第5話渚と葵

「こんにちは、しずく。思ったより元気そうで何よりです」

しずく……。大丈夫? おばさんから聞いた。久しぶりに危なかったって……。もう平気?」


可愛らしいと清楚、そして若葉のような生命力にあふれる声に、思わず耳が反応する。

しずくの布団の上で丸まって寝たふりをしていても、その存在には全身全霊をかけて確認しておく義務がある。


(クロのスケベ。エッチ、ヘンタイ、色魔!)

耳の中に隠れているアキハに何と言われようとも、この本能は止まらない。だが、この俺は硬派で通っている千年守護獣。そう易々と、小娘ごときの色仕掛けには屈しない。


だから、しずかに薄目を開けて様子を見ることにする。


そう、これは確認なのだ。しずくに害なすものかどうか。守護獣として当然の行為なのだから。


しずく。今日が退院と聞きましたが、何かお手伝いしましょうか?」

「大丈夫だよ、あおい。ほとんどお兄ちゃんとお父さんがやってくれてるから」


なるほど、なるほど。やはりコイツがあおいなのか。たしかに、シロの情報通りたいしたものだ。しずくと違って発育がいい。となりのなぎさと比べたら一目瞭然。


うん、抱きしめられるなら、コイツだな。ヒゲがビビッときたから間違いない。


たしかしずくなぎさが早生まれだからコイツとは本来は一歳近く年が離れている。だから、しずくなぎさは来年まで待ってもらおう。

頑張れ、しずくなぎさ

成長するのが、若さの特権ってやつだ。

だから気を落とすな、しずく。さらに気を落とすなよ、なぎさ


――おい、あおい。俺を抱っこして運ぶんだ。特別に許可してやる。


「クロ~? なんだかよからぬこと考えてないかな?」

(クロ? ちょっと痛い目、見た方がいいんじゃないかな?)


なぁーん。にゃーんふん、なんのことだ?

「シロが、あたしに挨拶しない。そして黒い。しかも、なんだか反抗的。不良だ。不良になってしまった。これは一大事」


――いや、なぎさ。確かにシロはお前に会うと腹を見せてたかもしれんが、俺はクロだ。見たらわかるだろ? 別人だ。


「これは少し調教し直す必要がある。ちょっと黒くなったくらいで、いきがるなんて。でも、大丈夫。あたしの猫じゃらしけんにつかまれば、落とせない猫はいない」


――おい、ちょっとまて、なぎさ! いきがるって、なんだ? この毛は地毛だぞ? それを言うなら、お前らもいきがってるんじゃないのか? って、まて! なんだ、それ! その猫じゃらしけんって、それ? こぶしじゃないよな? どう見ても鍋つかみに、マタタビしみこませたものだろ? どっからだした? それ? おい! ちょっ! それで捕まえるのか? そんな情報シロの記憶になかったぞ? おい、しずく! 笑ってないで! とめろって! やめ! おい! ちょ! やめろって!


「ふふ、クロもちょっと反省した方がいいよ。あおいの抱っこは百年早い。残念だったね、クロ」

(そうだ! そうだ!)


――な!? お前は守護獣の心が読めるのか? そんなのシロの記憶にもない――『あの子は勘のいい子です』――ってあったよ! でも、良すぎるだろ、その勘! っていうか、アキハだまれ!


「ふっふっふ、抵抗しても無駄だよ、君。ほらほらほら~」

(クロ、シロさんの遺言守ろうね!)


――いや、そっちは思い出したくない! それより、クソ! マタタビめ! おい! アキハ!

(きこえなーい。聞こえてても、きこえなーい)


「クロ~。そろそろ観念したら~」

「そうか、君はクロというのか。相変わらず、しずくのネーミングセンスは分かりやすくていいね」


――いや、だから別人だって……。って、お前わかって……。クソ、猫の体が反応する!


「ほほう、まだ抵抗するかね。無駄にクロにジョブチェンジしたわけじゃないんだ。でも、甘い。左耳だけ白いままだよ? ふふん。さては、このなぎさ様にツッコミを入れてもらおうという殊勝な心がけだね。よろしい。その心意気に免じて、このなぎさ様が特別に抱っこしてあげよう」


――いえ、結構です。そっちのあおい様とチェンジでお願いします。


「クロ? 私が抱っこしてあげるからね。あおいの事はあきらめるんだよ? いいね?」

「……………。にゃーん」

「うん、よろしい」


沸き起こる笑い声。耳の中でも大爆笑が続いている。


「あらあら、たのしそうね。ねえ、しずく。お母さんもう少し用事があるから、先にみんなと帰って頂戴。あと、クロは置いていってね。お母さんが連れて帰るから」

「はーい」

「おばさま、私達がしずくを責任もって送りますので、ご安心を」

「ありがとう、あおいちゃん。お願いね」

「おばさん、あたしもいるよ」

「そうね、なぎさちゃん。また、帰ってからクロと遊んであげてね」

「もちろんだよ」「なぁーんいえ、けっこうです


沸き起こる笑い声。しずくの笑顔は、まったく作りものではなくなっている。


――チッ、これだから人間は……。


「じゃあ、二人共お願いね」

すでに部屋を出る準備をしていたしずくと共に、三人仲良く病室を後にする。


残された俺としずくの母親であるかえでの間には、微妙な空気が漂っていた。


何かある。何か言いたいことがある。いや、それだけじゃないか……。


シロの記憶にはないけど、この雰囲気を以前どこかで感じたことがある。

言霊というものを信じている者がもつ、言葉にしたくないという思い。でも、自分の心の中では、その想いに溺れそうになっているものがもつ雰囲気だ。


「あの子の病魔びょうま……。あれはもう、取り除けないの?」

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