第五話 最後のスマホ


 ノイマンたちからざっくりと統括徴税官詰所の仕事のことを説明してもらってわかったことだが、税金を払わない人に払ってもらうという徴税の仕事のやり方自体は、元の世界とさほど変わらないようだった。

 幾分、こちらの方が力ずく感があって、おそらく滞納者の人権への配慮とかは恐ろしく薄そうな予感はしたが。

 それが終わると、丘の下に繋がれているドラゴンのところに連れていかれる。

 馬小屋で作業をしている飼育係の男に、干し草や道具のありかを教えてもらった。このドラゴンは古竜といわれる種類で、草食なんだそうだ。主に干し草と、専用のシダを食べるらしい。

 ドラゴンは眠っているのか、ずっと伏せたままでおとなしくしていた。

 ある程度人語も理解しているとは言われても、これだけ大きな生き物だ。近寄るのは怖かったので、ドラゴンが繋がれたロープが届くギリギリのところに干し草を置いた。

 動物は色々飼ったことがあるけれど、今まで飼った中で一番大きかったのは実家の犬くらいなものだ。シェルティの雌で、実家にいた頃はよく散歩に連れていった。

 でもドラゴンほど大きな身体をしてると、犬と違って散歩に連れていけそうにもない。ずっと繋ぎっぱなしなのは少し可哀そうな気もしたけれど、散歩なんてさせたらこっちが踏みつぶされそうだ。

 干し草を置き終えて去り際にもう一度振り返ると、ドラゴンがうっすらと目を開けてこちらを見ていたので驚いた。


「起きてたんなら、そう言ってくれよ……」


 目を覚ましているとわかっていたら、近づくときもうちょっと注意したのに。

 真っ黒な瞳は、とても静かにこちらを見ていた。

 その目がなんだかとても寂しそうにも思える。どこかで見たことあるなと考えていたら、実家の犬の目に似ている気がしてきた。家族がみんな出かけてしまって一匹で留守番しなきゃいけないときに、よくこんな目をしていた記憶がある。

 不安そうな、哀しそうな、そんな目。


「また明日も来るからさ。そんな寂しそうにしてんなよ」


 佐久間は小さく笑う。

 そのうちきっといい飼い主が見つかるって。それまでの辛抱だからさ。そうドラゴンに言って、佐久間はその場を後にした。


 日が暮れはじめた頃、城から歩いて十分ほどのところにあるノイマンの自宅に連れていってもらった。

 空いている部屋をどこでも自由に使っていいと言うので、二階にある一番狭い部屋をあてがってもらう。といっても、それでも元の世界で住んでいたワンルームの倍の広さはある部屋だったけれど。

 ノイマンの自宅は、家というよりも邸宅といった方がしっくりくるような大きな二階建ての屋敷だった。財務副大臣とか言っていたっけ。相当身分が高い人間なんだろうなとは思っていたけれど、金持ちでもあるんだろう。

 現在、その広い屋敷に住んでいるのは彼一人らしく、昼間は数人のお手伝いさんが来るようだけど、そのときはすでにみんな帰ったあとだった。

 屋敷のダイニングに置いてあったお手伝いさん作り置きの晩御飯は、当然ながら一人分しかない。ノイマンは少しだけ別の皿に取りわけてそれを自分の分にすると、残りは全部食べていいよと差し出してくれた。

 思い返してみると最後に食事をしたのは職場の打ち上げのときだ。

 あれから何時間経っているのかもうわからなくなっていたけれど、食べ物を目の前にすると酷く腹が減っていることに気づく。だから、ノイマンには悪いけれど有り難くいただくことにした。味なんてよくわからなかったが、とりあえず腹は膨れた。


 食事が終わると、すぐに寝るようにと寝室へ追いやられる。

 まだ日が暮れてからさほど経っていない時間帯だったが、もしかしたらこの世界の人たちは寝るのが早いのかもしれない。二階に上がるときに持たされたランプを部屋の中央にあるテーブルに置いて、壁際に置かれたベッドに寝転がった。

 ベッドは想像以上に硬かった。

 横になると、急に全身の疲れに襲われる。たぶん、今まではどこか気が張っていて感じなかっただけで、精神的にも肉体的にもかなり無理をしていたんだろう。

 一人になったことで、さらに不安まで押し寄せてくる。

 元の世界の深夜にこっちの世界の昼過ぎへと召喚されたわけだから、いま身体は徹夜明けと同じ状態のはずだ。でも、なぜか目が冴えて眠れそうになかった。

 ノイマンの屋敷は敷地が広いせいか、それともこの世界の人間たちはもう寝静まる時間帯だからか、庭で鳴いている虫の声がたまに聞こえるくらいで、それ以外はなんの音もしない。あまりに音がなさすぎて、キーンという耳鳴りまで聞こえてきそうだ。


(そうだ。音楽でも聞こう)


 元の世界のものが無性に恋しかった。カバンは召喚のどさくさでどこにいったかわからなくなっていたけれど、スマホはズボンのポケットに入れっぱなしだったことを思い出す。

 スマホを手に取り電源を入れた。ぼわんと光る人工的な明かりが、なんだかとても懐かしくて、とても愛おしい。

 画面の端には圏外のマーク。もちろんWi─Fiなんてものも飛んでいない。それでもダウンロードしてあった音楽は聴けるだろう。

 しかし、スマホの画面を親指で操作しながら、ハタと気づく。そういえば充電するものがない。というか電気すらこの世界には存在しないんじゃないだろうか。

 災害用の手回し充電器でも持っていればよかったが、生憎そんな便利なものを仕事帰りに持っているはずもない。

 スマホのバッテリーは残り50%を切っていた。カバンもなくなってしまったので、その中に入れていたモバイルバッテリーも残念ながら行方不明だ。きっと何もしなくても数日中にはスマホのバッテリーは完全にゼロになるだろう。


「そっか……あと少ししたら、これ、使えなくなるのか……」


 音楽を聴こうかと思ったが、やめた。そんな無駄遣いはしたくない。

 ミュージックアプリを閉じると、少し考えたあと、フォトアプリを開いた。

 撮り溜めた写真が出てくる。一番最初に出てきた写真は、誤召喚されてこっちに来る直前に職場の打ち上げで撮った写真だ。

 ビール瓶片手にはしゃいでいる同僚たち、打ち上げ中だっていうのに眉間にしわ寄せて難しい話をしているらしい係長、陽気に飲んでる課長。ふざけて撮った課内の面々が画面に出てきた。

 つい、そのときのことを思い出して口元に笑みが浮かぶ。

 しかし、画面を繰っていた指が、ふと動かせなくなる。画面から視線が離せない。

 そこには一人の女性が映し出されていた。

 ビールの入ったグラス片手に、何やら楽しそうに話しかけてくる彼女の写真。スマホの画面に指で触れる。スマホの硬いガラス面の感触しか返ってこないけれど。


「……浅加」


 別に付き合っていたわけじゃない。自分の気持ちを伝えたことすらない。彼女はおそらくこっちの感情には気づいてもいないだろう。それでも、毎日職場で会えるだけでよかった。

 県庁では数年に一度部署を異動しなきゃならないルールがあって、自分はあの職場に配属になって五年目だから、そろそろ異動対象になるだろうなとは薄々感じていた。

 だから、彼女と一緒に仕事ができるのも、あとわずかだと覚悟はしていたけれど。


「……まさか、こんな理由で会えなくなるなんて、思わないよな……」


 佐久間はスマホの電源を切ると、腕を落とすように目の上を覆った。この写真もあと少しで見ることができなくなる。記憶の中にある彼女の姿も段々と薄れていくだろう。それが何より怖かった。


「……つれー」


 独り言だけど、そう声に出さずにはいられなかった。溜まったものを吐き出したいけれど、吐き出す術すらわからない。

 目頭が熱くなって鼻がつんとした。不安が黒い塊のようになってこの暗闇と一緒に押しつぶしにくるようだ。

 このまま押しつぶされてしまえば楽なんだろうか。夜の闇にあてられて気がどうかしてしまえばいいのに。そんなことすら思った。

 虫さえ寝静まったかのような静寂の中、嗚咽が漏れるのを噛み殺そうとするが、その努力を感情の波が凌駕してしまいそうになる。

 と、そこに。

 コンコンと、小さな音が聞こえた気がした。


「え……」


 佐久間は、身体を起こしてドアを見る。

 今、確かにノックする音が聞こえた。腕で濡れてしまった顔を乱暴に拭くと、革靴に足を突っ込んでドアの前までいく。ノブを回してそっと開けると、手持ちランプに薄らと顔を照らされたノイマンがいた。


(やべ……泣いてたのバレたらどうしよう)


 それはさすがに恥ずかしい。絶対腫れぼったい目をしていたと思うが、幸いノイマンが手に持つランプの明かりくらいでは、表情までは見えなかったに違いない。


「まだ、起きてたんですね」


「……ああ、うん」


 ノイマンは、昼間と変わらず穏やかな笑みをたたえてこちらを見ていた。その笑顔に、どこかほっと気持ちが落ち着く。


「パジャマを渡せなかったので持ってきました。あ、それとこれは明日着る服。お手伝いの人たちが帰ってしまったので、どこに仕舞ってあるのか探すのに手間取ってしまって。時間かかってすみません」


 ノイマンは笑いながら小脇に抱えていた布の塊を渡してくれた。

 どうやら今まで探してくれていたらしい。


「ど、どうも……」


「それじゃ、おやすみなさい。よい夢を」


 そう言うとノイマンは廊下を階段の方へと去っていく。


「あ、あの……」


 佐久間の声にノイマンは足を止め、首を傾げてこちらを振り向いた。


「いろいろ、ありがとう。助けてくれて……」


 ノイマンは苦笑を浮かべる。


「私が助けないと、あなたはきっと野たれ死んでしまうでしょう? 自分の意思ではなく、私の間違いのせいでこちらに来ることになったのに。だから、せめてもの罪滅ぼしです。……それに」


「……?」


「私は静かな環境が好きです。……でも、この家は少し静かすぎる。時々、それが嫌になるんです」


 そう言って静かに笑うと、ノイマンは「おやすみ」ともう一度言って去っていった。

 ノイマンの持つランプの明かりが完全に見えなくなってから、佐久間はパタンと部屋のドアを閉めた。

 渡された服をテーブルに置いて一枚一枚見てみる。

 ノイマンがパジャマと言っていたのは、この白い上下だろうか。裾の長い白いワンピースのような木綿の上着と、少しダボッとしたズボン。

 早速、それまで着ていたスーツを脱いで着替えてみる。埃やら砂やら汗やらで汚れていたスーツからパジャマに着替えると、何だか小ざっぱりした気分になった。パジャマは仄かに夏草のような匂いがした。佐久間は再びベッドに入った。


 気がついたら朝になっていた。

 静かな目覚めだった。そういえば、目覚ましが鳴った記憶がない。やべぇ、また目覚ましかけ忘れて、寝過ごした!? 半休とりますって電話しなきゃ! 係長に怒られる! と焦ってばたばたと枕元を手でまさぐるが、目覚まし時計が見つからない。

 そこではたと、昨日の出来事を思い出した。


(そっか……俺、異世界に飛ばされたんだっけ)


 ぼりぼりと頭を掻きながら、寝ぼけた頭でのっそりと辺りを見回した。

 見慣れない部屋。見慣れない服。

 窓から差し込む光は弱く、まだ太陽が地平線から顔を出したばかりの時間のようだった。


「……よっ、と」


 ベッドから降りて観音開きのガラス窓を開く。

 外は薄暗く、朝焼けに雲がたなびいていた。ここに来るときにはいていたズボンのポケットからタバコとライターを取り出して、ぼんやり一服する。

 朝の爽やかな風にあたってようやく頭が起きてきたところで、翌日用の服と言って渡されたものに着替えた。

 そっちは、茶色いカーゴパンツみたいなものに、似たような色の裾がだぼっとしたシャツだった。少し大きめなのは、背の高いノイマンの私服だからだろう。

 ベルトみたいな紐もあったが、これの使い方がよくわからない。ズボンにもサイズ調整の紐はついていたので必要ない気がするんだが。

 とにかく、なんとかそれらを着て一階に降りていくと、すでにノイマンがダイニングのテーブルで何やら書き物をしていた。


「やあ。おはよう。よく眠れましたか?」


 羽根ペンを止めて顔を上げたノイマンは満面の笑みで迎えてくれる。


「……おはよう。ええと……うん、一応」


 時計がないからよくわからないが、あのあと一度も目覚めることなく寝ていたようなのでそれなりにまとまった睡眠がとれたのだろう。身体は幾分すっきりしていた。


「そう、それはよかった。あなたが寝られないんじゃないかと気になって、心配だったけど。あなたは随分順応性の高い人のようですね」


 そんなことはない……と思う。ぎりぎりのところでなんとか保っている、そんな危うさを感じる。でも、余計な心配もかけたくなかったのでそれ以上何も言わなかった。

 さっきの使い方のわからない紐は手に持っておいたら、ノイマンが使い方を教えてくれた。どうやら、シャツの上から腰を縛って裾がひらひらするのを防ぐためのものらしい。


「さぁ。顔を洗ったら行っておいで」


「……どこへ?」


「決まってるじゃないですか。城です。あのドラゴンのお世話係をするんでしょう?」


 そういえば、昨日そんなこと言われてたっけと思い出す。

 と、そのとき。屋敷の入り口辺りから人の声が聞こえてきた。この屋敷には今は自分とノイマンの二人しかいないはずだ。ノイマンも気づいたようで、表情を強張らせて「なんでしょう」と立ち上がる。

 玄関ホールへ行くと、そこに一人の男がいた。


「ああっ、サルトア卿」


 男はノイマンの顔を見るなり駆け寄ってきて、頭を深く下げる。


「どうしました? こんな朝早くに」


「ええ。一刻も早くお知らせしようと馬で駆けて参りました。サルトア卿が昨日持ち帰られ城内に一時保管されておりましたドラゴンが暴れております。至急、城までお越しください」

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