第2話千年守護獣

黄昏に似た世界の中、あつい沈黙が流れ過ぎる。


互いに見つめあうシロとクロ。

二人の間に流れる意志の中で、言葉はその姿を見せないでいた。


「クロ、お願いします」


もう一度そう告げたあと、シロは再びクロを見つめる。

その言葉に、クロはただ黙って目を瞑る。


再び同じ時が繰り返されるように思えたが、その姿を見つめるシロの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。


「たぶん、あなたならわかると思う。今の僕と同じ気持ちを、きっとあなたは知っている」

「知った風な口を――」

「知っていますよ。あなたは嘘をつけない人だ。今も僕にあきらめろと言いつつも、どうにかできないかを必死に考えてくれています。でも、無駄です。いくら千年守護獣でも、本来の守護獣がいる所で病魔にとどめはさせません。たとえあなたが病魔を瀕死に追いやっても、今の僕では倒すことはできません。もっとも、僕が万全の状態でも無理でした。あの病魔には、僕の攻撃が全く通じていませんでしたから。それはあなたも知っているのでしょう?」


シロに浮かんだ自嘲の笑み。それは痛みの為か、微妙なこわばりを見せていた。


「え!? それって……。クロ?」

シロとクロを交互に見つめるアキハの視線に、シロもクロも応えることはない。だが、その雰囲気を感じたのだろう。アキハはそれ以上何も言わず、黙って二人を見続けていた。


「ああ、確かにお前の攻撃は通じていなかった。浅い傷はつけれても、致命傷を与えることはできない。あれではとどめはさせない。でも、それは仕方がない。あれは異質なものに変化したんだ。俺と違い、お前の刃は届かない」


「今の言葉は……。ああ、嘘ではありませんね。これで安心できました。あなたが珍しく僕の前に現れたのは、僕に『あきらめること』を選択させる為。でも、それは残念ながら無駄なことです」

見上げるシロの視線はクロの耳に注がれる。


だが、その事をまるで気づかないクロは、険しい表情でシロに迫っていた。


「あきらめろ、お前にはまだ先がある。あの子はそういう運命だった。すべてを、守護獣が背負う必要なんてない」

その雰囲気に、一瞬目を丸くするシロ。だが、それは微笑みへと変わっていた。


「あなたという人は……。本当に、嘘が下手ですね。でも、今のはどっちの事なのでしょう? でも、運命ですか……。そういうあなたはどうなのですか? あなたはその言葉で納得できた人なのですか?」

「俺の事はどうでもいい。そもそも、お前とあの子の繋がりは細い。言え! お前は本来の守護獣じゃないだろ! たぶん、前の守護獣は相討ちになった。おせっかいなお前は、助太刀してとどめだけを本来の守護獣に任せるつもりだった。だが、そうはならなかった。病魔は退けたが、同時に守護獣もいなくなった。責任を感じたお前は、繋がりを自分に付け替えた。多分そんなとこだろう。そんな偶然の結びつきに、お前自身をかけてどうなる? 本当はその時に寿命を迎えるべきなんだ。無理な延命は、他人を巻き込み不幸を呼ぶ。あえて言う。四百年守護獣のお前が、あんな小娘一人――」

「たとえ!」

クロの言葉を遮ったシロ。だが、荒げた声はすぐに落ち着きを取り戻す。


「たとえ、繋がりが希薄だとしても。たとえ、本来の守護獣じゃないとしても。今の僕はあの子の守護獣です」

「そんなものは、普通の守護獣で十分だ。だが、百歳を超えた守護獣は違う。霊災から多くの人を守る使命がある」


「クロ、それはあなた自身に対する言い訳ですよね? あなたはそうするために千年生き続けたのですか? たしかに、あなたのおかげで多くの人が救われています。でも、あなたは救おうとして救っていない。あなたは自分に嘘をついていることに気づいていません」

高ぶった感情を抑えるように、シロは大きく息を吐く。


「とにかく、今の僕はあの子の守護獣です。その事をとやかく言われる筋合いはありません」

「そんなのはいくらでも解消できる! 死すべき人の子の為に、お前が犠牲になる必要はないはずだ!」

牙をむき出しにして告げるクロの表情に、驚いたアキハもその顔を覗き込む。一方のシロは、嬉しそうに目を細めていた。


「どうしたのです? いつものあなたらしくない。そう思うなら、さっさとこの場から立ち去ればいいでしょう? 僕は動けない。そして、あれも動かない。日が変われば、あの子は一歳年を取る。十五歳になるのです。そして、あの子はそのまま次の日に死を迎える」

「そして、お前も死ぬんだな? あの子を守れなかったことを悔いて」


「さあ、どうでしょう? そうならないと知っていますから、考えたことはありません。ひょっとして、あなたが守護獣になったのは――」

「うるさい! 人の過去を詮索するな!」

飛び下がりつつ怒鳴るクロ。


その怒声で生まれたのだろう。

いきなり空中で発生した力の波動に、アキハが遠くに飛ばされていく。その力の流れを感じたのだろう。巨大な人型の闇も、その表情のない顔をクロの方に向けていた。


――その瞬間、光の鎖がクロの体を拘束する。それはかなりの痛みを伴うのだろう。クロは苦痛に顔を歪めていた。


「わかりましたよ。でも、千年守護獣といえども不自由ですね。噂では、一つだけ願いをかなえることが出来るようですが、単なる噂ですか?」

「噂だ。出来るならとっくに使ってる」


倒れることなく話し続けるクロの所に、アキハが急いで飛んできた。


「もう! いきなりなんなの! それに、やっぱり捕まってるし!」

何かの言葉を唱えながら、アキハがクロに触れたその瞬間、光の拘束が砕け散る。そして闇の巨人も、体をクロの方に向けていた。


「クロ! あれ! こっちにくるみたい!」

その動きに気付いたアキハが、警告の声を上げている。


「それは困りました。では、そろそろお願いします。あなたとの会話時間で言うと、今ので三百年分くらいは話しましたよ?」


その言葉には返事せず、クロは自らの体を確かめるように体を軽く動かしていく。


「アキハ、ちょっとどいてろ。あと、何も見るな」

クロの言葉に、アキハが戸惑う。そのさまよう視線は、シロの姿を捕らえていた。


にっこりと笑うシロ。それを見たアキハは、ぺこりとお辞儀をして飛び立っていた。


「僕も初めての事ですが……。噂では記憶も引き継がれるらしいですね。人格は無くなり、記憶も感情を伴わないただの情報になるという事です。だから、この街の異変を含めて、特に言わなくてもいいはずです。ですが、一言だけ言わせてください」


シロの言葉を聞きながら、ゆっくりと近づくクロ。その瞳に、決意のともしびがともっている。


「あなたと会えてよかった。あなたにあの子を託せてよかった。あの子は勘のいい子です。僕がいなくなったことも分かるでしょう。そして、不思議な感覚を持っています。あの子なら、あなたの事をきっと大事にしてくれます」

「それから、あの子の母親には注意してください。たぶん僕があの子を守っていることを知っています。そして、彼女のいう事はしっかり聞いてください。とても恐ろしい目にあいます」

「恐ろしいと言えば、あの子の祖母達には気を付けてください。どうやら僕達の事を知っているようです。特に母方の方からは、散々脅されましたからね」

「あの子の兄は、とても妹想いです。ちょっと過保護なあたり、たぶんあなたと似ているでしょう。似た者同士、たまに噛みつき合うのもいいかもしれません」

「あの子の父親はあの子を溺愛しています。でも、僕とは仲が悪かったですね。あなたもたぶんそうでしょう。ふふ」

「あの子の友達にはちゃんと愛敬よくしてください。あなたにそれが出来るか……。それが一番の心配ですね……。特になぎさあおいはあの子にとてもよくしてくれています。多分、彼女たちはあの子にとって大切な友達です。だから、多少の事は我慢ですよ。いいですか? なぎさあおいですよ」

「これは言わなくてもいい事ですが、あの子はかなりの美人です。寄ってくる男はたくさんいますから注意してください。中には、人の領分を超えた者まで混じってきます。だから、邪気にあてられることが多いのです。そういえばお礼がまだでした。先日それを食べて頂き、ありがとうございました」

「それから……、それから……」


「なげーよ、お前の一言」

シロの頭を、前足で軽く小突くクロ。


「ああ、そうですね。では、本当に一言だけ」

「ああ」

「あの子に伝えてください。『ごめんなさい』と」

「ああ、約束する」

「この五年。あの子と過ごせた僕は、とても幸せでした。あなたにもきっとわかります。あなたになら、安心してあの子を託せます。そして、あなたにとってもあの子との出会いはいいことだと信じています」


目を瞑り、そのまま何かを待つシロ。

そんなシロを、クロは黙って見下ろしていた。


「さあ、クロ!」


――無常の鐘の響きと共に、闇の巨人の腕がクロへと迫る。


その刹那、黒い光の爆発の中、クロの声だけが響き渡る。


「ああ、喰ってやる。お前の想いのすべてをな」

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