第三章 変化する時の流れ

第17話新しい生活

無事に高校生になったしずくは、なぎさあおいと同じ家から近い公立高校に通っていた。まもるの通う進学高に合格できると言われても、しずくは自分の実力からすると下の高校に入っていた。


『近いから』

ただそれだけの理由で、しずくはそこを受験した。


その事で、一番喜んだのはなぎさだろう。新しい生活を前にして、皆不安と期待が交じり合う。そんな時に、気心の知れた人がいるというのは、たぶん心強い事だろう。


これで、幼稚園から高校まで、しずくなぎさは同じ道を歩むことになる。

だからだろう、あおいも同じ高校を受験することを決めていた。本来なら、もっと上の進学校に行ける実力を持っているにもかかわらず。


あおいの場合は、周囲の反対を押し切ってそこを受験したようだった。学校の先生に理由を聞かれても、一切その理由を答えずにいたようだった。


最初はあのなぎさですら、あおいの決断を真剣に心配していた。

『理由を聞かせろ』としつこく迫っていたのもなぎさだった。


かたくなに口を閉ざしていたあおい。でも、俺はその理由を何となくわかっているつもりだ。

人の想いは、その相手の方へと流れていくのだから。


それでもしつこく理由を聞くなぎさ。そしてついに根負けしたのだろう。三人で帰る途中で、あおいはその理由を口にしていた。


しずくなぎさに説明した理由に、なぎさは妙に感動したようだった。


『高校生活で通学に時間を使うのはもったいない。目指す大学は高校で受かるわけじゃない。だから、勉強は自分自身で頑張ればいい。一度しかない高校生活だから、それを楽しまないと!』


それが本当の理由でない事は明らかだが、それもまた事実の一つだろう。


しずくはいつもの笑顔のまま、『またいっしょだね』と合格発表の日に告げていた。


そこからあわただしい日々が続いていた。


だが、あれからしずくの身に、危険な事は起こっていない。

相変わらずこの街を覆い尽くしている邪気は、毎日いくら喰っても減ることはない。むしろいろんなところから集まってくるのではないかと思えるほど、全く祓える気がしなかった。


本気か冗談かわからないが、アキハは今でも時々言っている。


最上もがみシズに来てもらったらいいよ。毎日手を叩いて、街中を歩き回ってもらったら楽勝だよ! 『火の用心!』みたいな?』


まったく、安っぽい柏手かしわでだ。

それに、一体誰があの最上もがみシズにそれを依頼するというのか?

猫の俺が話した途端、まず化け猫として絞め殺されるに違いない。



百歩譲って依頼が成功したとしても、あの最上もがみシズだぞ?

柏手かしわでをうちながら街中歩いてたら、絶対通報されるに決まってる。


あの時ですら、事情聴取にどれだけの警官が周りを囲んだことか……。

しずくまもるの証言と、公園の監視カメラがあったからいいようなものだ。


もし、それらがなければどうなってた?


昏倒した人たちの中心で豪快に笑っていた人物。当然のように、加害者として任意同行を求められる。それが気にくわなかった最上もがみシズ。


何人かをその雰囲気で圧倒したのも悪かった。気の弱い奴は、腰に手を伸ばしてたから、しずくがとりなさなければ、銃を向けられていたかもしれない。


まあ、それでもあの鬼婆おにばばがひるんだとは思えないが……。


それでも任意同行の末に、最上もがみシズがしずくの家に帰ってきたのは翌日だった。

その不機嫌な様子と、義守よしもりの頬についた紅葉ビンタのあとを見れば、大体何があったか想像できる。


当然その矛先はまもるにも向き、二人してまた週末に最上もがみシズの家に行くこととなった。

だが、まもるの顔つきは以前とは違っている。言葉だけでなく、そこに意志をのせるようになってるのだろう。次に何かあった時の為に、まもるの瞳にはその決意が宿っていた。


でも、それからは特別何かが起きているわけではない。


一刻いっときのことかもしれないが、しずくの周囲はとりあえず落ち着きを見せていた。


めぐる季節の移り変わりは、人の感情を激しく揺さぶる。戸惑いと不安に満ちあふれているが、それは誰かに対しての想いではない。


それは自分自身へと向かう。だから、この季節は自分を見失うものが多くいる。


だから、少なくともしずくは心配ない。なぎさあおいがそばにいる。

だが相変わらず、不安要素は残っている。最も近いところにあるもの。それを俺はまだ確認することが出来ていない。



『一緒のクラスになれますよーに』


なぎさは度々、その想いを口に出して願っていた。高校になって最初のクラス編成。それは、期待と不安が入り乱れているものらしい。なぎさほどではないにせよ、あおいしずくも思っていることは同じだったと思われる。


だが、三人が同じクラスにはならなかった。ただ、なぎさあおいは同じクラスになっている。


そう、しずくだけが一人違うクラスになっている。


だが、そのクラス編成を見に行った時のしずくは、どこかほっとしたような笑顔で、二人に一言だけ告げていた。


『残念だけど、仕方ないよね』と。


俺はその時のしずくの顔と言葉が忘れられない。

あの時のしずくの顔を、たぶん俺はどこかで見ている気がする。


だが、どうしてもそれが思い出せない。


今の姿になった時の事なのか、それ以前の俺の記憶なのかもわからない。ただ、知っているとだけわかっていた。


それはたぶん大切だったに違いない。だが、俺はそれをいつまでたって思い出せないでいる。


そして新しい環境は、それぞれに変化をもたらせていく。


最初の頃は帰りを同じにしていた三人も、いつの間にかバラバラになっていた。

しずくは、すでに新しい環境に溶け込んでいる。相変わらず笑顔のままで、誰とでも仲良くしている。


だが、やはりそれ以上踏み込むことはなかった。


何処かの部活に所属することなく、授業が終わると、さっさと身支度をすませて図書室に向かう。そのまま遅くまで図書室で本を読んでいる。そんなしずくを、幾度となくあおいが訪ねて来ていた。

しかし、それは毎日ではない。あおいあおいで、早くから塾に入れられていた。それがこの高校に行く条件だったらしい。


しかし、しずくはそんな時に限って休み時間に、誰かに遊びに誘われていた。そんな時は、新しい友人たちと一緒に下校するしずく


そんなしずくあおいは、遠くから眺めていた。そして一人、あおいは学校を後にする。しずくよりも先に。


だが、しずくの方はというと、校門までの道すがら、俺の姿を探しだしていた。


そして、いつも俺を抱えては申し訳なさそうに告げていく。


『ごめーん、クロが迎えに来てるよ。この子、新しい場所に連れてくとすぐ迷子になるんだよね。このまま家に連れて帰るね』


まったく、失礼な奴だ。出来るなら、名誉棄損で訴えてやりたい。

この俺は、ほぼ日本中を旅した身だぞ? こんな狭い街で迷子になるわけないだろ?


だが、あの時と比べて成長しているしずくに抱かれると、そんな気持ちもどこかに行く。家までの道が、とても快適になっていた。


成長するという事が、こんなにも楽しいものだとは思わなかった。


そんなことが夏まで続く。いつしか、しずくの周りにあおいの姿が見えなくなる。


でも、そんなことが続くと、しずくの周りも変化していた。


誰もしずくを誘わなくなっていた。

教室で他愛ないお喋りをしているしずく。だが、それはそこにいているだけの関係だ。


まるで空気のように、教室の中にいる。だが、それだけになっていた。


家と学校とを毎日往復するだけの生活が続いていく。何も変化がない生活。

だが、それをしずくは当たり前のように続けていた。いや、どこか以前よりも肩の力が抜けているようにも思えてくる。


ただ、そんなしずくの生活にも、ときおり変化はあった。


それはなぎさの存在だった。


家の近いなぎさは、今まで通りしずくの家に遊びに来る。妙な物を持ってやってくる。


相変わらず成長がない。不憫な奴だから、俺は仕方なく相手をしてやる事にしている。


しずくと違い、全く成長の欠片かけらも見せないなぎさは、その抱かれ心地も全く進化することがない残念な存在だから。


しかし、それは誤りだった。


最近、俺は知ってしまった。あのなぎさの! あの母親を!


何という事だろう。あの驚愕の事実! 青天の霹靂せいてんのへきれき


あの時は、『白鳥がアヒルを生んだ!?』と本気で思ったほどだった。

いや、そうじゃない。いかなる時でも冷静な俺は、今まで初歩的な間違いに気が付かなかった・・・・・・・・・・・・・・・・だけなのだと理解した。


なぎさは白鳥になる子だった。ただ、子供の時間が長いだけだ。子供っぽいのはそのせいだろう。


人は日々成長する。


成長万歳!

千年以上生き続けている俺は、成長とは無縁の存在。だから、甘く見ていた。


かえでがあれでも、しずくがああなった。その成長に、俺は痛く感動した。

なら、すっごいなぎさの母親だ。あれを受け継ぐ可能性がなぎさにはあるという事だ。


じゃあ、成長したらどうなる?


それから俺の中で、なぎさの存在は無視できないものになっていた。

それに、なぎさしずくの代わり映えのない生活に、唯一の変化と呼べるもの。


だから、俺もそれに協力してやっている。いつかくる、フカフカのために!


たとえ会うたびに、残念な気持ちになったとしても!


ただ、もっと残念な事がある。俺はいまだにあおいのフカフカを味わっていない。

高校入学してから、あおいと会う日は、日に日に少なくなっていた。

だが、たまに見かけても分かる。それがさらに進化を遂げていた事を!


そして、俺は理解した。他の生徒もそうだということを。


この学校には、成長を促進する何かがあるという事を!


それ以来、俺はその成長を直接観測することを日課としている。たとえ教師に追い払われても、たとえアキハにののしられても、この学校らくえんには通わなくてはならなかった。


だが、流れゆく月日は違った結果も生む。

かつて仲の良かった三人は、それぞれに新しい生活の中で、すれ違う日々が続いている。だが、それを修正することなく月日は流れる。


しかし、それは仕方のない事。


人間は出会いと別れを繰り返す。

それは、限りある命を精一杯燃やすために必要な事。だから、あおい自身も乗り越えなくてはならない。幸い、あおいには見た目の変化は見られない。あの時のように、無意識に闇を発することもない。


それに、しずくが特別悲しそうにしてない以上、俺がどうこう言える筋合いでもない。アキハがうるさく言っても、そればかりはどうしようもない。


俺はあおいを守護しているわけではないのだから……。


警戒はしつつも、そう思っていた。


そして、何事もなく夏休みを迎えていた。


そう、目の前にある部屋のドアが、乱暴に開かれるまでは……。



夏休みに入ってすぐの朝、一人旅の準備を終えたしずく

正確には、俺をつれて犬神いぬがみヨシの家にいく支度を終えた直後の事だった。


しずくの部屋のドアが、その扱いに抗議の声を上げていた。


「え!? 何? おばあちゃん? え!? なぎさ? あおい? え!? どうして?」


思わず俺の入ったキャリーケースを落とすしずく。その衝撃も大きかったが、それ以上に俺もその光景が信じられなかった。


だが、理解する間もなく、最上もがみシズの言葉が続く。


「ほら、行くよ! しずく! なんだい。もうすっかり準備が出来てるんだね。なら、さっさと降りな。さあ、早く。グズは嫌いだよ。ヨシさんの所は遠いからね。義守よしもり! お前だけだよ! ぼさっとしてないで、さっさと車のエンジンをかけて涼しくしな! なに!? 今日は会社? そんなもの、アタシの知ったこっちゃないよ! お前の都合だろ? アタシには関係ないね。お前自身で何とかしな。か弱いお前の母親と娘たちを、この暑い中に放り出す気かい! ええい! ごちゃごちゃとうるさい! ここで気張らなくてどうするんだい! 唯一、お前が役に立つ時はそれだろうが!」


明らかにドアを蹴破った鬼婆最上シズ

しずくの部屋の前で、階段の所にいるであろう義守よしもりに向かって指図している。実の息子が役立つのは、運転だけだと豪語して。


そして俺の目に飛び込んできた光景。


それは、鬼婆最上シズの両脇に抱えられた二人の少女渚と葵の姿だった。

目の前の二人。

その対照的な二人の姿が、それを異質なものに感じさせるに十分だった。


あおいの顔は、恐怖と混乱が満ちあふれ、その体は固まったままだった。

一方のなぎさは、まだパジャマ姿のままで眠っている。


長く生きていれば、驚くことが無くなると誰かが言った気がする。


ならば、俺はまだ長く生きてないのかもしれない。


『か弱い』という言葉が、これほど似合わない光景があるという事を、俺はこの日、初めて見たのだから……。

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