第19話犬神の社

俺としずくが連れて行かれた場所は、犬神神社いぬがみじんじゃの御神体が安置されている場所だった。


山頂付近の切り立った崖を背にたっている犬神神社いぬがみじんじゃ。まるで崖そのものを背負っているようにも感じられる。

今は車で境内に入ってきたが、その道はお世辞にも立派なものだとは言えないだろう。ギリギリの道幅を、どうにか昇って来た感じだった。


運転している義守よしもりが、まもるに左側を確認させながら走っていたから明らかだろう。

基本的には長い階段を昇ってくるようになっている。つまり、容易に来ることが出来る神社ではない。当然、この神社の近くには人の集落はない。


つまり、一般的な氏子うじこがいて、それらが参拝することを目的としたものでない。

それは、この神社がそういう目的で作られたものではないという証だろう。


だが、それなら何を祭る?


切り立った崖のすぐ前にある本殿。それは岩肌にしっかりと密着するようにたてられていた。そして、周囲はかなり大きな木があることから、長らくこうしたつくりになっていたと思われる。


その本殿の最も奥にあるご神体の入れ物。通常、その箱にはそれご神体が入っているのが神社というものだ。


だが、犬神いぬがみヨシはその箱ご神体の入れ物を横にずらしていた。


いくらしわしわの巫女とはいえ、その行為は罰当たりと言ってもいいだろう。重いだの、何だのと、散々文句を言っていたのだから。

だが、そうした理由が徐々に明らかになっていく。


そして、犬神いぬがみヨシが額の汗を拭きとった時に、それは姿を現していた。


ご神体の入れ物だと思われた箱が置いてあった所には、ぽっかりと小さな穴が開いていた。


ちょうど人が四本足で歩けば通れるような穴が。


位置的を考えれば明らかだ。その箱ご神体の入れ物が置いてあった場所は、間違いなく本殿と崖の境の部分。

つまりさっき動かしたのは、ご神体を入れる箱ではない。崖の奥に通じるこの通路を隠すための箱だった。


事実、ここから見える穴の内部は、岩肌をそのまま残している。


つまり、ご神体はこの通路の奥にある。


だが、未だはっきりしない。俺たちに、それをわざわざ見せる必要があるのか?


当然のように、犬神いぬがみヨシは進んでいく。何も説明がないので、しずくは黙って穴の中を覗いている。


「ついておいで」


未だついてこない気配を感じたのだろう。犬神いぬがみヨシはそう声をかけてきた。声の感じから、まだ通路で四つん這いになっていると思われる。だが、しずくは、それでも入るのをためらっていた。


大丈夫だ、しずく。狭いのは最初だけだ。お前の尻なら十分通れる。


「最初さえ通れば何とかなるよ、早くしな」

そう言われて、しずくは俺を振り返る。


にゃんお先にどうぞ

もちろん俺はレディーファーストという言葉を知っている。

何か言いたげなしずくだったが、小さくため息をついて入りだす。


しずくの頭が入っていくのを見守るうちに、俺は一人になった事実を確認した。


そう、まだそこに尻はあるが、俺は一人。

これはやはり、何かの啓示なんじゃないか?


そう、この瞬間に見えた選択肢。

俺には『ここから立ち去る』という選択肢が出来ていた。


まもる義守よしもり最上もがみシズは買い出しに行って留守にしている。未だにパジャマ姿のなぎさは、一人で何かを作り始めた。昨日も徹夜したらしく、傑作が出来上がったと自慢していた。同じものを作ってみると息巻いて、色々家や物置を物色しているところだろう。


そこまで言われると気になったが、犬神いぬがみヨシの用事に付き合わされて、ここにきている。


――この状況。もしかして、今俺の行動を邪魔するものは皆無じゃないか?


そう。今、あおいは一人で犬神いぬがみヨシの家にいる。あんな朝早くに、どこに行くつもりだったのか知らないが、普通に出かける用意をしていた。

だが、その顔はやつれている。

以前に比べて、心労がたたっているのかもしれない。雰囲気にも、微妙に怪しげなものを感じる。しかし、それだけでははっきりしない。

以前のようにしずくを取り巻く他者に対して、攻撃的な気配は漏れていない。おそらく自分なりの折り合いがついているのだろう。

だが、何となく怪しい気配はある。おそらく高校生活になじんでいない事が原因だろう。


あおいの場合、邪気を自らにため込む部類なのだ。だから、外に漏れ出てない限り、判断がつきにくい。

しずくなぎさといた時は、適度にそれが発散されていた。だから、問題になるようなことはなかったのだろう。


いずれにしても、それは直に触れて確かめなくては分からない。

今までことごとく邪魔が入り、その内なるものがどうなっているのか、まったく見当がつかなかった。


――でも、今なら邪魔は入らない。あの、魅惑のフカフカの前に壁はない。ついでに内なる状態も確認する。


…………あれ? まあ、いいか。ちょっと調子くるうな。


この俺がわざわざ慰めに出向くんだ、あおいは感激で思わず抱きしめてしまうだろう。

もし、反応しなくても、『小首をかしげた必殺の瞳だいじょうぶ?』で見つめれば、大抵の人間は俺を抱きしめる。


これは最大のチャンスかもしれない。だが、安易にそれは選べない。

そう、ここが気になるのも確かだ。

何故かわからない。

しかし、俺の中の何かが、犬神いぬがみヨシについて行くことを選ばせて、ここにいるのは確かだ。


そしてもう一つ。

比較的楽に通っていった犬神いぬがみヨシに比べ、発育のよくなったしずくは、まだ入り口のところに尻がある。


その動きは俺を誘っている。俺に来いと言ってる。

あおいのフカフカの未知の感覚を味わうかしずくの尻が描く魅惑の動きに翻弄されるか。


この二つの選択肢は、この神社が俺に何かを突きつけているのか?


――仕方がない。いってやるか。あおいは逃げないだろうからな。言っとくが、しずくの健康的な太腿と尻の動きが気になったわけじゃないぞ、アキハ。この場所がやはり気になるからだ。…………アキハ? なんだ、また寝たのか……。なんだか調子が狂うな。まっ、それも静かでいいか。


すでに、しずくの姿は見えない。思った通り、入り口だけが狭かったのだろう。


(クロ、私ちょっと先に行く)


――なんだ、起きてるのかよ……。

しかし、どうも調子が狂う。


いつもなら、最初にアキハが何か言ってくるところだろう。でも、この神社に来てからというもの、アキハの様子が変だった。今も、いきなり飛び立って、闇の中に消えていく。光が全くない闇の中に、よく飛びこんで行けるもんだと感心する。まるで、その構造を知ってるかのような……。


いや……。やはり、俺も知ってるのか?


この岩肌。この空気。ここに入って、あらためて感じると、ますますそう思えてきた。


入り口付近はかろうじて神社の明かりが差し込んでくる。だから、かろうじて俺がわかる程度の場所だ。

この洞窟のような場所がどの程度の広さかも見当がつかない。でも、俺もなんとなくわかる気がした。


ここは、比較的広がった空間だ。


「明かりをつけるよ。まぶしいから目に気をつけな」

犬神いぬがみヨシの言葉と共に、一気に視界が広がっていく。



――これは……。この壁画。俺は知っている。見たことがある。何故だ? これが何故ここにある? これは……。犬神いぬがみ一族! そうだ、あの犬神いぬがみの一族だ! 何故今までわからなかった? 俺は忘れていたのか? いや、部分的には覚えていたはず。だが、肝心な事は忘れていたのか? このほろんだ一族を!? この俺が? バカな!?

(………………)


「すごいね、おばあちゃん。神社の奥に、こんなとこがあるなんて知らなかった」

「すごいだろ、しずく犬神神社いぬがみじんじゃは、代々この壁画を守り続けているんだよ。もっとも、これもアタシの代で終わりかもしれないね」


「どうして?」

「どうしてって言われてもね。まあ、後継ぎがいないからっていうのがあるかね」

「そっか……」

しずくや、お前が気にすることじゃないんだよ? もともと、犬神いぬがみの一族はある時を境にして滅んだのさ。危険を予知して逃げ延びた者がいた。その末裔がアタシたちだよ。いや、そもそも一族の持っていた宿命から言えば、滅びる運命だったんだろうね」

「どういうこと?」

「あれをごらん。あそこに大きく描かれているのは、彗星さ。今もニュースでたまに流れてるだろ? 七十六年に一度地球に接近する彗星のこと。今度来るのは二年後だね。ちょうどしずくが十七歳になった後くらいじゃないかね」


そうだ、凶星だ。また、アイツがやってくる。


「ハレー彗星の事? でも、二年後だね。なんだか実感わかないな」

「そりゃそうさ。なんたって、一度もお目にかかれない人だっているんだ。でも、それだけじゃない。昔の人にとって、夜空にでっかい尾を引いて現れる星は脅威だったんだろうよ。凶星とか、天の警告とか、いろんな呼ばれ方をしてるけど、一貫してよくない事が起こると思ってたみたいだよ」

「そうなの? でも、彗星って周期的にくるよね? だったら、そんなの怖がる必要あるのかな? だって、おばあちゃんなんて、二回見ることになるでしょ? 記録だってあるわけだし」

「そうさね……。でも、たまたま何かが起きたとする。そのせいに誰かがしたら、どうなると思う?」

「ハレー彗星が運んだと思うの? そんなのこじつけだよね」


そうじゃない。そうじゃないぞ、しずく。アイツがどうだという訳じゃない。ただ、人がそう思っていることが問題なんだ。漠然とした不安の中にこそ、人の心が乱れるんだ。


「そうだね、たぶん人は何かと理由をつけたがるのさ。分からない事は特にね。例えば、『闇を恐れる気持ち』がある。それは『お化けがいるから』という理由にするとかね。『お化けがどんな物かもわからない』けど、『恐ろしいモノとしてわかっている』と思い込むことで、それが理由になるんだよ。面白いだろ? でもね、それもバカにできないんだよ。分からなくても、闇の中にうごめくものを感じているから、恐ろしいのかもしれないからね。要するに、目に見えるようになれば安心するんだよ。どんなお化けも、結局見えるように描かれるもんさ」

「うーん。よくわかんないな。難しいよ。でも、昔はともかく、今はそんなことないよね? 色々わかってるんだし」

「いや、そうでもないよ。分かった分だけ、恐怖も増えるもんだよ。前に来た時はね、それこそハレー彗星の尾の部分。その部分に有毒物質があるってわかってね。ちょうど尾の部分に地球が通過することもわかったんだよ。知らなかったらどうでもなかったんだろうけど、知っちまったら恐怖する。中毒死だとか、窒息死だとか訳の分からないデマも飛んだんだよ? そうそう、尾の部分に入った途端、地球上の空気が五分程無くなるとかって話もあったりしたね」


ああ、そんなこともあったな。

息を止める練習する奴とか、空気をためておくチューブを用意する連中もいたな。多分、今ならなぎさあたりがそうやって備えるだろうな。


だが、それより。

世紀末思想にとりつかれて、あの時は邪気がひどかった。そのために自殺する者が結構な数いたはずだ。あおいのようなタイプが最もそれに近い。不安と焦燥と邪気が混じり、普通では考えない思考にとらわれていく。その結果、自ら死を選ぶ道を見つけてしまう。そして、それしかないと思い込む。本当に厄介なものだ。


そして、生贄いけにえにされた人間も……いた……。いや、されそうになった……か……。


「なにそれ? おもしろい」

「今では笑い話さ。でもね、当時は信じられたんだよ。何故かわかるかい?」

「うーん。わかんないよ」

「そうだね、分からないからだよ」

「どういうこと?」

「そうだね……。人間は知っている事でしか理解できないからだよ」


犬神いぬがみヨシ。それでは説明にならないだろう。この平和な時代に生まれた者は潜在的な恐怖を心に抱えていない。あの時は、社会全体が不安な空気に包まれていた。だから、その心の隙間にデマや噂が入り込む。しかも、情報の拡散力も影響している。誰かが不安な心に何かを付け込んだことが一気に広まるんだ。あの時の邪気はあらゆるところに飛び火したんだ。


「ますます分からないよ」

「まあ、それは今度教えてやるさ。今はここに連れてきた理由の方が先だね」


このばばあ、誤魔化しやがった!

だが、それは俺も気になる。何故これがここにあるのか・・・・・・・・・・・・? そして、何故俺は今まで忘れていた?


「この壁画はね、昔あったことを記してるのさ。神話の時代から、犬神いぬがみ一族が猫目一族に滅ぼされた時までの事をね」

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