第三話 しばらく帰れないとか冗談だと言ってくれ
その一部始終を見終えて、ノイマンは「さて」と疲れをにじませた声で呟く。
そして、佐久間の前にやってくると物珍しそうにこちらをマジマジと眺めたあと、ふむと顎に手を当てて首を傾げた。
「あなたは、一体どこから来た何者なんですか? 状況を説明していただきたいのですが」
それは、こっちが聞きたかった。
とりあえず、自分が知っていることは全て話すことにする。仕事の帰りに酒を飲みながら歩いていたら、いつのまにかここにいたこと。さっきまで夜だったこと。自分がどこにいるのか、さっぱり見当もつかないこと。
「ふむ……あなたは、なぜ自分がここにいるのかまったくわからない……と、そう言うんですね?」
ノイマンの言葉に、こくんと佐久間は頷く。
「あなたの疑問の解消になるかどうかはわからないけれど、ここは第二十四代女王シャーレット・ファルミリア様が治めるファルミリア王国です」
「……王国。日本じゃ……ないんですよね?」
「はい。私は比較的博識な方だと自負していますが、残念ながらそのような名前の国は一度も聞いたことがありません」
「そう……ですか……」
しかし腑に落ちないことがある。
「あの……だったら、なんでみなさん、日本語しゃべってるんですか?」
「え?」
ノイマンは一瞬驚いたあと、ああ……と小さく笑みを浮かべた。
「あなたは自分の国の言葉をしゃべっているつもりでしょうが、私にはあなたが私たちの国の言葉を話しているように聞こえていますよ」
「……?」
佐久間は訳がわからず眉を寄せた。学校で何年も勉強した英語すら日常会話を交わすのがせいぜいなのに、こんな知らない国の知らない言語など話した覚えはない。
「ああ、そんなに深く考え込まなくても大丈夫ですよ。なんて説明すればいいかな……その、召喚する際に言葉がわからないとお互い不自由ですから、召喚の術式の中に言語適応の術式も組み込んでおいたんですよ。そっちは正常に作動しているようですね。その、あなたの頭の中にこちらの言葉の辞書を丸々入れてしまったようなものなんです。だから、あなたは自国の言葉を話すのと同じような自然さでこちらの言葉がしゃべれるようになっています。そういうわけで、こちらの世界にいる間はこの国の公用語の会話については心配しなくてもいいですよ」
それって脳内に強制的に情報を入れられたってことなんじゃないのか? とちょっと不安にもなったが、言葉が通じないと困るのは確かなので、とりあえずそのことは今は置いておくことにする。
それよりも、ノイマンの話す言葉の中にちょくちょく妙な単語が混ざるのが気になった。
「召喚? こちらの世界?」
「そこからちゃんと説明しなくちゃいけませんね。私はこの世界と平行して存在すると言われる異世界から使役魔を呼び寄せる召喚術式を使いました。しかし現れたのはあなただった。つまり、なんらかの間違いがあって使役魔ではなくあなたが召喚されてしまったというわけなんです。だから、おそらくあなたから見るとこの世界は異世界ということになるんでしょうが、逆に私たちから見るとあなたは異世界から来た人間ということになるんです」
さっぱり訳がわからなかったが、これだけははっきり理解できた。
「つまり……俺は何かの間違いでアンタに呼び寄せられてここに来た、と? そういうことなのか?」
つい言葉遣いも荒くなる。
「……そんなに睨まないでください。その件については本当に申し訳なかったと思っています」
「それで、俺はいつになったら日本に……元の世界に戻れるんだ?」
「それは……」
ノイマンはふむと考え込む。どうやら、口元に手をやるのは彼の考え込むときの癖らしい。
「召喚の効果が切れたら自動的に帰れるのだと……は思います。本来は三ヶ月くらいで効果が切れるはずなんです。でも、あなたの場合は何かの偶然で誤ってここに来てしまったわけですから。本来召喚したかった使役魔に比べると体長も小柄で、体重も軽そうです。正直、どのくらいで効果が切れるのかは私でも確かなことは言えません。明日には帰れるかもしれないし、……数年後かもしれない」
「そんな……」
帰れる、と聞いたときは心から安堵したが、場合によっては長期間ここに留まらなくてはいけなくなるかもしれないなんて。
その間、元いた世界では行方不明扱いになるのだろうか。
実家の両親は自分が蒸発したと思うかもしれない。仕事はどうなるんだろう。長い間、私事欠勤していたらさすがに懲戒免職になるかもな。そうなったら新しい仕事を探さなきゃなんないな、なんて面倒ごとが次々と頭をよぎる。
それに。
(しばらく、会えなくなるのか……)
普段はそんなに会いたいとも思わなかった人でも、しばらく会えないとなるとちょっと寂しい。まして、いつも会いたいと思う相手なら、なおさらだ。
つい数時間前まで働いていた県庁のあの職場が、いまはとても遠く思えた。向かいのデスクに座る後輩のあの子のことも。
佐久間が押し黙ってしまったのを、これからのことを思って不安になっていると勘違いしたらしいノイマンが、励ますように佐久間の両肩を掴んで揺さぶった。
「こんな道端に置いていくようなことはしませんから、その点は安心してください。召喚した私に全ての責任はあるんです。あなたが元の世界に戻れる日まで、あなたの衣食住は全面的に保証します」
とりあえず、この人の世話になるしかなさそうだと佐久間は判断する。
見た感じ、そう悪そうな人にも思えなかった。
年齢は佐久間より少し上だろうか。元々住んでいた世界は違うけれど、奇しくも似たような仕事をしているということでどこか近しさを感じもする。
何より、ノイマンが高い背を屈めてあまりにも心配そうにこちらを覗き込むので、つい口端をあげて笑みを返した。自分では笑ったつもりだったが、もしかしたら、ぎこちない苦笑になってしまっていたかもしれない。
「……そうするしかなさそうだな。戻れるまで、あんたのとこに厄介になるよ。どれくらいの長さになるのかわからないけど……よろしく」
その佐久間の様子に、ノイマンも「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」と笑った。
と、そこへあの赤髪女が駆け寄ってくる。
「ノイマン。ゼンは出血が酷かったから先に馬車で帰らせて治療を受けさせることにした」
ゼンというのは、あの不思議な道具を使う、言葉に訛りのある青年のことのようだった。脚を刺されたようだったから、確かにすぐに治療が必要だろう。
「それと、ドラゴンの方もどうやら動いてくれそうだ。さっきまで飼い主を探していたようだったが、事情を話したらわかってくれたみたいだ」
「……え。あのドラゴン……人間の言葉がわかるのか?」
二人の会話へ割り込むように横から口をはさんだ佐久間に、赤髪女は苛立った様子で言った。
「当たり前だ。あれは古竜だ。まだ子どもだから、我々の言葉すべてを覚えているわけではないだろうが、こちらの意図が伝わっているのは間違いない」
「そっか……まだ、子どもなんだ。なんか、不安そうな声出してたもんな」
先ほど、飼い主らしき男に攻撃されそうになり、哀しそうに鳴いていたドラゴンの姿が佐久間の脳裏に浮かぶ。信じていた飼い主に捨てられるのは、きっとドラゴンといえど耐え難いことなんだろう。それを思って切なくなっていたら、じっとこちらを見ている赤髪女と目が合った。
「……?」
佐久間が怪訝そうに見返すと、赤髪女はハッとした様子で目を逸らしてしまった。
そのとき、小さな地震のように地面が揺れる。ドラゴンが動き出したのだ。その周りを衛兵たちが円陣を組むように囲んでいる。
移動のためにワイヤーはとかれ、いまは最小限の口縄をつけただけの状態になっていた。
立ち上がったドラゴンが首を伸ばすとさらに大きく見える。まるで小山だ。これでまだ子どもだというのだから、大人のドラゴンは一体どれほどの大きさになるのだろう。
ドラゴンが一歩一歩と足を進めるたびに、地面を伝って細かな振動がくる。衛兵たちに囲まれながら、ゆっくりと通りを歩いていった。
「さあ。私たちも詰所へ帰りましょう。どのみち彼らと行く先は同じです。と、その前に。私はあなたのことを何と呼べばいいんでしょうか。そういえば、自己紹介もまだでしたね。私はノイマン・サルトア。ノイマンと呼んでください。この国で財務副大臣をしています」
思っていた以上に偉い人のようだった。
「それから、彼女はレイア・シベリウス。統括徴税官の一人です」
ノイマンに名を呼ばれ、赤髪女─レイアはニコリともせず無表情でこちらを一瞥する。どうも歓迎されていない空気を感じた。
そんなレイアの様子を見てノイマンも苦笑を浮かべる。
「もうちょっと愛想よくしてあげてください。彼も居心地悪くなってしまうじゃないですか」
「……善処はする。しかし、訳のわからない者となれ合うつもりはない。気安く話しかけないでもらいたい」
とまったく友好的な響きの感じられない口調でレイアは渋々呟いた。もう目すら合わせてもらえない。理由はわからないが非常に嫌われてしまったような気がする。
(今すぐ帰りたいんだけど……)
それが叶わないのはわかってはいたが、そう心から望まずにいられなかった。
正直言って、こんな知らない世界で知らない人たちに囲まれて生きていく自信なんてさらさらなかった。
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