第18話犬神の家

「よく来たね、アンタたち。ここは何にもないところだよ。だからこそ今のアンタらにはちょうどいい環境だろうよ。特にしずくとそこの髪の長いお嬢ちゃんにとってはね。確かアンタあおいちゃんって言ったかね。まあ、なぎさちゃんはついでみたいなもんだ。しかも、そんな恰好で連れてこられて、不憫だねぇ。まあ、お詫びと言っちゃあなんだが、アタシの用事の時以外、クロの事は煮るなり、焼くなり、好きにしてくれていいよ。おや? まもる。ちょっと見ない間に、性根の座った顔つきになってるね。いいだろ。アンタも泊めてやろう。ただし、この後、街までの買い出しに行くんだよ! 義守よしもりさん、アンタは帰るでいいんだよね? この様子じゃ、かえでもこっちに来るんだね」


開口一番、とんでもないことを言う老婆巫女犬神ヨシ。絶対後でひっかいてやる。

だが、犬神いぬがみヨシの、この状況把握の良さは何だ? たぶん、この中で一番状況を理解してるのは、この老婆巫女犬神ヨシじゃないのか?


ここにいる人間たちは、いったいどう考えているのだろう。

この箱キャリーケースの中に入っているから、はっきりと顔は見えない。だが、おそらく皆、唖然とした表情になっているに違いない。車の中では、ほぼあの鬼婆最上シズが一方的に話していた。


どうでもいい、義守よしもりの子供の頃の話を。


八人乗りのボックスカー。義守よしもりの運転、まもるが助手席。

二列目の中央に最上もがみシズが座り、その両隣になぎさあおいが座っていた。

そして、最後尾にはしずくが一人で座っていた。しずくの隣は全員の荷物――といっても、なぎさあおいの分はない――が置かれ、俺はずっとこの箱キャリーケースの中で荷物の群れと一体化していた。


はっきり言って屈辱だった。


電車に乗るというから、俺はおとなしくこの箱キャリーケースの中に入るのを我慢したんだ。あの人ごみの中に入るのはもう御免だからな。


だが、状況は変化した。車だ。移動が電車から車に変化した。


瞬時に俺は、俺の華麗な計画を思いついた。


車は完全な密室。しかも、人間は席を自由に移動できない。

だが、俺は違う。やりたい放題だ。


まず、しずくの膝の上でおとなしくしてるふりをする。早起きしたしずくは、だんだん眠くなるに違いない。

そこで、すかさず前の列に移動する。なぎさを経由しても問題ない。

最終的に、あおいのフカフカを堪能する。


問題は、常に真ん中の位置にいる最上もがみシズだ。

コイツが厄介だ。

だが、最上もがみシズも人間。後ろには目がない。だから、計画がとん挫しそうなときは、いったんしずくに戻ればいい。


この瞬時にひらめいた、俺の完璧パーフェクトな計画!


それが、この箱キャリーケースから出ることができないという予想外の出来事の為に頓挫した。


クソ! 暴れてやろうか!

車の中で、最上もがみシズのどうでもいい義守よしもりの話を聞きつつ、そう思っていた。 

だが、そのたびにかえでのあの顔がちらつき、自重した。


まあ、予想外のあおいとのイベントだ。まだ、十分チャンスはあるだろう。

甘えた声をなぎさに聞かせれば、たぶん出られる。


結局、ほとんどなぎさしずくは寝てたから、俺はこの箱キャリーケースの住人となったままだった。


だが、俺もかえでに甘くなったものだ。めしにつられたわけじゃないが、ついでにかえでも守ってやってもいいと思ってしまう。

まあ、それはできないのだがな。


今回、かえでは一人で残っていた。


元々、しずくが一人で行くつもりだったから、自分は予定していなかったというのもあるだろう。でも、かえでの一言は、最上もがみシズの暴挙の後始末をしてから来る意味だというのは明らかだった。


『ほら、いろいろ説明がまだだろうし、通報されても困るしね。年頃の女の子が、体一つでどこかに行くなんてありえないから。しずく、あなたのを少し余分に持っていきなさい』


遠い目をしていたかえでの顔。

おそらく何歳か老けたのかもしれない。――絶対本人には言わないけど……。


降りるときに、しずくが荷物下ろしを主に手伝っていたから、最後に降りたことになる。その時なぎさこの箱キャリーケースを渡したから、今俺はなぎさと共にいる。


「ほんと!? ラッキー! 犬神いぬがみのおばあちゃんは、話が早いよ! 楽しみだよね、クロ!」

パジャマのまま、一人喜びの声を上げるなぎさ。だが、顔の高さまで上げるなよ。その分俺が揺れている。


「あっ、でも。クロと遊ぶものがないや……。ねえ、犬神いぬがみのおばあちゃん。あとでちょっと色々作りたいから、道具とか色々貸してね!」


――おい、なぎさ。喜ぶのは勝手だが、この箱キャリーケースはもっと丁寧に扱えよ。いや、それよりいい加減にここから出せ。お前の成長の記録は後で確かめるとして、今はあおいに俺を預けろ。


「わかったよ。今回アンタだけは完全にお客さん扱いしてやるよ」

「ホント? ラッキー! クロ! 待っててね!」

「おや、アタシは違うのかい? そいつはつれないじゃないかい?」


一つ頭が出ているところから、それらしく文句を言う最上もがみシズ。

だが、俺には何となくわかっていた。

その言葉に反応した、犬神いぬがみヨシの挑戦的な口元が見えたから。


「アンタが勝手につれてくると言って飛び出したんだろ? アタシの用事は、そこの黒猫としずくだよ。だから、そう言ってあったはずだよ。『しずくと黒猫を呼んである』ってね。あとはアンタがアタシの話雫の近況を聞いて飛び出したんだろう? 何なら昨日までの寝泊り賃を請求したっていいんだよ? 三食昼寝つきはさぞ快適だっただろうね」


小さく鼻を鳴らす犬神いぬがみヨシ。その話を受けて、最上もがみシズは豪快に笑っていた。


「快適だったよ! 人里から離れたここは空気も美味い。それに、アンタの料理も格別だったね! 欲を言えば、肉が欲しかったところだけどね。まあ、ここは山の中だ。どうしても欲しくなったら、その辺から仕入れるよ。家賃がいるなら、今から帰る義守よしもりに請求しておくれ。義守よしもり! お中元に何か送っておくんだ。どうせここに一人でいるんだ。せんべいか何か適当に送っておけばいいだろう!」


なるほど、かえでの料理の腕は、犬神いぬがみヨシの仕込みか。それならちょっと安心できる。

だが、肉がないのは不便だな。


よし、最上もがみシズ。お前の狩り。特別に俺が同行してやろう。


「シズさんや、そういう事は聞こえないところで言っとくれ。義守よしもりさんも、大変な人を母親に持って大変だね」

「アタシは、隠し事が嫌いなんだよ。どうもこの子は、それがわかってなくてね。大事な事を言わないんだよ。だからついついでしゃばってしまう。ほら、早く荷物を入れな、まもる! 義守よしもり! ぼさっとすんじゃないよ! 言っとくけど、この家も、あの神社もボロ屋なんだ。丁寧に歩くんだよ! うっかり壊すと、罰が当たるから気をつけな! あと、廊下の途中に落とし穴があるから、それも気をつけるんだよ! いいかい? アンタたちも分かったね」


ここからでは、最上もがみシズの姿は見えない。だが、このばばあたちは本当に気心が知れているようだった。

犬神いぬがみヨシの顔には、全く嫌味な感じが見られない。


「ボロ屋は一言多いんだよ、シズさん。ここは、平安時代からある由緒正しい犬神神社いぬがみじんじゃだ。アンタが一番罰当たりだろうが。大体、アンタが踏み抜いた床を、落とし穴呼ばわりされたかないね」


「おや? そうだったかね? 年寄りになると、物覚えが悪くてね。どのみち、足元には気を付けた方がいいってことだよ。まあ、こんな所で立ち話もなんだ。山の上とはいっても、太陽の下は暑いからね。早く入ってゆっくりとするか。車はいいけど、どうもあたしには窮屈だよ。ほら、アンタらもさっさと入んな。何にもないところだけど、遠慮しなくていいからね」


「アンタはちょっと遠慮してほしいところだよ、シズさんや。そうだ、アンタが勝手に人数増やしたんだ。責任とって、まもると一緒に買い出しに行ってもらおうかね!」


「まっ、しょうがないね。義守よしもり! 帰るのはまだだよ。あとで肉を買いに行くからね! それまで、お前も上がっていきな。麦茶くらいしかないけど、勝手に飲んでいいからね」


俺の目の前を通り過ぎるようにして家に入る最上もがみシズ。

その背中が視界から消えるとき、犬神いぬがみヨシの視線を感じた。


にゃーん俺に一体何の用だ?

「ふん、いい面構えじゃないか。そう焦りなさんな。あとでいい所に連れてってやるよ、クロ」


――あいにく、圏外認定した婆さんと一緒に行く趣味はない。隙を見て、逃げ出してやる。なぁ、アキハ。

(……………………)


――アキハ? どうした?

(……………………)


――なんだ? まだ寝てるのか? まあ、いい。移動中にあれだけ寝てたくせに、まだ寝るとは、ますます横に広がっても知らんからな。


(ねえ、クロ…………。私…………、ここ……知ってる気がする……)

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