第二話 あのドラゴン、差押えます


 よく見ると、ドラゴンの身体にはグルッと太いワイヤーのようなものが絡みついている。どうやらこのドラゴンをそのワイヤーのようなもので拘束しているらしい。

 ドラゴンは身動きできないことを嫌がり、それを解こうとして暴れているようだった。


「ノイマン! 何なのだ、ソレは! 力のある使役魔を呼び寄せるんじゃなかったのか!?」


 ドラゴンの頭にへばりついている女が、こちらを指さしながら叫んできた。

 目の覚めるような真っ赤な髪を、馬の尻尾のようにポニーテールにした女だ。歳の頃は二十代半ばくらいに見える。

 彼女がドラゴンの頭から身を乗り出して、下を覗き込むような体勢で叫んでいた。

 そのとき初めて、周りに彼女以外にも人の気配があることに気づいた。

 ドラゴンの脇、佐久間から見て左の足元。そこに、背の高い金髪の男がいた。男はゆったりとした白地のローブを身にまとっている。動き回るのにはあまり適さなそうな格好だ。

 そのノイマンと呼ばれた男は、戸惑うように眉を寄せてこちらに視線を向けてきた。


「あなたは……見慣れない服を着ていますが、中身は一見、普通の成人男性のようにも見えます。もしかして、使役魔が人間の姿に化けているとかそういうことですか……?」


 彼がなんのことを言っているのかはよくわからなかったが、とりあえず佐久間は、自分が人間以外の何かかもしれないと思ったことは今まで一度もなかった。

 ノイマンの言葉に否定の意をこめて、ぶんぶんと首を横に振ってみる。そのジェスチャーで意図が伝わるのか自信はなかったが、ノイマンはあからさまにがっかりしたような深いため息をついた。


「……そうですか。異世界から使役魔を召喚して、この事態を収拾してもらおうと思ったんですが……間違えてあなたを召喚してしまったようです。ああ、一体どこで間違えてしまったんだろう」


「……この事態?」


 色々問いただしたいことはあったが、とりあえずそんな言葉を聞き返してみる。その言葉に応えたのは、ノイマンではなくドラゴンの頭の上にいる赤髪女だった。


「そうだ。我々はいま、税金未納者への財産没収処分の真っ最中なのだ」


 鮮やかな青のブラウスの上に銀に輝く胸当てをした彼女は、ドラゴンの頭上で誇らしげに胸を張った。

 しかし、ドラゴンが煩そうに頭を振ったので彼女は振り落とされそうになっている。

 落ちてくるのかと思ったが、ワイヤーのおかげでドラゴンの動ける範囲が小さかったのが幸いしたのだろう。彼女は何とかドラゴンの頭にしがみついて落下を免れたようだった。

 思わずその様子に見とれてしまったが、このまったくもって見慣れない状況の中でいま、佐久間は馴染みのある単語を耳にした気がした。


「税金未納者の処分……?」


 口をついて出た言葉に、ノイマンが小さく頷く。


「はい。私たちは、王税の統括徴税官。王の命と王法に従って、税金を払わない人々から財産を没収する仕事をしている者です。いまは、その……ちょっと、財産の捕縛に難航してまして」


 そう言ってノイマンは金髪の頭を掻く。


(王だかなんだか、って何言ってんだコイツ。そもそも、ここはどこだ? 王ってなんだよ。ここは日本だろ?)


 と、頭の中は疑問だらけだったが、彼が言いたいことはざっくりとだが理解はできた。


「つまり……その……、あんたらはこのドラゴンみたいなやつを差押えようとしてるってことでいいのか? んで、あんたらは役人かなんか?」


 佐久間の言葉に、ノイマンの顔がパッと明るくなる。


「理解が早くて助かります。良かったぁ、言語適応の術式はしっかり働いているようですね」


 うんうんと一人満足げに頷くノイマン。

 そこにもう一つ別の若い男の声が飛んできた。


「しまった! そっち行ったで!」


 声のした方に目を向けると、ドラゴンの足の間をくぐって一つの人影がこちらに走り出てきた。細面の五十代くらいの男だ。

 男は佐久間には目もくれず、その横をハァハァと息を切らしながら通り過ぎた。

 そして数メートル先で立ち止まって振り返ると、男は右手に掴んでいたものを地面に投げ捨てた。

 それは一本の短剣だった。刃に血のりがついている。


「お前ら、こんなことで私に勝ったと思うなよ」


 男は皮手袋をした両手を小さく『前にならえ』をするように胸の前に掲げた。

 ブーンと低い耳鳴りのような重低音が起こった次の瞬間、男の手に嵌められた皮手袋が内側から破裂するように破け落ちる。

 破けた皮手袋の内側から現れたのは、アラビア・タイルのような大小様々な形の青い石らしきものがビッシリと貼りつけられた手袋だった。そのタイルの表面には何やら文字らしきものも見える。


「やばい! それ、魔導具や!」


 ドラゴンの足元から新たにもう一人、青年がそんなことを叫びながら走り出てきた。

 しかし、彼はすぐに立ち止まると辛そうに顔をしかめて地面に膝をつく。

 左腿辺りを手で押さえているが、その手の平の下、草木色のズボンに大きな赤い染みが広がっていた。もしかしたら、さっき男が投げ捨てた短剣で刺されたのかもしれない。

 妙な手袋をしたその男は、何やらぶつぶつと唱えはじめる。すると、コブシ一つほど空けて合わせられた両手の間に炎が生まれ、小さな渦を作りはじめた。それはすぐに成長し、やがて小さな炎の球となった。

 男は勝利を確信したのか、笑い声をあげながら手の間隔をさらに広げる。それに合わせて火球は大きさを増し、バスケットボールほどになった。


「ふはははははは! 没収されるくらいならお前らごと焼き払ってくれるわ!」


 火球はますます大きくなっていく。直径五十センチくらいまでに成長した火球は、男の手の間でメラメラと燃え上がっていた。男はそれを頭の上に掲げる。スローインするように、その火球をこちらに投げつけるつもりのようだ。

 佐久間はその一部始終を、まるで映画の撮影現場に紛れ込んでしまったような臨場感のない気持ちで眺めていた。

 あの大きな火の球が危険なものだということはわかるのだが、だからといってどうしていいのかはさっぱりわからない。とにかく巻き込まれないように逃げるべきだよな、どこに逃げよう、とキョロキョロ辺りを見回してみる。

 そのとき。「クー」という悲しげな声が耳に届いた。反射的に声のした方を見上げると、ワイヤーに拘束されていたドラゴンが遠吠えをするように上を向いて鳴いていた。

 それは、胸を締め付けられるような、とても哀しい声のように佐久間の耳には届く。

 まるで親から引き離された子犬が親を求めて泣くような声。ドラゴンはその真っ黒く大きな瞳で火球男を見つめた。どうやら、この男がドラゴンの飼い主らしい。

 税金未納者。没収。先ほど聞いた言葉が頭をめぐる。どれも佐久間には馴染みのある言葉だった。

 そうか。この男は、税金が払えなくて、財産であるこのドラゴンを差押えられそうになっているのか。だけど、やぶれかぶれになった男は、差押えられるくらいならいっそ壊してしまえと財産の破壊に走ろうとしている。

 なんだ、ドラゴンやら魔導具やら訳のわからないものが次々に出てくるから混乱していたが、目の前で起こっている事象自体は、自分が今まで県税職員として働いてきた中で何度も遭遇したものと同じことじゃないか。

 そう、佐久間は気づく。


(だとしたら、やることは決まってる。まず、自分の身を守ろう、極力。んでついでに、やっぱ財産は壊させたくない。あのノイマンとかいう奴と赤髪女は俺と同業者っぽいし。なんか色々知ってそうだから、恩を売っておいて損はねぇよな)


 何かいいものないかな、と佐久間は辺りを見回した。


(……あった)


 二メートルほど離れたところに缶チューハイの缶が転がっていた。

 中身がこぼれ出て地面に水たまりを作っているのが、勿体なくて残念な気持ちになる。が、今はそんなことを言っている場合ではない。

 佐久間は地面を強く蹴って缶に駆け寄ると、利き足とは反対の足で缶の端を踏みつけた。

 跳ね上がる缶。それを、火球男の顔に向けて右足で思いきり蹴った。缶は中身をまき散らして回転しながらまっすぐに火球男に向かっていく。


(だてに、ガキの頃からサッカーやってねぇっつの)


 缶は今にも火球を投げようとしていた男の顔にクリーンヒットした。


「ぎゃっ」


 ドラゴンと徴税官たちの方に気を取られていて、佐久間のことなどまったく目に入っていなかったのだろう。予期せぬ方向からの攻撃に、火球男は驚きと痛みで体勢を崩した。

 男の体が傾いだ弾みで火球が男の手を離れ、斜め後方に飛んでいく。


「しまっ……」


 尻もちをついた男は慌てたような声を漏らす。しかし、時すでに遅し。

 火球は斜め後方にある住宅にぶつかった瞬間、光が膨張したように膨らみ爆発した……ように見えた。


「っ……」


 爆風と熱を防ごうと佐久間は片腕で顔をかばって目を閉じる。レンガなど飛んできたらひとたまりもないんじゃないかと思ったからだ。

 しかし、予想に反して、カンカンという何か硬いものに当たる音が耳元でするだけで風圧すら感じない。

 しばらくして恐る恐る目を開けてみると、幸いどこにも痛みはなく、何も自分の身体に当たった形跡はなかった。


(あれ……思ったよりなんともないや)


 ふと、すぐ近くの人の気配に気づいて顔を上げる。自分のすぐ真横に、火球男に刺されてさっきまで蹲まっていたあの青年が立っていた。無理に動いたためか、脚の赤い染みがさっきよりも広がっているように見える。


「ふぅ……間に合った。大丈夫やったか? ああ、くそっ。痛ぇな、ほんま!」


 青年が前に掲げた手には小さな盾のようなものが握られていた。その盾の表面にもアラビア・タイルのようなものがびっしりと貼られている。

 その盾を中心として、通りをふさぐほどの大きさで薄いガラスのような壁ができていた。どうやら、この透明な壁のようなものが守ってくれたおかげで、自分を含め周りには爆風の被害が及ばなかったようだ。

 火球を投げそこなったあの男も、透明な壁のこちら側に転がり込んでいるのが見えた。

 しかも男は四つん這いのまま、そろりそろりと移動している。その先には民家の開けっ放しの戸口があった。あそこに逃げ込もうとしているようだ。

 青年が手に握った小盾を下におろすと、同時に透明な壁も消える。

 そこに、赤髪女の凛とした声が響いた。


「遍く大地を潤す大いなる水の精霊よ。研ぎ澄まされたその刃で大地を切り裂け!」


 男はあと少しで戸口に逃げ込めそうというところだったが、その頭上の遥か高くで何か霧のような塊が生まれたかと思うと、そこから細く長いものが何本も降ってきて男を取り囲むように地面に突き刺さった。

 よく見るとそれは、透明な細長い刃のようなものだった。そう、まるで氷でできた刃のような。

 逃げられないとわかったのだろう。男は、四つん這いのままぐったりとうつむくとそれっきり逃げることも抵抗することもやめた。その男のもとへノイマンが大股で近寄ると、懐から一枚の紙を取り出して男の前に突きつける。


「十分の一税及び古竜使用税の滞納につき、財産を没収します。また、私たちの職務に抵抗した罪により後日、あらためてそちらの処分も下されることでしょう」


 そう告げるとノイマンはその紙を男に手渡そうとした。しかし男はぐったりとうなだれたまま受け取らないので、くるくると丸めてそばに置いた。

 ノイマンと入れ替わりに、騒ぎを聞いて駆けつけてきたのかそれとも騒ぎが収まるまでどこかで待機していたのか、制服を着て帯剣した衛兵らしき者たちが男を取り囲むと、縄で拘束し引っ立てていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る