第四章 過ぎし日の記憶

第25話追憶のクロ

暗闇の中、いくつもの小さな光が周囲を囲む。その他には何もない。

何も見えず、ただまっ黒。

その小さな光の周りでさえ、何も見えるものはない。

そう、ただ小さな光があるだけだった。


しかし、やがてそのうちの一つが大きくなる。

どんどんとその光は輝きを増し、周囲を白く染め上げていく。


光が近づいてきているのだとわかった、次の瞬間。

刹那の光の爆発が目の前で起きていた。


反射的に閉ざしたまぶたを通してさえ感じる強い光。

だが、それも徐々に収まっていく。


そして、再び目を開けた時、それまでと違う光景が広がっていた。


***


その洞窟の入り口で、青年が青白い太刀をふるっていた。見覚えのある姿、よく知っているその太刀。こういう風に見ると、どことなく何か変な気分になる。


そこにはあの日の俺がいた。目だけではない、鬼の角が生えている。

鬼神きしんの力をさらに引き出したモノ


周囲には屍の山が築かれている。足の踏み場を整えるように、俺がそれらを蹴り飛ばしていた。俺を囲う松明の明かり。それはまるで三日月のように取り囲んでいる。

天にある星々の照らす明かりを打ち消すように、松明の炎が幾重にも俺を囲っていた。


「九郎! もう観念したらどうだ? いかに鬼神きしんの力を宿したとしても、それには限界がある。みかどの勅命も降りた今、お前はすでに朝敵みかどのてきとなった。一人で抗い続けるな。くだれ、九郎! 今ならまだ間に合う。この兄が、お前を悪いようにはせぬ」


その声と共に、俺の真正面にある松明の明かりの中から一人の男が前に出る。俺と同じ服装をしていながら、その手には弓を持っている。


四郎兄者しろうあにじゃか。鎮西守護ちんぜいしゅごから戻ったか。厄介な奴を呼び寄せたものよ」

「九郎、久しぶりに会った兄に対して、その言葉はつめたかろう? 第一、そなたが役目を放棄した故に、我は呼び戻されたのだ。厄介な奴とはそなたの事だ。面倒な祭祀を我に押し付けた張本人が、どの口で申す。まあ、よい。それよりどうだ? 我が破魔の弓をくらうか? 鬼神きしんとなった今のお主には、たいそう手痛かろうよ」

「やってみろ、四郎兄者しろうあにじゃ。飼い犬と成り下がった者の弓など、この俺には届かぬよ」

「では、その身をもって味わうがよい。鬼神九郎きしんくろう。凶星が来る前に、犬神の巫女を天に返すのだ。すでに、おおよその儀式は終わっておる。この場でべてもよいだろう」

「それは人の理屈だな。すでに捨てた人の身。もはや俺には関係のないことだ。俺は俺の世界を守る。ただ一言だけ言っておくぞ、四郎兄者しろうあにじゃ。俺が守るは、犬神の巫女などではない。俺の妹だ。いや、たとえ少しの間だったとしても、四郎兄者しろうあにじゃも共に暮らした妹でもある。その妹が供物くもつのように扱われる。アイツ一人に全てを押し付ける。どいつもこいつも、アイツに死ねと強要する。アイツ一人で背負えるはずのない人の世とやらの為にだぞ? おかしいだろ、四郎兄者しろうあにじゃ。その人の世とやらに、アイツは含まれないのか? それを黙って見逃す四郎兄者しろうあにじゃ達こそ、俺には鬼に見える。自分の妹一人守れない人の世など、何の価値があろうものか。そんなもの、猫神にでもくれてやる」

「愚かな……。すでに心までも鬼神きしんと化したか。哀れな弟よ。お前ひとりがそう思っても、世は犬神の巫女を欲しておる。あの者はその役目を負って生まれたのだ。それが、あの者の宿命さだめ。それはお前も知っておろう。だが、今のお前に道理は通じぬようだ。せめて我が手でほふるのが情け。破魔の弓は地獄へと導くものゆえに、犬神の巫女と同じ世界には送ってやれぬ。だが、人の道を踏み外したそなたに、最後に人としての死をやろう」


四郎がその矢を弓につがえ、黒く光る矢を俺に向ける。


次の瞬間。


突風が周囲の炎を一瞬で消し去り、その軌道にあるものを全て薙ぎ払っていた。


ただ、それを受け止めた青白い太刀を振るう俺とその背後を除いては。


「ほう、さすがは猫目一族最強の宝刀ほうとう天黒羽剣アメノクロハノツルギを持つか、我が弟よ。我の居ぬ間に、親父殿より受け継いだとみえる。それは道理。だが、その宝刀ほうとうを持つ者の役目が何かも聞いたはずだ。本来、それを持つ者が祭祀さいし継承の役目を負う。親父殿もさぞ残念だろうな。だが、さすがだとは言っておこう。我が九曜きゅうようの矢を、無傷で受けきったのだからな」


感嘆の声をあげた四郎の手に、すでに三本の矢が握られている。

三本の矢をそのままつがえ、狙いを俺に定める四郎。


「だが、それもこれまでよ。一矢いっしは防げても、これならどうだ? 命おしくば、かわせばよかろう。だが、それでは巫女は守れぬがな。さあ、お前の本気を見せてみろ。一族の宿命を託されたその力のすべてを!」


三本の矢が同時に放たれ、一条の光となって俺を襲う。

その刹那。俺の太刀が真横に光の帯を作っていた。


まばゆい閃光が周囲に広がる。遅れて、衝突によって生まれた衝撃が、すべてを薙ぎ払うように吹き荒れた。


土煙が立ちこむ静寂の中、烏帽子を直す四郎の前に、青白い光が輝いている。

すでに四郎の周囲には、何ものも残されていなかった。


「そのようなものに、俺の道を示してもらいたくはない。アイツの運命も勝手に決めつけてもらっても困る。ついでだから、言っておく。親父殿が俺に言った事は一つ、『おのれを信じろ』だけだ。まあ、言われるまでもないがな。ただ、四郎兄者しろうあにじゃこそ、本気で撃ちこむべきだったな。兄弟のよしみだ、俺も手加減をしておいた。吹き飛ばされた他の者を連れて帰るがよい。だが、急がれよ。兄者あにじゃと違い、鍛錬が足りぬようだ。特に、近くにいた者達は瀕死に近い。ただ、今すぐにでも手当すれば間に合うだろう」


まるで吹き飛ばされた居場所を求めるかのように、周囲から風が舞いもどる。土煙をはるか上空に吹き飛ばし、星々の明かりを地上の恵みとしていた。


そして、俺の持つ青白い太刀がその姿をもっと浮き彫りにしていた。


「九郎! それは! まさか!」

四郎兄者しろうあにじゃよ、本気を見せろと言ったのは兄者あにじゃのほうだぞ? まさかこの九郎が、口だけの男だと思ったのか?」

「何故だ!? 九郎! そこまですれば、輪廻の外に自らをとす行為もの! 己だけすのか? 犬神の巫女は使命をまっとうしても、輪廻の輪の中にいる。そして、言い伝えではのちの世で人として生を受ける。そのために、人の世を守らねばならぬのだ。だから、先人たちは己を犠牲にしていったのだ。それを知らぬお前ではなかろう! そもそも、何の血のつながりもない娘だ。お前がそれほどまでにしなければならぬ道理はなかろう? 何故だ!?」


四郎はすでにたたかいを継続する気は無いようだった。その気配を感じたのだろう。俺の背後に浮かぶ巨大な鬼の姿は、俺の中に戻っていた。


「あまり大声で言うな、四郎兄者しろうあにじゃ。結界の中で聞こえぬだろうが、あれはなかなかに勘がするどいのだ。もはや、知っておるかもしれんがな。だが、アイツにはこの姿を見せておらぬのだ。見せたのは鬼目だけだ。それより、一郎兄者いちろうあにじゃからは本当に聞いておらんのか? 一族の禁忌を犯したことは教えたはずだ」


「いや、聞いておらぬ。もとより、力のない一郎兄者いちろうあにじゃが、それが見えたとも思えぬ」

「そうか、そういえばそうだったな。俺としたことがうっかりしていた。これで分かったであろう? 追手を向けることがすでに無駄なのだ。黙って引き下がってくれ、四郎兄者しろうあにじゃ。兄者たちの中でも、最もアイツを大切にしてくれた兄者あにじゃを殺すと、アイツも悲しむ。そもそも、俺も同族を殺すことには多少の抵抗がある。もっとも、すでに人間ではない俺が同族と言うのも変な話かもしれんがな」


背を向け、俺は洞窟の中に入っていく。その足元には、いつの間にか黒猫が付き従っていた。


その背中を見つめながら、四郎は小さく呟いていた。


「九郎……。朝敵みかどのてきとなったと言っただろう。我が帰れば、最強の鬼狩りの一族が出てくるぞ。出来るなら、一族である我の手で引導を渡してやりたかったが……。許せ、親父殿……。そして、頼む」


そして、世界が暗転する。


***


そこは元いた場所なのだろう。

いくつもの小さな光が俺を囲んでいた。


そうか……。

これは過去の出来事。魂の記憶か……。


この俺が知っていることだけでない。この俺が九郎として生きていた時を、この俺に見せているという事か……。


一体何の為に……。



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