第20話クロと雫と犬神と

「一番端を見てみな。ほら、ここに来た時の入り口の穴があるだろ。その右上だよ。あそこから順に、ぐるりとこの壁画は始まっていくのさ。だから、あの最初のは神話の時代だね。だから、今は詳しく説明しないよ。簡単に言うと、彗星には神様がいるとかなんとか書いてあるんだよ。まっ、アタシも詳しくはないからね。そもそも神話なんて、大部分は伝承の寄せ集めが多いからね。そうそう、干支えとの話なんかもあるね。まっ、その話は今はいらないね。余計な事をつい言っちまうのは、年を取った証拠だね。困ったもんだよ。とにかく、今日お前たちを連れてきたのは、あれを見せる為さ。ほら、入り口のちょうど反対側だよ。見えるかい?」


犬神いぬがみヨシの指先につられるように、しずくの体が後ろの入ってきた穴を向く。その壁画をなぞるように、しずくの視線がこの部屋を半周し、ある一点で止まっていた。


それを凝視するしずく。その姿を、犬神いぬがみヨシは黙って見守っていた。


「うん、おばあちゃん。わかるよ。あれがハレー彗星なんだね。そして、誰かがハレー彗星に両手を広げてる。その後ろにも人がいるね。その人の前には、はりつけになってる人なのかな? そして、その周りで祈りをささげてる人達だよね?」

「そうだね、両手を広げているのが、凶星ハレー彗星を鎮める一族を示している。はりつけ生贄いけにえさ。当時は、こうして生贄いけにえを差し出してハレー彗星を迎えてたのさ」


生贄いけにえか……。

ここにきてから色々と思いだしているが、その中でもこれは最悪の奴だ。

いやな記憶を呼び起こしてくれたものだ。俺が忘れたかった記憶を、よくも思い出させてくれたな、犬神いぬがみヨシ。


だが、何故だ。

俺が思っている以上に、俺は俺自身の事を忘れている。どうしても、アイツの名前を思い出せない。


生贄いけにえ……。神様が住んでるから? あっちに書いてあった宮殿みたいなのって、ハレー彗星の中?」

しずくの体が半分後ろの方を向く。指し示した顔は、やがて犬神いぬがみヨシへと戻していた。


しずくの態度に、それを説明しなければならない事を感じたのだろう。犬神いぬがみヨシは、小さく肩をすくめていた。


「そうだね、やっぱりそこから始めないといけないのかね……。まあ、いいだろう。そもそも、犬神いぬがみの一族では、あれを生贄いけにえとは言わないのさ。魂憑たまよりといってね。それに選ばれたものを魂憑姫たまよりひめという。まあ、物は言いようなのかもしれないがね。アタシは生贄いけにえでいいと思ってるよ。言い方をどう変えたって、犬神いぬがみの一族はその生贄いけにえに選ばれるための一族だからね。でも、この際だ。魂憑たまよりといっとくかね。犬神いぬがみの一族は魂憑たまよりの一族として誇りを持っていたみたいだからね。なにせ、普通の人間にはない、神宿りかみやどりという特異能力を持った人間が多くいたらしいからね。だがその特性は、権力者によって『特別なこといけにえ』に利用される。だから、せめて『自分たちは神に選ばれた』と思う事でごまかしたのさ。まっ、真偽は分からないけどね。まっ、それはともかく。神話で伝えられているのは、ハレー彗星に住む神様は寂しがり屋だったという事さ。そして、七十六年に一度地球にやってきて、自分と一緒に過ごす人間を求めんだとよ」

「だから、生贄いけにえなの? あっ、魂憑たまよりだった。でも、怖くないのかな? 死ぬんでしょ?」


再び犬神いぬがみヨシに向き直り、真剣な目で見つめるしずく。それを受けた犬神いぬがみヨシは、小さく頭を横に振る。


「さあね。アタシがそうなったわけじゃないしね。でも、怖くなかったはずだよ。伝承が正しければね」


おいおい、犬神いぬがみヨシ。お前も一応現役の巫女だろ? 神の扱いが雑すぎないか? それでいいのか? 巫女として。まっ、俺はどうでもいいけど。だが、『そうなったわけじゃない』だって? 何当たり前の事言ってんだ? 今でも……。いや、犬神いぬがみシズの若い頃でも、そんなことしてたら大問題だ。ていうか、そもそもお前がここにいること自体でそれは分かるし、お前には無理だ。


「そう……。死ぬことが怖くないって、いいよね……。でも、魂憑たまよりに選ばれた人の家族って、悲しくなかったのかな? 神様だとかで、割り切れるものなの? 急にいなくなっちゃうんだよ? そんなので、納得してくれるのかな?」


――しずく……。

(…………………)


「…………どうだろうね。昔の人の気持ちはわからないね。ただ、魂憑たまよりに選ばれたものは、神宿りかみやどりの能力が高い者しか選ばれない。だから、生まれてしばらくすると、それは分かるんだ。そして、子供の頃にその子の感情を封印しておくのさ。だから、本人は怖くはなかったんだろうね。ただ、親は複雑だっただろうね。でも、その当時はそれが必要な事だ。逃れられない運命だ。そう言い聞かせたのかもしれないね。でも、中にはそれを受け入れない人もいたのかもしれないね。いつの時代も、例外なんているもんだよ。でも、それは語り継がれないのさ。認めちゃならない事だからね。おや、話がそれたよ……。つまり、感情を封印するのが子供の頃っていうのは、そうしないと家族もいたたまれないっていう事なのかもしれないね。そういう意味で『感情を封印する』ってのは、本当は家族の気持ちを封印する事・・・・・・・・・・・・なのかもしれないね」

「封印? 感情を? どうやって? 何のために? そもそも、そんなことが可能なの?」

「どうやってかは、さすがのアタシもわからないね。伝承にも秘儀とされているから口伝くでんなんだろうよ。ただ、可能だとは思うけどね。しずく、わかってんだろ? 今のお前も似たようなもんじゃないか。ただ、何のためにというと、記憶を保持させるためだよ」


――なんだと!?

(…………………ねえ、クロ……。私……)


――なんだ、アキハ。今はこのばばあの話が先だ。あとにしろ。

(うん……)


「記憶? 何故? そんな事してどうなるの? 殺されちゃうんだよ?」

「ほら、神話の壁画の所にあるだろ? 魂憑たまよりに選ばれた者はね、十二回神様と一緒に地球を通り過ぎたら、その役目を終えるのさ。あとは地球に返してくれる。仏教で言うところの、輪廻転生ってやつだね。ほら、小さく帰っていく光が描かれているだろ? あれがそうらしいんだ。七十六年が十二回で約千年。長いよね、千年後だよ。魂憑たまよりになった者の魂が再び地球に帰ってきたときには、人間としての記憶があいまいになってしまうだろうね。その時、人として振舞えるように、記憶を神様が預かってくれるんだとさ。まっ、本当かどうかなんてわからないよ。でも、こういう事は何かわけがあるんだよ」


――封印の儀にそんな役割があったのか? しかし、あれから千年経っている。ひょっとして、生まれ変わっているのか?

(…………。クロ…………)


「そうなんだ……。なんだか、親切なのか迷惑なのか分からないね。でも、生贄いけにえ……、じゃなかった。魂憑たまよりになった人を納得させるためのお話だよね?」

「そうでもないよ。言っただろ? 犬神いぬがみの一族は神宿りかみやどりの力を持つと。あれは、自分じゃない魂を呼び寄せることが出来るからなんだよ」

「そうなんだ……。魂か……」


それだけじゃない。その体質はよくないモノ・・・・・・も引きつける。


「まあ、誰にでも出来るわけじゃない。かえでは無理だね。アタシもそこまでは無理だった。だが、しずく。アンタはできるはずなんだ。アンタのその目は、犬神いぬがみの中でも、とびぬけた力を持つ者がもつ者の目だ。幼い時は全くその気配はなかったんだけどね。まあ、それはいいか。ただ、そういう目を持つ者が、昔は魂憑たまよりに選ばれたものだよ。そして、それにはもう一つ言い伝えがある」


なんだ? それは俺も知らない事だぞ? でも、当たり前か。俺が犬神いぬがみの里の事をどれだけ知っているというのか……。


たしかに、はるか昔ここに来たことはある。

『アイツが、そこに描かれていることが必要になります』と言うから……。



「そうなんだ。それはお母さんも言ってたよ。私の目の色が変わったのは、あの後だって。これって、アースアイっていう珍しい目なんだって。自分で言うのもなんだけど、毎年色が変わっていく気がするんだ。最初は薄い茶色だったのに、だんだん青くなっていくの。よく『カラコン?』って聞かれるから、最近は『そう』って答えてるんだ」


小首をかしげ、微笑みを浮かべるしずく。誰にも向けられていないその作り物の笑顔は、すっかり板についていた。

それを悲しげな顔が受け止める。


高校になり、人と深くかかわらないようになったしずくが選んだ方法だ。無難な答え、あいまいな返答。それじゃあ、しずくという人間を薄めてしまう。犬神いぬがみヨシもそれを分かっているのだろう。


だが、それよりも――。


にゃー、にゃー話の続きをはやくしろ


「ごめん、おばあちゃん。クロが話の続きを聞きたがってる」

「ふん、クソ生意気な黒猫だね。まあ、いいだろう。教えてやるさ。『魂憑姫たまよりひめ魂憑姫たまよりひめへと帰る。時を超えて』」


――なんだと!? それは一体どういう事だ? 詳しく話せ、犬神いぬがみヨシ。

(………………………………)


「え? それって、どういう……」

「アタシもはっきりとは知らないよ。だけど、アンタが誰かの生まれ変わりなのかもしれないってことだよ。しずく。自分じゃない、誰かの、いや、昔の夢とか見てないかい? もし、そうなら。魂の記憶は、無意識化で顕在化するからね。寝てるときに見ることがあると思うよ。封印された、魂憑姫たまよりひめの記憶がね」


にゃーん?そうなのか? なぁーんはっきりしろ

(クロ…………)


「クロ? どうしたの? 今までおとなしかったのに。抱っこ? 最近、私に抱っこされるの、好きだよね……。ちがうか……。しってるよね。私がクロを利用してるんだもん。でも、今はちがう? クロ? 何か気になることがあった?」


――そんなことはどうでもいい。今はお前がそれを見てるかどうかが知りたいんだ。抱っこしろと言ったわけじゃないぞ? でも、どうしてもお前がしたいのなら、させてやる。ほら。


(クロ。覚えてないの? しずくは見てるよ、その兄妹夢)


――なんだと!? いつだ? そんな事、いつ話してた?

(クロがちゃんと聞いてないから……。でも、クロの記憶が漏れてるんじゃなくて、しずく自身が見てたんだね……。私もほとんど寝てたから、しずくが話してるのをはっきりと聞いたわけじゃないよ。たぶん、クロが人間だったころの事を言ってたと思う)


にゃーぁあん?そうなのか雫? にゃあ、なぁーんどうなんだ? はっきりしろ!


「うるさい黒猫だね。何をそんなに必死になってるんだい? しずくが困るだろうが」


「…………見てないよ。見たことないよ、そんな夢……」

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