第27話クロの目覚め

それからも、あの光景は続けられた。

何度も何度も、俺は俺自身を見せられていた。


魂の裁定と呼ばれるもの。

それがいかなるものか、本当は俺自身もよくわからない。でも、これと似たようなことに覚えはある。いや、かつてこれと似たようなことがあった気がする。

だが、それが何を意味するのかもよくわかっていない。


なぜ、それがあるのかもわからない。

誰がそれを仕組んでいるのかもわからない。

何故俺たちがそれを知っているのかもわからない。


分からないことだらけだ。でも、それは別に不思議でもない。

俺が人として生まれたわけも分からないのだから。


そもそも、俺は何故ここにいるのか。それすらはっきりと分かっていない。

全てはおよそ千百年前に起きた出来事が関係しているのだろう。


あの光景……。


結局、俺はアイツを守りきれなかった。ただ、その事だけは覚えている。

だが、未だにアイツの名前だけは思い出せない。単に忘れているなんて事は絶対にありえない。

あの後見た、俺の記憶のようなもの。

いや、九郎としての俺が生きた時代を見せられたあの光景にも、アイツの名前は出てこなかった。


名前は存在を示すものだ。それを思い出せないなんて、偶然にしては出来過ぎている。

何かの力が働いている。もしくは何者かが邪魔している。

だが、それすらも分からない……。


結局俺は、その命を守りきれないどころか、その存在すら守れていない……。


だが、誰に何と言われても、俺は絶対にアイツを思い出してみせる。アイツは確かにこの世界に存在したのだと。他の誰もが否定しても、俺がそれを証明する。


もう二度と忘れない。

本当は守りたかった。守り切りたかった。だが、この俺に力がなかった。


…………いや、ちがうな。


それはただの言い訳だ。俺には力があった。でも、その力に溺れた。それを過信していた。不可能な事はないと思い込んだ。俺が絶対だと思った。


そして俺が浅はかだった。


俺はアイツの気持ちを考えていなかった。

だから、俺は失った。守れなかった。守りきれなかった。


俺の記憶と、さっき見たアイツの顔が重なる。

あの時、アイツが最後に何を言ったのか。

その言葉を、俺はたぶん聞きそびれている。


だが、俺は知っているはずなんだ。知っている俺が、何故か忘れている……。


守ると誓った事は忘れていない。そして、そのための力を得た。俺の魂を代償にして。


それは覚えている。

だが、誰を守るのかを覚えていない……。


まったく、滑稽こっけいなな話だ……。


『ならば、お前は何を守る?』


――誰だ!? …………いや、違う。俺はこれを知っている。これは俺だ。俺の声だ。もう、惑わされぬ。姿を見せろ!


『お前は何を守る?』

――知れたこと。俺は俺の守るべきものを守る。茶番はいい。いい加減その姿を見せろ!


『お前の守るべきものは何だ?』

――ようやく俺の話しが通じたか……。そうか、今のお前はその姿で俺の前に出てくるか。猫目九郎ではなく、黒猫のクロの姿で……。


『お前の守るべきものは何だ?』

――せっかちな奴だな。だが、その姿をとっているという事は、俺は守護獣としての意識が強いのだろう。なら、今の俺が守るのはしずくだ。


最上もがみしずく


それがこの俺、千年守護獣黒猫のクロが守る者の名だ。


その瞬間、周囲の光景がいきなり変わる。うっすらとまぶたに光を感じ、ゆっくりと目を開ける。


再び、目覚めるために。


***


「クロ? よかった。目を開けてくれた……」

頭の上から聞こえたしずくの声。

そして、体に感じる温かく、やわらかな心地よい感触。


ここはしずくの膝の上か。どおりで居心地がいいわけだ。


「クロ。尻尾がくすぐったい。でも、本当によかった……」

みゃぁあぁん一応礼は言っておく

だが、それよりも――


「どうしたのクロ? 何を探してるの?」

――アキハ? どこだ? 寝てるのか?

(クロ!? クロ! クロ!)


にゃんきにするな

「なんだ、周りが気になっただけなの? ここはおばあちゃんの家だよ。犬神神社いぬがみじんじゃ。おばあちゃんが『クロが目を覚ますまでずっといなさい』って言ってたの。だから、大丈夫だよ」

そうか、この場所から移動しなかったということか。さすが、妖怪婆犬神ヨシ。賢明な判断だ。あの街より、ここの方が安全だろう。


――アキハ。あれから何があった? 俺はどのくらい眠っていた? 早く言え。お前が寝ぼけてる場合じゃないぞ?

(もう! 寝てないよ! それより何? いきなりその俺様的な態度は何なの? 私がどれだけ心配したと思ってるの!)


――文句はいい。だから教えろ、アキハ。どのくらい寝てたのかと聞いてるんだ。 重要なことくらいわかるだろ?

(うるさい! 知らない! バカクロ! 人の気も知らないで! 『無茶しないで』って言ったでしょ! しずくが飛び込んでこなかったら、どうするつもりだったのよ! いつもそう。私の気持ちなんて全く分かってくれない……)


――おいおい、そこからなのか? それはもういいだろ? しずくが飛び込んできた。それは俺も予想しなかったことだ。だが、そのおかげで助かった。もう、それでいいだろ? 俺はまた、ここにいる。無事にここにいるんだ。

(そうだけど! そうだけど……。でも、クロ。もう、あんな無茶はしないで……。あんなこと、もう二度とごめんだよ)


――ああ、そうだな。俺もそう思う。それより、どのくらい眠っていた?

(もう……。二日だよ。ずっと深い眠りについてた)


――二日か。思ったより短かったな。

(それはそうだよ。もうずっと、しずくがクロを抱えてたからね。寝る時は、お腹の上に置いてたよ。なぎさが代わるといっても、珍しく譲らなかったくらいだよ)


――そうか……。


にゃんありがとな、雫

「ふふっ、クロが素直だ。そうか、やっぱりそうなんだね。ありがとね、クロ。あおいの事、助けてくれて」

(何この子? もしかして覚えてるの?)


――いや、そんなはずはない。奇跡の発動は記憶を失うはずだ。受け入れられない事象は、人の心が夢か幻かと思わせるはずだ。

(でも、なんだか知ってる雰囲気だよ?)


――だが、コイツはあの光の中で意識を保っていた。ひょっとしたら、似たような体験をしているという事か? 人の一生で、奇跡の体験は二度起きることはない。でも、それがあるとしたら? ひょっとして、コイツの中には……。

(クロ?)


「ん? なに? クロ? 私の顔に何かついてる?」

にゃーおお前はだれだ?

(クロ? 何言ってるの? あおいの胸で頭がおかしくなった? もしかして、あおいの邪気が悪かったの? 食べ過ぎた?)


――うるさいぞ、アキハ。そんなわけあるか。俺は正常だ。だが、思い出した。あおいのフカフカはやはり別格だった。でも、今はこのしずくの感触で我慢してやる。ご馳走は、たまに食べるからご馳走なのだ。それが慎みつつしみというやつだ。

(うーん。そんなおかしなことを言うのは、いつものクロだ。よかった。かわってない。どこもおかしくなさそうだね。おかしいけど)


「不思議な目で見るのね、クロ。私だよ。しずくだよ。覚えてるよね? 忘れないでね? でも、クロが無事で、本当によかったよ」


俺の言うことを理解しているわけじゃない。ただ、俺の雰囲気を察しているという事か……。傷だらけの俺を心配しているだけ……なのか……?


(クロ? 聞いてる? いきなりどうしたの? もしかして、本当に忘れたの?)


――いや、俺の思い過ごしだ。気にするな。

(なんだ……。びっくりしたよ。クロがおじいちゃんになったのかと思ったよ。あっ、でも立派なおじいちゃんだね! もう千百歳超えてるもん)


――お前なぁ。俺の心はまだ十代。いや、現代で言うと二十代だ。

(苦し紛れの言い直しだね。自分の事、まだ子供だと自覚してるんだ)


――そんなことあるか。で、あおいの方はどうなった?

(ん? いつもならもうすぐ来るんじゃないかな? しずくがこうしてるから、あおいはほとんどなぎさの手伝いさせられてるよ。なぎさがずいぶん張り切ってるから)


――そうか。…………ん? まてよ? いったい何の手伝いをしてるんだ?

(んー。まあ、そのうち分かると思うよ。ていうか、もうわかってる? ほら、もうすぐ来るよ。楽しみだね!)


――いや、なんだか嫌な予感しかしないのだが……。できれば、退散したい。だが、この感触を今少し堪能したいと思う俺が、この場にとどめる。何と言う狡猾な罠!


(はい、はい。でも、しずくも落ち着いてるからいいかな……。これで私も安心できるよ)


***


「やあ、やあ! クロは目覚めたかな?」

なぎさ、いつもそうやって部屋に入るよね。しずく、クロの具合はどう?」

なぎさ、さっき目が覚めたよ。もう大丈夫だよ。あおいもありがとう」

「ホント!?」「!? よかった……」


あわただしい足音と共に、あの顔が俺のすぐ目の前にやってきた。


にゃあひさしぶりだな

「クロぉ~」


って、いきなり目の前で泣き出すなよ。


なぁーん大丈夫か?

「ん。心配ないよ。ちょっと取り乱しちゃったね。ねえ、しずく。もういいかな?」

「うん。ごめんね」

「ううん。何か訳があるんだよね。クロはしずくの猫だからね。でも、もう抱いていいかな?」


――いや、ちょっと今は勘弁してくれ。傷が開く。お前のそのフカフカはクッション性がまだないんだ。来年まで我慢しろ。いや、育つまで我慢しろ。ちゃんと待ってやるから。

(クロ……。もうすっかり元通りって感じだね!)


「クロ。本当に心配したんだからね」


――ふむ。多少は成長の兆しがあるのか? だが、どうせならクッション性に優れた隣で頼む。傷の治りも良いはずだ。


「黙ってあたしの前からいなくなったら嫌だからね……」

ぅにゃー、にゃーんわかったから、チェンジだ

「むむ。なんだかクロからよこしまな気配がする。クロ君? 何故、あおいを見てるかな?」

(あはは。ばれてるよ、クロ。この子も凄いね)


なぎさ。ちょっとかわって」

(え!? あおいから?)


――ようやくこの俺様の毛並みを堪能したいというわけだな。

にゃあ、にゃよかろう、許す


「むぅ……。なんだか、このまま締め付けたい気分だよ。でもまあ、しょうがないか。今日は貸してあげるよ、あたしのクロ。ただ、明日になったら改造するから」


――いや、まて。改造ってなんだ? いつから俺はおまえのものおもちゃになった!? お前はどこかの組織のモノか? いや、もういい。それよりも目の前のフカフカだ。ああ、この感触。まさに、極上の一品! これを味わいたいがために、俺はここにいるのだと思えるにゃあ。

(クロ! 顔がだらしないよ! 変になってる!)


「ありがとう、クロ。多分だけど、そう言っておかないといけない気がする」


――なんだ? コイツらは? いったい何がどうなってる?

(そうだね、なんだか怖いくらい)


「クロ。そんなに驚かないで。なぎさも、あおいもただ感謝してるだけだって。もちろん私もだよ。クロの怪我のおかげで、私達はまた元に戻れた気がするの。やり直すの。もう一度」

「そう、だからとびっきりかっこいい姿に改造するね!」

「私はこのままでもいいかな。なんだかとっても暖かい。癖になりそう」

「甘いよ、あおい。ほら、返して。もう、今からプチ改造するよ。改造したクロには、もう怪我しないように犬神神社いぬがみじんじゃ特製、『巫女姿のおばあちゃんズ』の写真を首輪に貼るから!」


――いらん! それは絶対魔除けにはなるだろうが、そんなものはいらん! いや、むしろそれ自体が魔物よくないものだ!


「あっ、逃げた。あっ、出て行った。思ったより元気そうだね、しずく

「そうだね。相当嫌みたいだね」


(でも、逃げた先が残念だったね、クロ)


――くそ! なんでお前達がそこにいる! くそ! 体さえ万全なら、お前のような巨体につかまる俺じゃないのに!


うにゃー!くそ! ふにゃー!離せこの! ふみゃあー!鬼婆と妖怪婆!


「あっ、帰ってきたよ。見て、しずく。なんだか捕らわれの宇宙人みたい。写真で見たことある奴。ねえ、なぎさ

「うん、よく見る奴だね。持ってるの、最上もがみのおばあちゃんだけだけど」

「クロ、あの持ち方されるのを嫌がるんだよね。首の後ろを触られるのが嫌みたい」「でも、相手はあの最上もがみおばあちゃん。全く通じないみたいだね。あんなに暴れてるのに、届かないもの」

(まあ、これまでの行いが悪いよね)

「ふふ、そうだよね」


「ほほう、元気だね。これならもう安心だよ。おや? できたのかい? なぎさや。この最上もがみシズと犬神いぬがみヨシさんの特性お守り首輪」

「うん。できたよ。このあたしにかかれば、簡単だよ!」

「そうかい、それはよかったよ。これはアタシ達からの感謝だよ、クロ。知ってるかい? こうやって素敵な写真を肌身離さずに持っておくと、その人とのつながりが生まれるんだ。アタシ達がアンタの力になるさ。アンタが墓に入るまでちゃんと持っておくんだよ」


みゃー、にゃあ、みゃあ!お前らがその墓場と繋がってろ!


――巻き込むな。それに、その分何かが逃げてく気がする! 絶対に呪われているぞ、それ!


なぎさちゃん。その首輪をよこしな」

「うん、犬神いぬがみのおばあちゃん」

「ふむ。ちゃんとあれはつけてるようだね。えらいもんだ。写真はまあ、おまけだよ。懐かしいね。しずくの初めての七五三の時だから、もう十年以上前だね。シズさんは全く変わらないね。この時はシズさんの体にあう巫女装束がなくてね、特別にこしらえたんだよ。クロ。これはお守りだ。もっときな」


ふみゃあ!いらんわ!

(もう観念したら? クロ?)


――こうなったら、暴れてやる! 力を使っても!

(あっ! クロ! ダメだよ! えい!)


「あっ、おとなしくなった。いきなりだね」

「まあ、もう一人味方がいたって事だろうよ。ほれ、しずく。お前がつけてやりな。この間教えただろ? ちゃんと教えた通りに念じるんだよ」


――やめろ、しずく! クソ! アキハ! お前! 俺を拘束しやがって! 後で覚えてろ!


「本当に、もう無茶はしないでくださいまし」


――しずく? お前、その目……。まさか!? さっきはそんな目じゃなかったぞ……。

(また一層深くなってるね……)


――どういう事だ? 何がどうなってそうなる? だが、もう元に戻ってる……。なんだ? 幻だったのか? 俺はまだあの時の記憶を引きずっているのか?

(ちがうよ、クロ。私も見た)


――どうなっている? 何か特別な力か? ……魂憑たまよりの力か?


その瞬間、犬神いぬがみヨシの言葉が、もう一度俺の頭の中で鳴り響く。

首に巻きつけられた、呪いの首輪についた鈴の音と共に。



魂憑姫たまよりひめ魂憑姫たまよりひめへと帰る。時を超えて』

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