そこにいる猫

あきのななぐさ

序章 邂逅

第1話シロとクロ

南中した太陽が傾き始めた頃、一匹の猫が川に架かる鉄橋のてっぺん部分を歩いていた。

どこにでもいるような黒猫。

だが、そんなところを普通の猫が歩くはずはない。

しかも、川面から反射する光のようなものが、黒猫の周囲を飛んでいた。


もし、注意深く見る人がいれば気が付いたことだろう。その光はまるで黒猫に話しかけているようであることを。


だが、猫の姿はおろか、その光に気づく者はいなかった。


――いや、正確には鉄橋の上には、車も人影も全く見当たらない。


まるで川の中心が境界線であるかのように、黒猫の見つめる先には人の姿はおろか、鳥も飛んでいなかった。

隔絶している何かが、ドーム状に展開している。黒猫が進むその先の景色を、すっぽりと覆い尽くすほどに。


だが、黒猫は歩いてゆく。

いつしかその何かが、丁度黒猫の目の前に迫っていた。


それでも黒猫は歩き続ける。輝きもまた、黒猫と共に進んでいく。


やがて黒猫と輝きは、壁――何か目に見えないのようなもの――をすり抜けていた。


そして、その瞬間。

周囲に浮かんでいた輝きが、羽の生えた小さな人の姿に変化していた。

それはおとぎ話に出る妖精の姿。

やっとその姿に戻れたことを安堵したかのように、妖精は大きく伸びをした後に、黒猫の頭の上に腰掛けていた。


そして、黒猫の見つめる先に黒い塊が集まりはじめる。それはやがて膨れ上がり、巨大な人の形をとり始めていた。





「手助けしないの?」

半ば答えを知っているかのような調子で、妖精は黒猫に尋ねている。黒猫もそれがわかっているのだろう。小さく鼻を鳴らしながら、よく見える所を探しあてたかのように、電柱のてっぺんに上っていた。


――黒い塊が完全に巨大な人型となっている。そして、小さな白い戦士が戦い始めていた。


「バカバカしい。あれはアイツの戦いだ。俺が手を貸す理由はない」

「ホント、素直じゃないね。クロって自分が『あまのじゃく』だって自覚ある? あの白い戦士って、この前会った白猫よね? 気になるから、わざわざ結界に入ったんでしょ?」


耳元で話しているにもかかわらず、黒猫は妖精の言葉に反応を示さない。それも分かっていた事のように、妖精は小さく息を吐く。


「もしもーし。地球のどこかにいる黒猫さーん。聞こえてますかぁー? はろー? ぼんじゅーる? にいはお? ぐーてんたーぐ? ぼあたるぢー?」

「見るだけだ。手を貸すのとは意味が違う」



「まあ、そうだけどさ。でも、アレは無理でしょ? どう考えても、あの子じゃ太刀打ちできないよ? あの白い子も相当できる子みたいだけど、相手が悪いよ。いままでも、相当無理してたんじゃないの?」

「だろうな。あんなに肥大化したのを見るのは、久しぶりだ」

「じゃあ――」

「さっきも言ったが、俺にはその理由がない。そもそも、アイツの守っている奴の事を知らない。知らない奴を守る事はできないはずだ」

「嘘だね。クロは嘘をついている。理由はともかく、守ってる子の事は知ってるよね?」

「嘘じゃない。知らない」

「嘘だよ。分かるもん。クロの嘘はすぐ分かるんだよ」

折れ曲がった右耳をしげしげと見つめたあと、妖精は得意顔になっていた。


しかし、沈黙を貫くクロの様子に、いつしかその顔も溶け落ちていく。


「クロ?」

「何でもない。考え事をしてただけだ。たしかに、アイツには少し借りもある。二百年前の借りだが、アイツは執念深いから覚えているだろう。この間あった時に見せたあのにやけ面は、きっと『覚えているぞ』っていう意思表示だったんだろう」

「そうかな? 私にはほっとした感じ・・・・・・・に見えたけど?」

「いや、そうに決まってる。だから、どんな感じか確かめに来ただけだ。だが……。あれはやばい。たかだか四百歳ちょっとのアイツにはきついだろうな」

「さすがクロ。無駄に千年生きていると、言う事に貫録があるよね。あっ千百年だったね」

無駄・・は否定しない。でも、生きているとは言えない。俺はあの時に死んだんだ。気が付けば、こんな姿になっていただけだ。一族の呪いってやつだな。それとも凶星の仕業か」

「生きてるよ。生まれ変わったんだよ。そんな事言うと、超絶大好きな妹さんに怒られるよ?」


その途端、黒猫は妖精を振るい落とすかのように頭を振る。だが、それを予知していたかのように、妖精はひらりと黒猫の頭から飛び退いていた。


「もう! クロ! ひどいよ!」

「うるさい。黙って見てろ! それに、当事者でない俺が加勢したら、監視者のお前にとっても不都合だろうが!」


黒猫と妖精の言い争う間にも、巨大な人型となった黒い塊は小さな白い戦士と戦いを繰り広げていた。

あまりある体格差にもかかわらず、小さな白い戦士は圧倒的なスピードで戦いの主導権を握っている。

なすすべもなく翻弄される巨大な人型の黒い塊。

その攻撃は、空を切りつづけ、小さな白い戦士の攻撃は確実にその黒い塊に届いていた。


「あれ? もしかして勝っちゃいそう? 結構やるもんだね、真っ白なのに」

「いや、アイツは猫の姿ではなく、すでに人型になってる。それでも浅い。浅すぎる。見ろ、アイツの攻撃であの黒い巨大な塊は弱ってるか? あれはただの攻撃じゃない。四百歳クラスの守護獣が、完全に人型になった攻撃なんだぞ? 普通の病魔なら一撃だ。だが、全く効果がない。人型になって、結構な時間が過ぎてるってのに」

「見たらわかるよ、そのくらい。でも、完全っていっても、やっぱり顔は猫なのよね。なんだか不思議。それよりあの恰好って、軽戦士フェンサーって言うんだよね。初めて見たよ。クロの姿とはずいぶん違うね。年齢で姿が変わるの? クロって和装だったよね?」


「姿は見た目だけの問題だ。根本的な強さとは別物だ。ただ、アイツは西洋かぶれしすぎなんだ。普通に日本刀ならもう少し強くなる。」

「そこなの? 問題」

「ああ、想いが力に影響する世界だからな。実際に実物を見た方がイメージしやすいだろ? まあ、それでもほんの少し影響するだけだが」

「だから、クロってめったに人型にならないの? 人のこと、ちゃんと見てないから」

「うるさいよ。それは関係ないだろ。人型は強さが増すが、消耗も激しい。俺は猫の姿で十分戦える。ただ、それだけのことだ」

「ふーん」

「なんだよ? 何か言いたそうだな」

「べっつにぃ~」


妖精が口笛吹くそぶりをしたその瞬間。いくつもの建物を突き抜けて、白猫の軽戦士フェンサーが、黒猫の真下まで吹き飛ばされてきた。


ひらりと降りる黒猫と妖精。


巨大な黒い塊はそこから動きもせずに、周囲から何かを集め始める。あたかも、その巨大な姿を、更に巨大なものに変化させるかのように。


「よう、シロ。ボロボロだな」

巨大な黒い塊を一瞥し、クロは白猫の軽戦士フェンサーに言葉を投げかけていた。


白猫の軽戦士フェンサーは一瞬気を失っていたに違いない。


だが、その声に反応したかのように、満身創痍の白猫の軽戦士フェンサーが、片目を開けて声の主を探していた。


「やあ、クロ。久しぶりですね。そろそろ『借り』を返してもらえるのでしょうか? 忘れたとは言わせませんよ」

「うるさい。あれはお前が押し付けただけだ」


言い争いをはじめそうになった時、妖精の言葉が水を差す。


「ねえ! さっきから出てくる、その『借り』って何?」


妖精の一言に、白猫の軽戦士フェンサーの眼がその姿を追い求める。クロの後ろにその姿を見つけると、小さな驚きの顔を見せてあと、痛々しい姿にもかかわらず、軽い笑顔を見せていた。


「なるほど。はじめまして。妖精さん。千年守護獣には妖精が付くって噂は本当だったようですね。なるほど。以前クロにあった時は、九百歳だったから……。はじめまして、可愛らしい妖精さん。僕はシロ。クロと違って、闇を食べない主義だから白いままです。ちょっと体が動かないので、このままの名乗りで申し訳ありません」

「あは! クロと違って紳士的! 聴いてくださいよ! クロったら、私をいきなり食べたんですよ? ひどくないです? あっ、ごめんなさい。私はアキハ。見ての通り千年守護獣が暴走しないようにする監視者です」

可愛らしくお辞儀する妖精アキハ。その姿をシロは目を細めて見つめていた。


「ははっ、それはクロらしい」

痛々しい姿なのに、うっすらと笑いを浮かべた白猫とその鼻先で会話する妖精。


「いきなり目の前に現れたんだ。食いつきたくもなる。今でもたまにその衝動を抑えるのに苦労する」

「ほら、いっつも、こんな感じ!」

「ははっ。アキハさん。じゃあ、いい事を教えてあげましょう。このクロはですね、こうして硬派を気取っていますが、実は女の子に目がないのです」

「あっ、それ知ってます! シロさんと会った時も、あの女の子を追いかけてましたから!」


その瞬間、追求しようというシロの視線から逃れるように、クロはあの巨大な黒い塊を見上げていた。


ただ、徐々にクロの雰囲気が変わるのを、そこにいるだれもが感じていた。


「シロ、もう諦めろ。あれはもう、お前にどうこうできないところまで育っている。それはお前も分かっているはずだ。だから、最初から人型で戦ってたんだろ? いつから守ってるのか知らんが、お前のあの子は寿命だった。仕方がないことだ」


ゆっくりと静かに諭すように、クロはシロをまっすぐに見つめる。

シロもその瞳をじっと見つめながら、小さく息を整えていた。


沈黙の中、まるで那由多の問答を繰り返すように。


「わかりましたよ、クロ」

目を瞑り、小さく息を吐いたシロの瞳。その奥に、決意の光が確かに灯る。


体を起こし、ますます何かを集めだす闇の巨人を見上げたシロ。


しかし、それは一瞬。


再び倒れ込んだシロは、ゆっくり呼吸を整えていく。

ゆっくりと確実に。


これから告げる言葉が、自らのすべてを紡ぎだすかのように。


「クロ。この僕を喰ってください」

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