第二章 日常の微睡の中で

第10話すすむ日常

「おはよう、クロ。そろそろ起きるね」


もぞもぞと布団の揺れる気配と共に、楽園の扉が開かれる。


「好きだね、クロ。でも、ちゃんと起きないと、またお母さんに干されるよ?」


何を言われようが、この時間だけは俺の時間ものだ。


しずくが出た布団の中。

ここが一番温かい。


「クロ? 聞いてる?」

なぁーん半分だけな


もう半分は、微睡まどろみの中。本当はどっぷりとつかりたいところだが、相手してやらないと、また布団をもっていかれる。


「ちゃんと聞いて! 私、最近不思議な夢を見るの。多分だけど、ずっとずっと昔の夢。あんなの今まで見たことない。でも、そこに出てくるのは私じゃないの。顔はよくわからないし、何を話してるのかもわからないけど、たぶんあれは兄妹きょうだいだと思う。とても仲が良くて、幸せそう。お互いを、同じくらい強い想いで守ろうとしているの。ちょっとだけ、うらやましい……。でも、どこか妹は悲しげなの」


にゃーなんだそりゃ?」


――幸せだけど、悲しげ? わけわからん。テレビの見すぎだ。一応、お前も受験生だろ?


「もう! 感想が少ないよ!」

にゃんほっとけ!」


それに、そろそろ解放してくれ。


俺はいま、すごく気持ちがいいんだ。このままもう少し寝かせてくれ。あと、朝ごはんは自分でいくから、ドアは少し開けておけよ。ちゃんと閉めておくから。心配するな。


「いいよ、もう! でも、そんな態度だと――。こうだよ!」


――ちょ! おま! え? 待て、人を抱えてどこに行く? え? 部屋の外? 今? いや、いいって。おい、人をポイって感じで投げるな! くそ! ドアを閉めるな! しずく! おい!


「着替えるから、出ていってね。クロの眼って、なんだかエッチっぽいからね!」


――ポイってなんだ!? この眼は生まれつきだ! くそ! 開けろ! しずく! 開けてくれ! 俺は布団の中でいいんだ! いつもその間に着替えるだろ! もう、チラ見しない。本当だ、しずく! お前のは、シロの記憶で知ってるから! 十分知ってるから! 今日は本当に寒いんだって!


「おい、黒猫。しずくの部屋の前でうるさい。それに、ドアに爪を立てるな」


――うるさいよ。今取り込み中だ。お前はさっさと通り過ぎろ。


「おい、黒猫。あまりしずくに迷惑をかけるなよ」

にゃん? なぁーおなんだと? ちょっ、放せ、コイツ


(ふぁ~あ。おはよう、クロ。今日もまもるに首捕まれて、朝ごはんに行くんだね)


――うるさい! だまれ! 向こうの世界に引っ込んでろ! こっちは今、最悪の気分なんだ! 喰うぞ!

(はぁーい。わかった、わかった。今日も朝から元気だね)



「おはよう、まもる。あら、クロもおはよう。今日はまた一段と元気ねぇ。それにしてもあなた達、ずいぶん仲良しになったわね」

にゃんだれが!

「おはよう、かあさん、とおさん。途中で拾っただけだよ」


人を落とし物みたいに言うな。誰も拾ってくれとは言ってない。それに急に手放すな! クソ!


「ああ……」

「あなた、おはようでしょ?」

「ああ」

「もう! 挨拶もしないのはどうかしらね! ねぇ、クロ。どう思う? あなたのはここね」

みゃあしるか!にゃぁんそれよりめしだ


そいつがどうだろうと、俺には関係ないことだ。


それにしても、朝飯が黙ってても出てくるのはいいものだ。

かえでも、黙ってればいい奴だ。

口数の少ない義守よしもりは、どっちでもいい奴だ。


そして、この部屋も暖かくていいものだ。


「クロも駄目だって言ってるわよ。ねえ、ク~ロぉ~?」

みゃあ、みゃあああ、そいつはダメな奴だ

「ほらね。クロもこう言ってる」

「ああ」


まあ、そいつに言うだけ無駄なんだ。諦めろ、かえで


「もういいわ。そうだ、クロ。日中、お散歩もいいけど。帰ってきたら、ちゃんと足ふきマットの上を通ってきてね。言ってること、わかってるでしょ?」

にゃーん善処しよう


あまり理解している事をホイホイばらすな。だが、今の俺は気分がいい。そのくらいは大目に見てやろう。


大体、犬神の血をひくものなら、色々見えているんじゃ――。



「なあ、かえで? 黒猫コイツ、本当に祟りたたりじゃないんだな? しずくの傍に置いといていいんだな? 大丈夫なんだな?」




(あは! まだ言ってるよ、この人。ねぇ、クロ。クロの姿見る度に言われてるんじゃないの?)

――見られてない時も言われてる。かえでが『しつこい』って俺に文句言ってきた。『お前の旦那だろうが!』って文句言ったら、『ちゃんと聞かないと、飯抜きにする』って脅された。そして、気が遠くなるほど愚痴を聞かされた。全部この義守よしもりのせいだ。


(ほんと? まあ、嘘は言ってないよね)


――お前すぐ寝てるから、なーんにも知らないんだな。


(あっ、なんかバカにしている。でもほら、寝る子は育つって言うから。それに、クロがおとなしかったらいい子にしてたら、私って基本的に暇だし)


――俺はいつだっておとなしい。ただ、周りが騒がしいだけだ。義守よしもりみたいに、ただ黒猫だっていう理由で煙たがる。まあ、攻撃してこないだけ、コイツはましな方だろうけどな。


(クロって、やっぱり呪われてるんじゃない?)

――言ってろ。だが、見かけだけで判断する奴は、あとできっと痛い目を見る。


(ふーん。それ、根拠あるの?)

――人生観だ。伊達だてに千年以上生きてない。


(うーん…………。せっかくのいいセリフも、それだけご飯がっついている姿から言われるとなんだかとても残念だよ)


――間違って、お前も一緒に喰ってやろうか? めしくらい好きに食わせろ。

(はい、はい。わかりましたぁ~)




「今朝も何度目? そうね……。ちょうどいいわ。しずくにでも、聞いてみたら?」

「そんな事、この俺がきけるわけ――」

「じゃあ、聞いてあげる。しずく、ちょっとこっち来て。お父さんがききたいことあるんだって」


(あは! この人、急に目が泳いでるよ。面白いね!)


「なに? お父さん」

「おい、いや、なんだ。しずく。その、なんだ」


(あはは! 困ってる! 困ってるよ、この人!)


――困らせておけ。


「お父さんが、クロがあなたに悪さすると思ってるのよ、黒猫だから祟りたたりがあるんじゃないかって。追い出した方がいいんじゃないかって。あなたどう思う?」


新聞で顔を隠すあたり、義守よしもりもまんざらバカではないか。しずくの言う言葉はすでに分かってるんだろう。コイツはしずくに嫌われることを恐れているからな。


「お父さん。クロの事、悪く言うのやめてよね。毛が黒いだけじゃない」

「すまん……」

(実はお腹も真っ黒だけどね。あと、エッチだね。それとスケベで、いやらしいよ)


――お前は一々一言多い。大体、全部似たような言葉を重ねるな。ほらな、言った通りだ。いい気味だ、義守よしもり。天罰、天罰。ただ、追い出されても、めしは食いに来るけどな。


にゃーんおかわりだ


(追い出されても、食べにくるんだ?)


――そりゃそうだろ? かえでめしは、結構いける。めしがうまいと言うのは、それだけで俺がいる理由だな。まっ、ここの家にいる、大きな理由の一つだな。


(そうなんだぁ)


「あら、もう食べたの? どう? おいしかった?」

にゃーお普通だなにゃん早くしろ

「はい、はい」

(あまのじゃくだね、クロ。美味しいって、素直に言えばいいじゃない)


――なんとでも言え。だが、うまいと言ったら俺の負けだ。


(はいはい、どうせ私には関係ないことだもん。でも、クロって何と戦ってるわけ?)


――言えんな。ただ、男の戦いだという事だけ、特別お前に教えてやる。

(はい、はい。なんか、どうでもよさそう。どうせ、くだらない勝負なんだよね)


――くだらないとはなんだ! 理解できないとは嘆かわしい。

(いいよ、わかんなくても。関係ないもん。ご飯とか、関係ないもん)


――だが、めしを食う事自体は関係あるだろ? お前は俺から生きる力を得ているんだ。監視者だからな。

(え!? そうなの? 私って、クロに養ってもらってたの?)


――ああ、そうだ。だから、ちゃんと感謝するんだ。俺がうまいめしを食うのは、お前の為でもある。

(そうなんだ……。本当みたいだね。知らなかったよ。じゃあ、クロがもっと栄養たっぷりになると、私も育つのかな? 寝てる場合じゃなかったかな?)


――いや、ムリだ。物事には限界というものがある。お前はそのままで変わりない。


(――嘘だね、クロは嘘をついている。さっきのは本当だとしても、今のは嘘だ。はっきりわかるよ。今度、なぎさに、言いつけてやる!)


――何故そこで、そいつの名前が出るんだ?

(ふふーん)


わけわからん。




「そうだ、お母さん。今度の土曜日、なぎさ達を呼んでいい? 泊りで勉強会するから」

「土曜日って、十一日? まもるとお父さんで最上もがみの家に出かける日? いいけど? なぎさちゃんとあおいちゃんでいいのよね?」

「うん、そう」

「そう。じゃあ夜は、ちょっとしたパーティみたいにしましょうか!」

「うん、おねがい!」


楽しそうに会話が弾む母と娘。

その会話に参加できず、微妙な顔の父と兄。


俺をぞんざいに扱うからそういう目にあうんだ、義守よしもり。ついでに、まもる


いい気味だ。


でも、お泊り会ということはだ。あおいがこの家で、風呂に入るという事だ。しかも、しずくの部屋に泊まる。


そして、俺はフカフカを堪能する。


――ふふ、ふふふ。

(ちょっと、クロ。だらしないよ。その顔)


――なんでもない。いや、ニュースだ。ニュースを聞いて笑ってただけだ。

(え? 今のニュースで?)


『ふつう、温かくなると多くなると言う事ですが、最近は暖冬のせいですかね? 犯罪に走らなければいいのですが……』


(このテレビ、『異様な行動をする人が目撃されている!』って書いてあるよ? これのどこがおかしいの?)


――いや、変質者ってのが、どんな気分なのか試してみただけだ。

(そんなの、普段のクロで十分じゃないかな? 想像してたでしょ? お泊り会)


――そんなわけあるか! いや、もういい。そろそろしずくが出かけるぞ。

(図星だね。クロの嘘。私は全部わかるんだから)


――うるさい! さっさと行動しろ。朝はお前じゃないとダメなんだ。

(はーい。でも、この母親は分かってるんだから、クロがいけばいいじゃない)


――俺はここでお前の分までめしを食う使命がある。

(…………嘘だね)


「じゃあ、いくね! お父さん、お母さん、お兄ちゃん」


――うるさい。ほら、早くしろ。

(わかったよ! クロって、本当に寒がりなんだから!)


「いってらっしゃい、しずく

「気を付けてな」

しずく、そこまで俺も一緒に行く」

「いいよ、お兄ちゃん。そろそろなぎさがくるから」


――相変わらず、過保護な奴だ。

(無意識に感じてるのかもしれないね。この街を覆っている気配にさ)


――考えすぎだ。だが、お前は油断せず警戒しろよ。

(そんなに心配だったら、自分でいけばいいのに)


――言っただろ? 俺は――(はい、はい。わかったよ)


まあ、まもるにも犬神いぬがみの血が混じってるんだから、あり得ない話でもないか。




「クロ、いってきます。あまり食べ過ぎて、太っちゃダメだよ?」

にゃーんお前は能天気でいいな


タイミングよくなるドアのチャイム。笑顔でもう一度挨拶するしずく

これも、繰り返された日常。



あれから七日。



この家の者はもう、誰一人シロがいない事を悲しんでいない。

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