第13話お泊り会(後編)

「あぁぁああ! もう駄目。限界! 頭、爆発するぅ~」


頭をかきむしり、ほぼ大の字で体を投げ出したなぎさ。それを見たしずくは、口元に笑みをたたえている。


なぎさにしては、よく頑張ったよね? 珍しいんじゃない?」

「むむ! ちょっとバカにされている気がするぞ? しずくどの?」


むくりと起き上がるなぎさ

そのまま頬を少し膨らませながら、ジト目でしずくに抗議する。


「あれ? そう聞こえた? 冗談だよ!」

「ならよろしい!」


さっきまで静かだった部屋に、笑顔のはなが咲いている。


「でも、今日のなぎさ。本当によく勉強してたと思う。私、ここまでなぎさが真剣に勉強してるのって、初めて見た気がする」

あおいまで、そんな事言うかな! でも、実はあたしもそう思う! 頑張ったね、あたし! だって、お楽しみが待ってるから!」


にやにやと、頬杖をついて応えるなぎさ。その瞬間、しずくの笑顔がほんの少しいつもの感じと変わってみえた。


「――クロのこと?」

「さすが、しずく。よくわかってるね! さあ、クロと遊ぼう! クロが寂しがってる! クロがあたしを待っている!」


いそいそと、なぎさは勉強道具を片づける。

その姿を微笑みながら、他の二人も自分の勉強道具を片付け始める。


さっき見たのは気のせいだったのかもしれない。今のしずくの顔には、いつもの笑顔が見えている。


「もう! なぎさ。ちょっと感心したのが台無しだよ。でも、なぎさはクロのこと、本当に気に入ってくれたんだ……」


「それは私も聞きたかった。なぎさはシロみたいに従順な子が好きなんだって――。あっ、ごめん! しずく……」

「ううん、大丈夫。平気」


自らの口に手を当て、申し訳なさそうにするあおい。だが、手のひらをひらひらと振り、しずくは笑顔で応えていた。


――でも、さっきのあれは何だったのかしら? 勘違い? 見間違い?


まるで幻だったかのように、しずくはすっかりいつも通りの笑顔を見せている。


あおいしずくは大丈夫だよ。でも…………、そうだね……。うーん。あたしはどっちも好きかな? でも、シロは一人でも生きていける子だけど、クロはかまってあげないと死んじゃう子だよ?」


それでも、ばつの悪そうな顔をするあおいに対して、なぎさが自分に向けられていた問いに答えていた。

ただ、カバンの中の何かを探しているのだろう。ゴソゴソとカバンの中身を取り出し始める。


「そう? そんな事、一緒に暮らしていても感じないけど?」


それはしずくにとって、意外な事だったのかもしれない。なぎさもその雰囲気を感じたのか、途中で手を止めしずくの方を向いていた。


「甘いね。甘いよ、しずく。ほら、あの子ツンデレだから。そっけないフリしてるだけ」

「そう? あおいはクロをどう見てるの?」

「え!? 私にはよく分からないけど……。でも、あの子の目。ちょっと怖い気もする。時々獲物を狙う目で、私を見てる気がする……」


その瞬間、しずくなぎさの視線が一斉にあおいの胸に注がれた。

その視線を感じて、両手で胸を守るあおい

半ば身をよじりながら恥じらう姿。それはまさに、クロ好みと言えるだろう。


あおいを見るときはそうかもしれないね。ふふっ、気を付けてね。あおい

「もう! そんな無責任な事でいいの? 飼い主だよね、しずく? それに、そう言われても、何をどう気をつければいいのか……」


和やかにほほ笑むしずくに対して、あおいが真剣に抗議する。だが、それも見当違いだと思ったのだろう。困った顔を見せたあおいは、ふとなぎさの方を見た。


つられるように、しずくの視線もなぎさへと向く。

そこには自らの胸に手を当てて、よせてあげるなぎさがいた。


でも、二人の視線を感じたのだろう。

慌てたなぎさの両手は、あっという間に背に向かう。

だが、次の瞬間、人差し指を振りながら、なぎさは目を閉じ、得意げな顔を作り上げた。


「そう! そこがまたツンデレな所だね! 本当はあたしにこそ抱きしめられたいくせに、あたしには近づいてこない。ホント、照れ隠しもいいところだよ」


自ら顔を赤らめて宣言するなぎさ。それを見る二人の顔は物語る。


『自分で言ってて照れてるよ』


その雰囲気に耐えるかのように、なぎさの顔が歪み始める。


「たいした推理だね、なぎさ

「フッフッフ。それこそが真実だからね、しずく君! 異議は認めないよ!」


ビシッと指さすなぎさの目は、『もうこれ以上はダメ』と必死に告げていた。


僅かな沈黙。

だけど、その雰囲気に耐え兼ねて、三人とも吹きだすように笑いだす。



「それはそうと、なぎさはクロを見つけるのも早いよね。多分、しずくよりも早いと思う」

「それはもう! ビビッとくるもの! 授業中に寝てても分かる」


――それはどうかと思うけど、確かになぎさはクロの気配を感じているとしか思えない。


学校にきてまずクロがする事。

それは、しずくがいる教室の様子を見ることだった。


寒がりなクロの代わりに先に学校にいるからわかる。クロと合流するときに、なぎさの顔は、いつもクロに向いていた。


「どういうこと? あおい? なぎさ? クロが来てるの? 学校に? 寒いのに?」


本当に驚いているのだろう。確かに、しずくの見るクロは、寒がりで外出するように思えない。


でも、かえでから何も聞いてないのかしら?

日中、クロが家にいない事を。


「あれ? しずく、知らないの? 結構来てるよ、学校。ねっ、なぎさ

「結構じゃないよ? 毎日だよ」

「そうなんだ……。ちっとも知らなかった……。――違う黒猫じゃない?」


しずくはたぶん動揺している。その事がわかるのだろう。なぎさあおいは互いに顔を見合わせていた。


「左耳だけ白い黒猫なんて、たぶんいないと思う。でも、私もなぎさが見つけた時に見るだけだから、エラそうには言えないけどね」


あおいの言葉に、自分が動揺していたことを悟るしずく

だが、何かを言おうとしたしずくの口を、なぎさの声がふさいでいた。


自信をたっぷりみなぎらせて。


「ふっふっふ。クロの事なら、このあたしに任せてよ! 大体二時間目の終わりに教室を覗きに来るよ。ほら、窓の外に大きなクスノキがあるよね? あそこにいるよ、いつもそう」

「もしかして、なぎさ? 二時間目が終わってすぐどこかに行くのは……」

「もっちろん! クロに歓迎のハグをするためだよ!」


完全にドヤ顔のなぎさに向けて、あおいがやれやれと首を振る。


「でも、あと一歩の所で逃げられるんだよね。あたしが来たことがわかると、木から降りて『にゃーん』って挨拶して逃げるんだよね」

「そうなんだ? 何て言ってるんだろ?」


その一言が、なぎさの目の輝きを、いっそうきらびやかなものへと進化させる。


「そう! なんだか、『ほら、俺をつかまえてみな!』って言われてる気がするんだよね。追いかけて離されても、時々こっち見てるし。あたしが追いかけてばてた時は、休憩もいれてくれるんだよ! 自分は何もない所で、何か捕まえてるふりをしてさ!」


「そうなんだ。三時間目までの休み時間、ずっとそんなことしてたんだ」

「そうなんだ……」


呆れるあおい

うつむくしずく


「その後、たぶん学校中を歩き回ってるみたい。たまに男子が『黒猫だ!』って騒いでるでしょ? アレ、全部クロだよ。間違いないよ。わかるもん」

なぎさ……? まさかと思うけど……」

なぎさあおいは共通する『ある事』を思い浮かべているのだろう。


ジト目のあおいと、音の出ない口笛を吹くなぎさ

だから、二人はまったく気づいていない。


今のしずくの変化を。


「な、ぎ、さぁ~?」

「えへっ、ばれた?」

問い詰めるあおい。自らの頭を軽く小突きながら、舌を少し出して謝るなぎさ


「もういいわよ。人が話してる途中でどこかに行くと思ったら、そういう事だったのね」


言葉とは裏腹に、ほんの少しだけ怒っているように見せつけるあおい。腕組みして睨みつけるその様子に、なぎさはもう一度頭を下げる。


「ごめん、あおい

そのまま両手を合わせて謝るなぎさ。それを見るあおいは、すでに表情を崩していた。


「別に、怒ってるわけじゃないけど、それならそうと、言ってくれたらいいのに」

「まあ、大して言う事じゃないしね。それに、さっきも言ったけど。クロってすぐどこかに行っちゃうし。見つけたら、迅速な行動が必要なの。でも、あたしの姿見つけたら、すぐ逃げちゃうけどね」


「それでも追いかけるんだ?」


「甘いね、あおい。さっきも言ったよね? クロはツンデレで、かまってあげないと死んじゃう子だって。だから、クロは逃げても、ちゃんと離れてこっちを見てるんだ。その姿に、なんだかキュンとするんだよね」

「なるほど、わかった。なぎさはクロに恋してるんだ」

「ハッ! あたしって、そうだったんだ! そうか、これが恋……」


自らの感情に初めて気が付いたように、なぎさは両手を口に当てる。


「いまさら? どうする? しずく………………?」


小さくため息をつきながら、あおいの視線がしずくへと向く。

さっきまで一切会話に参加しないでいたしずくは、あのままずっとうつむいていた。


そのとき二人は初めてその事に気が付いたのだろう。

二人の視線がしずくに集まる。だが、その雰囲気にのまれ、二人は何も言えないでいた。


うつむいたままのしずく。やがて、ぽつりと言葉を落とす。


「……………………いいよね、なぎさは……。クロとなかよしで……」


しずく? どうかしたの?」

「どうしたの、しずく? あたしとクロが仲良しだと困る?」


それは無意識にしずくが発した声だったのだろう。あおいなぎさの問いかけに、動揺したしずくが慌てて両手を振っている。


その視線を遮るかのように。

吐露した感情を霧散させるかのように。


「ううん、そうじゃないの。そうじゃないよ。ただ、クロは私のこと嫌いだろうから……」


言葉とは裏腹に、笑顔のしずくがそう答える。その顔に覚えがあるのだろう。あおいなぎさがそれぞれの顔を見せている。


しずく……」

困ったあおい。それ以上、しずくにかける言葉を見つけられないようだった。


だが、なぎさは少し違っていた。その目には、静かな怒りをたたえている。


「どうしてしずくはそう思うの? いつもの勘じゃなく、あたしにもわかるように説明して!」


珍しく怒るなぎさ

その事はしずくにとっても意外だったのかもしれない。その姿に圧倒されるように、しずくは視線を逸らしていた。


「どうしてって……。説明できないよ。ただ、そう感じるの」


再びうつむく、しずく。でも、なぎさの怒りはおさまらない。


しずくの思い過ごしじゃない? ねえ、なぎさ


見かねたように、あおいが二人の間をとりなし始める。

その気遣いとあおいの間違いが分かったのだろう。なぎさの態度が少し和らぐ。


「うーん、感じるって言われてもなぁ。でも……。しずくが言うんだから、ただの思い過ごしじゃないよね。しずくって、そういうとこ敏感だもん。でも、しずく。ちょっと聞いていいかな?」

「なに? なぎさ?」


改めて、しずくなぎさは見つめあう。

その間で、あおいはだまってしずくを見守る。


しずくって、シロの事どう思ってた? クロの事どう見てる? ちゃんとしずくの気持ちを答えて」


なぎさの瞳の奥に、しずくは何かを見たのだろう。

目を閉じ、整理するかのように、しずくはゆっくりと話しはじめる。


「どうって……。シロはかけがえのない存在だった。言っても意味が分かんないかもしれないけど……。私の事……。たぶん色々守ってくれてた……。クロは、シロがいなくなった時に、私の所に来てくれた。多分、シロがいなくなった事と、関係あると思う……。多分、今。シロの代わりに私を守ってくれてるんだと思う……」


――ほんと、驚いた。勘の鋭い子だという事は分かってたけど、ここまでわかっているなんて……。


それは、しずく自身もはっきりと言えない事。でも、それでも、しずくはその事を感じていた。


「そこだよ、しずく! しずくはそこが間違ってる!」


「え!? どういう――」「シロはシロ! クロはクロ!」


「たとえ、しずくが超常的な直感でクロの中にシロを感じたとしても、クロはクロなんだよ! シロの代わりなんかじゃない。クロはクロの意志でしずくの傍にいるんだよ! だから! しずくの事を嫌ってるとか、ありえない!」


なぎさ……」


眼に涙を浮かべ、まっすぐにしずくを見つめるなぎさの言葉が、しずくにそれ以上の言葉を失わせる。


でも、なぎさは涙をぬぐって話を続ける。

それが大事なことだと言わんばかりに、いつにない真剣な眼差しを向けて。


「ねぇ、しずくしずくってさ、クロとちゃんと向き合ったことある?」



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