第15話変質者(後編)

冬の夜は駆け足でやってくる。夕方をとっとと追い出して、その姿を見せつける。


それはしずくも知っている。でも、しずくはゆっくりと公園の中を歩いていた。わざわざ遠回りまでして。


そんなことをすれば、こうなることは目に見えている。今日、お前の周りに集まっている気配くらい、勘のいいお前なら気付いているはずだろう?


でも、何故そうする?

お前は何がしたいんだ?


ますます俺は、お前の事がよくわからなくなってきた……。



「なんですか? 何か御用ですか?」


やや緊張したしずくの声が、聞こえてくる。だが、全く慌てた様子は見られなかった。


知り合いか?

一瞬そう思ってみたものの、それは別にどうでもよかった。そもそもこの場所では、相手の顔はよく見えない。


ゆっくりとしずくはそのまま後ずさる。だから、そいつもゆっくりとしずくを追って進んでいた。


――なるほど、やっぱりこうなるか。


予想通り、そいつはしずくと同じ中学の制服を着た男だった。


そう、学校では大きな出来事はなかった。


ただ、いつもよりしずくを見つめる目は多かった。期待を込めて見つめる瞳。学校の時間が終わるまで、それはずっと続いていた。


だが、しずくにそのそぶりはない。そして、学校の時間は終わりを告げる。


そもそもなぜ期待したのかわからんが、落胆は闇を生んでいた。

その闇にとらわれた人間が、ついに乗っ取られたのだろう。


自分の体を、自分の闇に。


そして、それはかなりの似た感情を持つ人間を巻き込んだようだった。



――ひい、ふう、みい……。元々かどうか怪しいのを含めて、ざっと十人くらいか? なにも、こんな日にお使いを頼むなよ、かえで……。わざわざ人気ひとけのない公園を通るなよ、しずく。でも、そのおかげでこの人数なのかもしれないけどな。


(でも、しずくも息抜きに丁度いいって言ってたからね。散歩のつもりもあったんじゃない?)


――確かにそうだけど、アイツら本当に犬神の血を引いているのか?


(どういうこと?)


――もともと、犬神の一族は、危険に対して敏感なはずなんだ。特別な感覚ってのがあるらしい。だが、かえではそういう力はないようだけどな。まあ、そう考えると個人差があるのかもしれん。でも、勘の鋭いしずくだ。この状態に対して、何かを感じていたはずだ。


(ふーん。だからなの? 確かにあの子。緊張はしてるけど、驚いた雰囲気はないよね。すごく恐怖しているって感じもないかな? 何なのあの子? あんな状況なのに、まるで他人事ひとごとみたい)


ようやくアキハも、しずくの異質さがわかってきたようだな。


だが、しずくのあの目……。あの目をどこかで見た気がする。あの目…………。


俺は……、知っている……?


なんだ? どういう事だ? 俺の中にも忘れている記憶があるのか?



(あっ、クロ。やっとヒーローの登場だよ? でも、走るの遅すぎだよ。まもるお兄ちゃん!)





「クソ! あの黒猫め……! どこ行きやがった? これじゃあ、まるで今朝の夢みたいじゃないか。ん? 待てよ? という事は……。――!? なんだ? っ!? しずく!?」


(ようやく気が付いたようね)

――ああ、そうだな。


(気のない返事だね。で、どうするの?)

――ああ、そうだな。


(もう! こんな時でもクロは平常運転だね!)

――ああ、そうだな。


(………………)


(アキハちゃんって、超絶かわいいよね!)

――ちゃんと見てろ、アキハ。お前の冗談に付き合ってる暇はない。


(なんでよ! もういいよ! ほら、まもるしずくの前に出たよ。んー。なんだかとっても、『お兄ちゃん!』って感じだよね! ね! クロ!)


――ああ、そうだな……。


お兄ちゃん……か……。



「お兄ちゃん……」

しずく! なんだ、コイツら? 何かあったのか?」

「別に何もないよ、ただ、この公園を歩いてたら、この人達が集まってきただけ……」

「『集まってきただけ』って、お前な……。どうみてもコイツら異常だろ? クソ、また増えてきやがる。一体コイツらなんだ? 何処から湧いて出やがった? それにコイツらの目! コイツら絶対、正気じゃない!」




(正解! さっすが、まもるお兄ちゃん! お兄ちゃんは、妹を守る役目があるんだからね!)


――妹を、まもる……。


(どうしたの? クロ? そろそろ行かないと、危ないよ?)




「お前ら! しずくに、妹に何の用だ!」

「だめだよ、お兄ちゃん。この人達、まったく話が通じないよ」

「クソ! まさに、変質者だな」


(うまい事言うね、まもるお兄ちゃん。その通りだよ。邪気にあてられて変質した者達だよ。理性とか道徳とか無くなってるよ。それに自分が傷つくのも恐れないから、ちゃんと戦わないとダメだよ? 頑張って! お兄ちゃん!)


「もういいよ、お兄ちゃん。逃げよう? この人達はたぶん私を追ってくるから。別々に逃げよう? 大丈夫だよ。私、これでも逃げ足には自信あるんだ」

「バカな事言うなよ! お前を置いて、僕が逃げれるわけないだろ!」

「でも……」

「心配するな。こんな日もあるかもと思って、僕は空手をやってきたんだ。それにこんな奴ら、鬼婆おにばばあを相手にするより、よっぽど楽だ。この間も、みっちりしごかれたからな!」


(おお、お兄ちゃん言うよねぇ。でも、その人達相手にして、普通の空手が通じるかな? ねっ、クロ。――クロ?)


「でも……」


(クロ? ねえ、どうしたの? たすけないの?)


「まだ言うか? いいか、しずく。お兄ちゃんに守らせろ。お前を守る。それが、お前のお兄ちゃんだ。お前は黙って守らせてくれたらいい。たとえお前が嫌がっても、僕は守るけどな。まあ、諦めろ。お前のお兄ちゃんは、まもるという名前だしな」


(かっこいいねぇ。まもるお兄ちゃん。でも、そろそろ危ないよ? クロ。もっと集まりだしてる)


――いや、アキハ。予定変更だ。このまま様子を見よう。

(え? クロ? どうしたの? まもるに全部任せるの?)


――まもるがそう言ったんだ。男の決意を無下むげにはできない。いいから、守らせてやれ。


(クロ……)



(ねぇ、クロ。やっぱり、ムリだよ。そろそろ助けに行った方がいいんじゃない?)


(ねえ、さっきから何で黙ってるの? どこ見てるの? まもるも限界に近いんじゃない? ほら、人間って制限あるよね。でも、アイツらにはそれがないし……。そもそも意識が肉体とつながってないから、限界を越えてるし)


(クロ! ほら、また人数が増えてるよ! クロ! 危ないって! いくら頑張ってまもるが倒しても、アイツらってすぐに立ち上がってくるし!)


(クロ! もう駄目だよ! ホラ! まもるたち、ますます追い詰められてるよ!)


公園の端にある木に追い詰められたまもる。その背には、兄を心配するしずくの姿があった。すでに肩で息をしているまもる。だが、その背にいるしずくは、少しも恐怖した様子はなかった。


しずく! お前は逃げろ!」


(クロ!)


――心配ない。うるさいから、黙って見ていろ。


(何で!? クロ! どうしたのさ!? ねぇ! クロ! クロってば!)


まもるが一人前に出て、すでに三十人以上になっている怪しい人影に対して特攻をかける。そいつらはまもるに見向きもしないが、まもるの突進により、わずかに道が開けていた。


だが、それも多勢に無勢。押し潰されるように沈められたまもる。その上に、つまずくようにまもるに乗る奴ら。


もう、しずくの前には、立ちふさがるものは何もない。


それでも逃げようとしないしずくに対して、怪しい人影たちはゆっくりとその手を伸ばしていく。


「やめろ! お前ら! しずく! 逃げろ! クソ! やめろ! やめてくれ! 頼むから!」


まもるの悲痛な声が、虚しく響く。その気持ちは痛いほどよくわかる。


だが、それが現実だ。


どれだけ口で偉そうに言えても、大切な人を守れるだけの力がなければ意味がない。


いま、それが分かっただけでもいいだろう。

お前はまだやり直せるんだ、まもる……。この俺と違って……。


「頼む! 誰か! しずくを!」


ついに助けを求めるまもる


だが、それすらも飲み込まれる。そして、何を考えているかわからないしずくは、その場に立ち尽くしていた。


黙って動かないしずくに、いくつもの腕がしずくに向けて伸びていく。


そのうちの一本が、しずくつかもうとした、まさにその時。


『パン!』という、両手を打ち鳴らした音と共に、周囲に振動が広がっていく。


それはまるで青空を駆け抜けるような、澄みきったものだった。


(うそ!? これって柏手かしわでよね?)


止まる群衆、停止した時間。

やがて何かの力を失ったかのように、怪しい人の群れは一斉に地面に倒れ伏す。


(すごい! すごいよ! クロ! これだけの柏手かしわでを打つなんて、きっと高名な法師だよ!)


感動するアキハとは対照的に、しずくはその人物を冷静に見つめていた。


すでに暗くなった公園。

そこに灯る外灯を背に、大柄な人物が歩いてくる。


押し潰されたままのまもるも、何とか抜け出そうともがいている。だが、倒れた者達も重なって、もはや簡単には動けない。


誰も動かない静寂のとき。

その空白の時間を埋めるように、豪快な声があたりに響き渡っていく。


まもるや。もっとしっかりしな。情けない声出してんじゃないよ。妹一人守れないようじゃ、アンタもまだまだまもるちゃんだよ。まあ、いいさ。また、鍛え直してあげるからね。覚悟するんだよ! ほら、ほら。いつまでも情けない姿見せてんじゃないよ。さっさと立ち上がりな。アンタもちゃんと金玉ぶら下げてんだ。こういう時こそシャキッとしな!」


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