幕間

第24話凶星の巫女

兄様あにさま? このような夜更よふけに、いかがなされました? まさか、夜這いよばいですか? 大胆すぎませんか? それに今宵こよいは満月ですよ? あと、わたくし兄様あにさまの妹ですよ? お忘れですか? いくら兄様あにさまでも、そのくらいは覚えて頂かないと困ります」


月明かりの中、布団で胸元を隠し、上半身だけ起こした少女がいた。


部屋の中で、少女の寝ている場所だけが一段高くなっている。

天井からつりさげられたようなカーテンに仕切られた場所。そこは部屋の中央にあたる。

いわゆる天蓋付てんがいつきベッドように見えるが、それほど高くはなっていない。なにより、それは畳だった。

そして、まるで着物を広げたような掛け布団。


それは源氏物語の世界で描かれている寝所のような場所。

その一方だけが開けられたところに、月明かりが差し込んでいる。まるでおとぎ話の世界のように、丸く大きな月が夜空にその姿を見せていた。


ちょうどその場所に、烏帽子をかぶった青年が立っていた。


戯言ざれごとを申すな。静かにこっちに来るのだ。だが、急げよ」


月明かりを背にしているため、少女からはその顔は見えないだろう。でも、その雰囲気を察したのか、少女は小さくため息をつく。


それまであった、にこやかな笑みを脇に置き、少女は真剣な顔で青年を見つめる。だが、全く動こうとはしなかった。


いつまでもそのまま動かない少女の態度に苛立ちを覚えたのか、青年は一歩足を踏み出す。

その瞬間――。


「いけません。兄様あにさま


小さな声。だがきっぱりとそう言い切った少女の言葉に、青年の足は止まっていた。


それを見届けた少女の目が、ゆっくりと青年の脇にそれる。


そこにあるのは、半透明な手の形をしたもの。不可視の体から伸びたようなそれは、その場でフヨフヨと漂っている。だが、その開いたてのひらは、明らかに青年を狙っていた。それ以上近づくと、青年の体をつかもうとするのが明らかだった。


青年は侮蔑の視線をその手に向ける。そしてもう一度、真剣な表情で、少女に向き合っていた。


にこやかに応える少女の瞳。でも、視線を落とした少女の頭はゆっくりと横に動いていた。


「何故だ!? 何ゆえに、お前は! いや、声を荒げてすまぬ。お前が犠牲になる必要はない。このままではお前の命が――」

「いいえ、兄様あにさま。そうではありません」


再び顔をあげた少女の瞳は、まっすぐに青年を見つめている。その眼差しの力強さに、青年はただ言葉を飲み込んでいた。


「犬神の血がそうさせるのではありません。すでに、わたくしは猫目九郎の妹です。凶星が再びこの世界にやってくるとき、あらゆる災厄が舞い降りる。その災厄を鎮めるのが、猫目一族の使命。そして、それは兄様あにさまの役目ですよね? ですから、わたくしはそうするのです。兄様あにさまが役目を果たすために、兄様あにさまの住むこの世界を守るために。たとえこの身がいかなる目にあおうとも、わたくしは猫目九郎の妹として、恥ずかしくない行いを――」

「ダメだ!」


少女の言葉を遮って、青年はもう一歩前にでる。瞬時に半透明の手が青年の左肩を掴む。

その瞬間、苦痛にゆがむ青年の顔。だが、それにもかかわらず、青年はまた一歩足を前に出そうとした。


「いけません! 兄様あにさま! もう、それ以上は」


一瞬、その声に青年の動きが止まって見えた。

それに安心したかのように、少女が小さく息を吐く。


でも、それはほんのひと時のものだった。


少女の拒絶の呪縛を振り切って、青年はまた一歩前に出た。

それに呼応するかのように、もう一つ半透明な手が青年の足へと伸びる。それでも前に進もうとする青年。それを見た少女の手は、その口を思わずふさいでいた。


また一歩。青年は引き止められる体を強引に前に進めていた。そのたびに、半透明な手が伸び、青年の体を掴んでいく。

苦痛に耐える青年の顔。

涙を浮かべた少女の瞳から、大粒の涙が両手を濡らす。


まるでそれで戒めが解かれたかのように、少女は口元を抑えていた両手を振りほどいていた。


「いけません、兄様あにさま! それ以上は! 呪いが御身をむしばみます! それに無理です。兄様あにさまがいかに強くおなりになっても、人の世にいるためには、守るべきものがあります。それを踏み外せば、人ではなくなってしまいます!」


「そんなもの、百も承知だ。長老どもの小汚い姑息な手になぞ、俺は負けん。夜番の猛者もさとて、俺の相手ではない。守るべきものを守れずに、人の世に居続ける意味などない」

兄様あにさま……。お切りになったのですか?」

「眠らせた。切り殺せば、心優しいお前が気にするだろうからな。だが、これ以上俺の邪魔をするなら、俺は何人たりとも容赦する気はない。たとえ、お前が悲しむことになったとしても」


さらに一歩踏み出す青年。そのたびに、何かの手が青年の体をつかむ。

それは見えざるモノの手。唯一見えるのは半透明なその部分のみ。


それでも歩みを止めない青年に、ついにその手は牙をむく。


兄様あにさま!」


小さな悲鳴が上がる前に、青年が腰につるした太刀を抜く。


青白く光るその太刀で、蛇の頭と化したその手を瞬時に切り裂く青年。

その余韻に浸る暇もなく、次々と周囲から襲いくるその手を切り刻んでいく。


微塵に切り刻まれたそれは、月明かりを浴びて淡い光を伴い揺れ落ちる。だが、折しも吹きこんできた風にのり、再び青年の周囲に舞い上がる。


――それはまるで、幻想的な花吹雪。


青白い刀身が、再び襲いくるその手を幾千にも切り刻む。そのたびに無数の欠片が舞い飛び消えていく。


月明かりの中、金色に光る青年の目が、再び元の色に戻るまで。


兄様あにさま……。その目……。鬼目……。まさか、鬼神きしん化を……」


再び訪れた静寂の中、少女は小さくつぶやいていた。


「お前は何も心配しなくていい。俺は俺のやりたいようにしているだけだ」

膝をおり、その手を優しく少女の頭に添える青年。

その手の温もりを感じながら、少女はただうつむいていた。


「安心しろ。お前は俺が必ず守る。この猫目九郎がいる限り、もう二度とお前の居場所を奪わせたりしない。お前の居場所はお前のものだ。たとえ、この世の全てを敵に回したとしても、この俺がお前の傍でそれを守る。たとえ神が相手でも、俺は戦って守って見せる。たとえ無理でも、俺は無茶で押しとおる。みすみすお前を神になぞくれてやるものか。俺達は猫目の一族だ。神に逆らうくらいがちょうどいい」


それは、青年が少女を安心させるために告げた精一杯の冗談だったのかもしれない。だが、うつむいたままの少女は、ただ『兄様あにさま、いけません。いけません、兄様あにさま』と小さく繰り返し呟いていた。


少女の頭を優しくなでたあと、青年はその手で少女をかかえ上げる。


「お前は俺の妹だと言ったはずだ。妹なら、この兄に従え。では行くぞ。長老どもから何を聞かされたのかは知らない。凶星の巫女の宿命だとか言われたかもしれないが、今更そのような世迷言よまいごとは聞き流せ。確かに、この里にくる前のお前には、犬神一族の使命があったのかもしれない。だが、お前は猫目九郎の妹になった。ならばその時から、お前の運命さだめは変わっている。今は亡き親父殿も、言っておったのを覚えておるか? この里に来た時の事だ。この俺に『命に代えてもその子を守れ』と言ったのだ。これは、あの親父殿も認めたという事だ。お前の運命さだめが、この俺に守られるものに変わった事を」


青年の胸に、強く顔をうずめる少女をかかえたまま、青年は月明かりの庭をゆっくりと歩み去る。


その足元に、どこからともなく現れた黒い猫をつれて。

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