羽剣アメノクロハノツルギがその手からこぼれて、大地に突き刺さる。


それが勝利の手ごたえとなった。おそらく、雄達ゆうたつはそう考えた。


言葉よりも先に、九郎の腹を貫いていた騒速そはや真打しんうち九郎の体からそれを引き抜こうとする雄達ゆうたつ


だが、力いっぱい引き抜いたつもりが、引き抜くことはできなかった。


「何!?」


その言葉を残して、吹き飛ぶ雄達ゆうたつ

かろうじて受け身をとったのだろう。だが、顔面を強打されたであろうその痕は、雄達ゆうたつの顔にしっかりと刻まれていた。


驚きの目で見つめるその先に、腹に騒速そはや真打しんうちを刺されたままの九郎がいた。


雄達ゆうたつを包んでいた白い光が消えていく。

己の力が無くなった忌々しさに、雄達ゆうたつが奥歯をかんでいた。


「オレ……タ……チノ、……ジャ……マ……ヲス……ル――」

兄様あにさま、申し訳ございません!」

九郎の言葉を遮って、白拍子しらびょうしの少女が小さく叫ぶ。


「ナ…………、ナゼ……だ……」

九郎の左胸に埋め込まれた御神刀。その霊力により、鬼の力が急速に封じられていく。

やがて膝をつき、倒れる九郎。それでも、少女をゆっくりと地面におろしていた。


「申し訳ございません、兄様あにさま……」


解放された白拍子しらびょうしの少女は、ただそれだけを涙ながらに繰り返している。

再び元の姿に戻った九郎を守るように。

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