第30話そびえ立つ病魔

その瞬間、この街そっくりな別の空間が作られる。


そこは病魔との戦いの空間。


だが、そこにはこの街にはない、大きな黒い山があった。


(ねえ、クロ……。こんなのって……)


一年ぶりに妖精姿を見せるアキハ。守護獣が病魔と闘うこの空間において、管理者はその本来の姿を見せる。だが、今日のアキハは今までと違う姿だった。

何故か、アキハは白拍子しらびょうしの姿になっていた。


一体何が起こった?

それを聞きたかったが、今のアキハがそれに応じるとは考えにくい。いや、余裕がないというのが正しいか……。


いつもなら、お気楽に飛び回っている。

いつもなら、話すときには俺の視界に飛び込んでくる。


だが、今は俺に顔を向けることなく、それを見続けている。横から見てもよくわかる。まだ幼さが残るにしても、端正な顔立ちが凍り付いてしまっていた。


しかも、それだけではない。

顔をあれの方を向けたまま、浮いている体が自然と後ずさりを始めていた。


無理もない。この俺も正直言って、驚いたのだから。


まあ、あとで聞こう。

理由は分からないが、アイツも色々と思い出したという事だろう。そう言えば何か言いかけた時もあったか?

いずれにしても、何か自分のルーツに関係あるものを思い出したのかもしれない。


意志が形を成すこの空間。

今のアキハの姿は、自分を最も自分らしく見せているのだろう。


だが、よりにもよって、その恰好……。

まるでアイツに生き写しだよ……。


ひょっとして、俺の記憶を盗み見たのか?

そう言えば、前に『俺が垂れ流している』とか言ってたっけ……。


まあ、いい。今はそれどころじゃない。


山状にすそ野を広げていたものが集まり、どんどんその形を形成していた。

濃密に収束し、人型になっていく黒い塊。それは去年のものよりも倍近くの大きさになっていた。

すでに、近くにある四階建ての学校の高さを軽く超えてしまっている。

おそらくその高さは、十階建てのビルくらいになるだろう。


そして、黒い塊は完全に人型となっていく。それはまさに、闇の巨人の誕生だった。


その瞬間、奴の視線を感じた。

顔には目も鼻もない。

だが、奴の目が俺を捉えた感じがした。


凍えるような冷たい視線。

奴も分かっているんだ。

この俺が、奴をうためにここにいる事を。

この俺が、奴の天敵であることを。


だが奴の視線ともいえる感覚は、アキハの方にまで伝わっていた。

完全に固まるアキハ。

無理もない。あんな邪気の塊に睨まれたら、普通そうなるだろう。


この空間において、それはこの街の全員に『死ねという視線』を向けられるようなものだ。


そしてしずくは、あんなものを半年もあの小さな体に貯めていた。

不思議を通り越して不可解だ。

こんな大きさの病魔に育つなんて、普通はありえない。


空間が別だから、大きさそのものにどうこう言うつもりはない。ただ、半年で去年の倍になる病魔がいる事自体がおかしなことだ。こんな現象は俺も初めて経験する。


あれだけ粉々に吹き飛ばしたら、普通は小さくなるものだ。

そしてそれを繰り返して、最後には消滅する。

それが、守護獣と病魔の闘い。だが、今はそれと逆の現象が起きている。

たぶん、アキハはその事を考えているのだろう。


――アキハ。お前と出会って百年以上になるが、お前がそんなに驚く姿は初めて見たよ。

(クロ……。あんなのってあるの? 普通じゃないよ。ありえるの? ありえないでしょ?)


――お前の気持ちは分かるからいいけど、何を言ってるかさっぱりわからん。だが、どう否定しようが、あれはあそこにいる。その事実から目をそむけるなよ。認めろ。あれがこの街の邪気を吸収したしずくの病魔だ。秋になって体調を壊すことが多かっただろう? 今から考えると、コイツが再び生まれたせいだ。一年前のあの時、奴の体を粉々に吹き飛ばした。それは、吹き飛ばしたこの俺が言うのだから間違いない。そして、再生するのに一年以上はかかるはずだった。そのくらい、微塵にしたはずなんだ。だから、普通は小さくなる。お前の知っていることが正しいよ。


だが、現実は違った。

アレは半年で再生し、その後も成長を続けてきた。その結果があれだ。


今朝まで、しずくが自分の明日が来ないと思ってしまったのも納得せざるを得ないな。こればっかりは、自分しずくにしかわからない事だ。それに、しずくの心も弱っていたのだろう。


(クロ? 勝てるの? なんだか怖い……)


――しっかりしろ、アキハ。お前が弱気になる必要はない。それに、お前は誰に向かって聞いている? お前は誰の管理者だ?

(クロ……、千年守護獣、黒猫のクロ)


――そうだ。いい子だ。俺は千年守護獣だ。守護獣の中でも別格の存在。この日本に、五人しかいない貴重な存在だ。まあ、俺が一番若いけど……。とにかく、あれは肥大化したとはいえ元は病魔。そして、肥大化した原因はこの街の邪気。なら、答えは簡単だ。邪気を払う。そしてう。その後病魔を退治すればいい。簡単な事だ。


(でも……)


――心配するな。お前はここで黙って見てろ。図体がでかい分、多少時間はかかるが、それは仕方がない。基本的に単純作業の連続だ。何なら寝てても構わないぞ?


(クロ……。油断したらダメだよ。あと、あまり無茶したら――)


――言っただろ、アキハ。俺はもう誰にも負けるわけにはいかないんだ。無理とか無茶とかは関係ない。俺がそうしたいから、そうするだけだ。いいからここで黙って見てろ。俺は勝つ。少なくとも、今のしずくはそう信じている。お前も信じろ。それが俺の力となるかもしれん。


(うん……)


だが、まだ完全に安心してないアキハがいる。アイツも数多くの守護獣を看取みとっているから余計に不安なのだろう。


――アキハ。すでに舞台は整えられた。主役は俺。脇役は鬼婆最上シズ妖怪婆犬神ヨシ。そして、観客はお前。お前は一番いい席で観覧できるんだ。ありがたく思えよ。ああ、しずくもだがな。


この街の邪気は、鬼婆最上シズが半年間散らし続けた。


『猫だまし婆』と噂されるまでになっても、鬼婆最上シズはやり通した。何度も警察から注意されても、任意同行を求められても、やり通した。

そのたびに最上義守もがみよしもりが呼び出された事も含めて、よくやったと言える。

平謝りする義守よしもりを残し、再び一人で街をねり歩く鬼婆最上シズ


ただ、鬼婆最上シズはそれだけではつまらなかったのだろう。鬼婆最上シズにとっては、ただ手を打ち鳴らして歩いているだけだ。


いつしか、鬼婆最上シズの中で目的が変わっていくのは仕方がなかったのかもしれない。


そして『猫だまし婆』と噂されるようになった。


人の背後から『そうする柏手を打つ』のは、間違いなく性格が悪いからだ。だが、噂は意外な効果をもたらしたことも事実だ。


漠然とした不安や不満が、行き場のない邪気を生み出す。そういった行き場のないモノはしずくの持つ性質で集められる。


だが、鬼婆最上シズの行為が結果的にしずくの役に立っていた。


漠然とした不安を忘れ、『猫だまし婆』という存在への興味にすり替わっていく者が出始める。

少なくとも被害者は、確実に鬼婆最上シズという標的を持つことになる。

そして、妖怪婆犬神ヨシしずくに何やら知恵をつけていた。


これだけ舞台が整えられた。


だから、この俺がここで手を抜くわけにはいかないだろう。


ここからが、俺本来の戦場いくさばだ。

脇役がずいぶん頑張っていたんだ。主役の俺がせないとな。


――圧倒してやるよ。この姿のままで。存分に観賞しろ、アキハ!


大地を蹴って、奴の近くに駆け寄る。当然奴は俺という小さな目標めがけて巨大な右腕を叩き下ろす。体格差が生み出す発想。叩き潰す動作に出ることは分かっていた。


大振りの巨腕が繰り出す攻撃。そして小さな目標である俺は素早く移動が出来る身だ。


それに、そんな大振りの攻撃などたやすく見切れる。

そして、体格差があったとしても、俺に向けて攻撃してくるのは確実だ。

だから、必要以上に俺から行く必要もない。


それ巨腕を昇れば、無防備な頭部がまっているのだから。


さあ、その首をもらおうか。


その大きな腕のせいで、直前になると小さな俺は見えないのだろう。案の定、俺が動いても反応できない。


そして俺は、打ち下ろした奴の右腕を駆けていく。


奴がもう一度自分の腕に、反対の左腕で攻撃を仕掛けたその瞬間。こんどはその左腕に飛び移り、そのまま回転をつけて首もとを切り裂く。


確かな手ごたえ。


鈴の音が鳴り響く中、首の右側を大きくえぐられた頭部は傾いてゆく。すでに自分の攻撃で右側に傾いている体は、それを支えきれずに大きくバランスを崩していた。


大地と巨人のぶつかり合いが、衝撃と破壊の音と砂埃の噴水を作り出す。


――はっ! 見かけ倒しだな。


倒れて無防備な所をっていく。起き上がろうと必死にもがいている間に、どんどん邪気をそぎ落とす。


だが、先はまだまだ長い。今の攻撃でも、奴の体全体の邪気はそんなに多くは減っていない。


――まあ、最初から持久戦は覚悟の上だ。まあ、それだけじゃないが。


時間はまだ十分に残っている。



さあ、こい。そして、去れ。

千年守護獣と戦う栄光だけをお前にやろう。

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