第23話少女たち

どこからか聞こえていたヒグラシの鳴声は、もうとっくに聞こえない。

シンと静まりかえった世界で、かすかに何かの音は聞こえる。


あれから、いろいろ大変だった。

あれから、かなり時間も経った。


でも、とりあえずこの子達は落ち着きを見せて、ここにいる。


犬神いぬがみヨシの家にある縁側。境内とは反対側にあり、心ばかりの庭と呼べる空間を除けば、そこはすぐ山の中となる。とても静かな時間が過ぎる。

そして、星々の明かりと月明かりの優しい闇が二人の周囲を囲っていた。


この場には、この子達の他に誰もいない。

互いの肩が触れ合う距離で、この子達雫と葵は明かりもつけずに座っている。


あおいの右隣りにおかれている蚊取り線香だけが、この子達に添えられているモノだった。


煙はまっすぐに立ち上る。時折、かすかな揺らぎを見せる。

雲が月の明かりを隠すたび、闇がその手を二人に伸ばす。だが、それもすぐに消され、柔らかな光が優しく包む。


穏やかな時間が流れゆく。

動かない黒猫にあてたその手と共に。


「なんだろう。なんだかとっても不思議な感じ」


いつしかあおいは右側の闇を見ていた。そこに何かがあるわけじゃないけど、あおいはそれを眺めていた。


「そうだね……」


自分の膝の上で丸くなっている、傷だらけのクロを優しくなでるしずく。うつむいたままで顔は見えない。だからよくわからないけど、たぶん目じりが下がっていると思う。


クロは全く動いていない。でも、しずくはたぶんその温もりを感じていると思う。心と体の両方で。


包帯まみれのクロ。

痛々しい姿のクロ。

全く動かないクロ。


こんな姿は初めて見る。


(でも、相変わらず無茶をするよね、クロ。でも、それを言うとたぶん怒るんだろうね……)


傷の手当自体は、犬神いぬがみヨシがしてくれている。だから、多分それは大丈夫。


ただ、問題はもう一つの方。でも、クロはそれも大丈夫だと思っていたみたい。

そして、クロは正しかった。


目覚めたしずくは、あれからひと時もクロの傍から離れない。傷の手当の時も、本当に手を当てて見守っていた。


しずくそばにいることが、今のクロにとって何よりの手当てになる。しずくはそう感じているのだと思う。


(正解だよ、しずく


傷ついた守護獣にとって、それは何よりの手当てとなる。

正直言って、なんか悔しい。今の私はクロに何もしてあげられない。


今、クロは『魂の裁定』をうけている。

本当は私もそれが何かわからない。でも、それが終わらない限り、クロはここに帰ってこない。


千年守護獣の起こす偉大な奇跡。

それは、人々の願いに応える奇跡の業。ことわりさえも書きかえる大きな力。その願いの強さでその力も大きくなる。


そして、それ奇跡の業は普通の守護獣には起こせないもの。

それは、千年守護獣だけがもつ力。


だから当然、むやみに行使することは許されない。許してはいけない。


でも、今回クロは千年守護獣ではなく、守護獣としてその力を発揮していた。しかも、運命の鎖につながれた後に。


それが今のクロの状態。

クロが瀕死になってまで選んだ道。

その存在を消されるかもしれない危険性があるのに選んだ道。

その上で、奇跡の業を使ったクロ。


その代償は計りきれない。

そして、クロは全て分かった上で、その力を振るっていた。


(まったく、なんだかなぁ~だよ)


あれだけ散々しずくに対して文句を言ってたのに、いざとなると身をていして助ける。

シロさんはもちろんそうだったみたいだけど、クロもなんだかんだと言いながら、本気でしずくを守っている。


(まあ、それがクロのいいところだね。口では色々言うけど)


今だから言える。今しか言えない。こんな事、いつものクロに言えば、『うるさいぞ、アキハ。うぞ!』って言うんだろうね。


「ねえ、しずく……」

「なに?」

「なんだかよく覚えてないけど、とても大事な事があった気がする。覚えてないから変だけど。私、何か納得できたような気がする」

「私もだよ……」

「そう……なんだ……」

「そうだよ……」


お互いに、全く別の方を向いて話している。だけど、二人は分かり合っていた。


この子達の記憶の中から、あの崖で起きた出来事はすっかり消えてしまっている。それも奇跡が起こす力の一つ。

この二人の記憶は、崖の近くで倒れていた事実だけが刻まれている。


でも、二人の中には何かが残っている。それが何かとは多分言えないだろうけど。確かな爪痕が刻まれている。


ただ……。

多分、犬神いぬがみヨシは気付いている。状況から何があったか感じたのだろう。


手当てしながら、クロに感謝をしていたから。


そんな姿をしずくは見ている。だから、しずくも何かを感じているのかもしれない。

そして、あおいはもう大丈夫だと思う。


あの時、クロがその内に潜む邪気をべたのだから。ここに来た時とは見違えるような顔をしている。それでもまた貯める可能性がある。そのことを、クロは危険に感じている……。


(でも、今の顔を見てると大丈夫だと思うよ)


はっきりと思い出せないだけで、あの時にあおいしずくの心の中に自分の存在を感じていた。だから、それは満足のいくものだったと思う。

これからも繰り返すかもしれない。けど、この子の中できっと今日の出来事が生きてくる。覚えてなくても、刻まれているのだから。


「どうしたの? あなた達。電気あかりもつけずに」


その声と共に、部屋の明かりがまぶしいくらいの光を放つ。今までこの場に居座っていた静かな闇が、一気に外へと追いやられる。


大荷物をその場に置いたかえでが、その苦労をねぎらうように自らの肩をもんでいた。


「あっ、おばさん。今来たの?」

部屋の明かりに気づいたのだろう。しずくたちとは部屋を挟んで丁度反対側にある廊下から、小走りする音が近づいてきたかと思うと、パジャマ姿のなぎさが、ひょいとのぞきながら声をかける。


「まあ、なぎさちゃん。あなた、そのまま……。しずくの服に着替えればよかったのに」

「えへへ。まあ、ここって誰も来ないしね。それに、あたしにはやるべき使命があったからね!」

「そう? でも、こっちにいらっしゃい。着替えましょう。ちゃんと持ってきたから」

「え!? あれももってきてくれたの?」


その言葉に、目を輝かせて部屋に入るなぎさ

自分のモノと思える荷物を開けると、中のモノを物色しだす。しかし、目当てのものはなかったのだろう。残念そうに目を潤ませてかえでを見上げていた。

その視線を少しそらしたかえで。でも、次の瞬間には、母親の顔になっていた。


「着替えだけよ……。それよりもなぎさちゃん? 少しはお部屋を片付けた方がいいわね。お母さんもびっくりしてたわ」

「いやぁ、昨日も徹夜だったから!」

「もう……。あなたも女子高生になったんだから、いつまでも――」

「あっ! しずく! あおい! 何してるの?」


そこに『お小言』の気配を感じたのだろう。なぎさは素早く立ち上がると、しずくあおいの元に駆けよっていく。


なぎさ、あなたのその黒猫パジャマ。素敵ね」

身体を半分のけぞらせ、あおいなぎさを迎えていた。


「えへへ、ありがとぉー、あおい。あれ? なんだか今は、いい顔かな? うんうん。『おかえりー』って感じだよ」

屈託のない笑顔を見せるなぎさの言葉に、一瞬目を丸くしたあおい。でも、次の瞬間には、じっとなぎさを見つめていた。


笑顔のなぎさは何も言わない。

その気持ちを感じたのだろう。目をつぶり小さく頭を横に振った後、あおいはその笑顔を見せていた。


「ただいま」

少しだけテレを隠しながら、あおいなぎさに向き合っていた。自然と体はしずくから少しだけ遠ざかる。


そんなあおいを、なぎさは満足そうに頷いていた。

だけど、しずくあおいの間に、あおいだけが動くことによって空間が出来る。


そう、しずくは体を動かしていない。

そこに何かを感じたのだろう。

なぎさしずくあおいの間ではなく、誰もいないしずくの左側に移動する。


「え!? どうしたの!? クロ!」


当然その光景を目にしたなぎさ

思わず大声をあげた口を、あわてて両手でふさいでいる。その様子から何かを感じたのだろう。かえでも駆け寄り、クロを見ていた。


「分からないの。でも、私。また、クロに迷惑かけちゃった……」


なぎさかえでを見上げたその瞳に、色はない。


「………………。そっか。クロは頑張った! しずくも、あおいも頑張ったんだよ!」


絶対にこの子が事情を知っているわけがない。でも、全てを知っているかのように、なぎさはそう二人に告げていた。


「えらいぞ、クロ! 本当に君はえらい。目が覚めたら、また一緒に遊ぼう! あたし待ってる。とびっきりの新作を用意するね!」

なぎさが膝をおり、そっとクロの体をなでる。


その光景を目にした途端、しずくの瞳から涙が溢れ出す。


それは頬を伝い、ポタリとクロの体に吸い込まれていた。

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