第8話犬神の巫女と最上の鬼女
病室に入ってきた老婆。
だが、その人物は老婆という言葉の概念を、根本から覆すような者だった。
「お
その来訪は知らなかったのだろう。ほんの少し、
おそらく自分では気づいていないのだろうが、その声は少しうわずっている。
「よばれたから来たんだよ。まっ、それはアンタじゃないけどね。ああ。そういえば、知らせてくれてありがとよ。あのバカ息子は、このアタシに連絡もよこしやしない。どれ、そこをどいとくれ。そいつの顔。このアタシが見てやるよ」
小さく鼻を鳴らし、
言葉よりも先に手が出る。
シロがこの体格のいい老婆に抱いていた感想はそうだった。
――
若いころは男を腕力でねじ伏せたという伝説を持つ人物。その雰囲気は、存在するだけで他を威圧するものがある。
――これが、
(ほんとだね。まるで鬼婆だよ。でも、来るのってこの人じゃなかったよね?)
確かにそうだが、今この人物を無視できない。今この俺を凝視しているのは、そのシズなのだから。
ギロリとした眼。それはまるで不動明王のごとく、左右で開き方が異なっている。そしてその顔は、妙な威圧感を放ち続けている。
――まるで
(しかも、そのまま顔近づけてくるよ? どうしよ? ねえ、クロぉ~)
――怯えるな。こいつは、わざとこうしてる。いい度胸だ。千年守護獣の俺に対して、喧嘩をふっかけにくるとはな。
(なに? その余裕? もう、鼻がつくよ? そのまま噛んじゃえ! ひっかいちゃえ! 絶対、
「ほほう、やっぱりそういう事なんだね。アンタのいう事に間違いはないようだね、ヨシさん」
「当たり前だよ。伊達に、巫女を八十年やってないからね」
引き下がった
だが、油断なく俺をみるその眼は、不思議な色が浮かんでいる。
――確かに只者ではない。でも、この眼はどこかで……。
(クロ! この人ただの巫女じゃないよ! しわくちゃだし!)
いや、年齢もそうだが。
そもそも街中をその巫女装束でうろうろするところで、すでに只者ではない……。
「もう、お母さん。また、その恰好できたの?」
「
「言ってくれるね! アタシの場合は、人が避けてくれるよ。
「そりゃ、便利だね。だから、シズさんの後ろは歩きやすいんだね。アタシにとっては、本当にありがたいよ。前の景色が一切見えないのが残念だけどね。シズさんの場合は、もうろく
――
(でも、わかる気がするよね。何食べたらこうなるんだろ? この人、戦争の世代だよね? そういえば、息子の
――クマだな。絶対クマを食べてるんだぜ。ただ、
(クロって、ホント見境ないよね? 相手はお婆さんだよ?)
――アキハ、お前は何か勘違いをしているぞ? 老婆といえども、俺を抱きしめる可能性のあるものだ。人類を二つに分けるとすると、
(そうなの? そんなわけ方、初めて聞いた)
――革新的な俺の分け方だ。だから、俺は考える。俺は何より快適さを優先する。快適さと、胸の大きさは比例する。俺を快適に包むには、それ相応のモノが必要になるのだ! ならばこそ。この場合の序列は、
――よし、シズ。今回だけ特別にこの俺を抱いて家に帰れ。
(もー。ほんと、クロはクロだね)
――当たり前だ。俺は俺以外の何ものでもない。って!? なんだ!?
(え!? クロ!?)
「こうやって首根っこもってぶら下げると、本当にアンタただの小さな黒猫だよ。守護獣の中でも、化け物のようなものかもしれないってヨシさんが言ってたけど、アタシはよくわからないね」
「間違いない、そいつは化け物だよ。たぶんシズさんよりも長く生きてるね」
「そうかい、そうかい。アンタから見たら、アタシは小娘ってわけだね。かわいいじゃないか」
「
「おや? 返事したよ。こいつはいいね。可愛いもんじゃないか」
「
「なんだい? よっぽどこのアタシが、気にいったのかい?」
――くそ! 話しが通じない奴め! そんなわけないだろ。あと言い忘れたが、小娘という言葉に失礼だ。謝れ。土下座しろ! くそ! 離せ! 首をもたれるのが一番嫌なんだ! さてはお前、性別を今までだましてきたな! お前は『もたざるもの』だろ! 白状しろ! そのフカフカに見えた中身! さてはメロンだな? お前、お見舞いだから、メロンを買ってそこに持っているんだな!
(クロ……)
「おや、おや、可愛いもんじゃないか。久しぶりに母性がうずくよ。アタシはこの子を気にいったよ。どれ、ハグしてあげようかね。知ってるかい? ハグってのは、親愛の情らしいじゃないか」
「お
「その時はその時だよ。このアタシの胸と腕に包み込まれて死ねるんだ。楽園じゃないか。この黒猫も無事天国とやらに行けるだろうよ」
――いや、化けて出てやる。絶対に! って、化け物か! この
(だいじょうぶ? でも、クロ? それは快適なものじゃなかったっけ?)
――メロンだ! こんなのはフカフカじゃない! くそ! こうなったら。力を使うか。
(ダメだよ、人前だよ。それは私が許さないよ。えい!)
――くそ! お前も俺を拘束するのかよ!
(管理者だからね! ふふっ、えらいでしょ?)
「シズさんにしめ殺されるんなら、それまでの奴だね。でも、これでも正体見せないってことは、やっぱり伝説級の守護獣だろうね。多分管理者ってのが付いている。アタシにはみえるよ、ほんのりと光の鎖みたいなので締め付けられてる」
(あれ? みえるんだ? この人、すごくない? ひょっとして、その眼って?)
「そうなのかい? 確かにこれだけ締め付けてるのに、そろそろ死ぬって手ごたえをまったく感じないね。こんなのは、初めてだよ。もうちょっと絞めても大丈夫かね」
「そうだろうよ。でも、もういいよ、シズさん。離してやんな」
「そうかい? アンタの用事とやらは済んだんだね? ほら、ハグの時間は終わりだとよ。たっぷり味わったかい? アタシの愛情」
(じゃあ、私も)
――お前ら、あとで覚えてろ! もう、序列変更だ。
(私は?)
――自分の大きさを考えて言え。喰うぞ!?
(えー。なんだかのけ者だ!)
「これではっきりしたよ。シロの奴は喰われちまったのさ。この黒猫にね」
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