アイリーン、男を拾う

アイリーン、男を拾う 第1話

 帝都新市街東部の顔役の一人であるジョニー・エリオットの日常業務も他の事業主とさほど変わらない。ほぼ決まった時間に職場へ出勤し、上がってきた事業報告を査定し然るべき指示を出す。


 今日エリオットは店舗兼事務所である「スイサイダルパレス」へ一刻程早く出勤した。月一回のフレアの定期訪問を終えゆっくりと落ち着きたいのだが、書き入れ時を控えているとあってのんびりとはしていられない。


「小麦の確保は無事間に合った。エルピオが走り回ったおかげで話はついた」とライデン。「砂糖に豚、他も問題はない。詳しくはそこの書類を読んでくれ」


「了解だ」


 エリオットはダンスホールの店主としての身繕いを整えながら用心棒であり相棒でもあるライデンから報告を受けた。


 帝都では五日後に恒例となっているマラトーナ競技会が開催される。起原は西の隣国コリントンの故事による競技だ。諸説あるようだが、負傷しながらも敵軍進入の報を告げるために長距離を走りぬいた伝令を称えるために始められたという説が有力だ。伝令は傷が元でまもなく死亡したが彼の報告により敵軍は早期に退けることが出来た。コリントンの王はその功績を称え、同じ距離を休まず走り抜ける競技会を始めたという話だ。


 その戦闘に帝国は全く関わってはいないが、先代皇帝ハルトラ帝がマラトーナを自分も見てみたい言ったのが、この国でマラトーナ競技会の起原となっている。競技会のコースは皇宮広場前を出発し旧市街を巡り郊外へ、そこから折り返し皇宮広場へと戻る道筋となっている。


 最初は体力自慢の騎士が少数参加する競技会だったが、数十年を経て恒例となった。今では騎士だけでなく一般の帝国民をばかりか外国人までが招待される大掛かりな催しとなっている。


 マラトーナが盛り上がるにつれコースの沿道に集まる観客も増えてきた。人が増えてくると、当然のように沿道に店を出し儲けようと考えるものが現れる。そのうまい儲け口に乗らない手はないと新市街の者たちもこぞって参加している。


 エリオットも多数の屋台を出す予定だったが、料理に使う具材が足らず指を咥えてお祭り騒ぎを見守る羽目になるところだった。


「まったく、俺たちの小麦を横からかすめ取ろうなんざ百年早いんだ」とエリオット。


 クラバットを結ぶ手に力が入り首を絞めそうになる。


「そっちの段取りもついてるよ。今、マユリカが向かってる」


「助かるよ」 口角が上がり白い歯が覗く。


「あぁ、そっちとは別なんだが……」ライデンは一拍間を置いた。「賭けの件でホワイトさんから問い合わせが来ていた」


「賭けというと……マラトーナの賭けか」とエリオット。


「そうだ。教えたのか」


「いや、何も言ってない」 最近の会話を思い返す。「……はずだ」


 マラトーナの賭けとは走者が皇宮広場への到着順位を当てる賭博だ。儲けとしてはこちらが主軸だ。当然ながら屋台で売る焼き菓子、豚団子や酒、焼き串などより遥かに高額の金銭が動くことになる。


「出場者の誰が有力か教えて欲しいとお母様が言っているとアイリーンから連絡があった。とりあえず、本命でプロフォンド、大穴マガジィーノと伝えておいた」


「妥当だな。ありがとう」


「どこで知ったんだろうな」


「街をふらついてた時だろうさ。ホワイトはともかくアイリーンはよく出歩くようだ。どこかの酒場に潜り込んでその時に客の頭の中でも読んだんだろう」


「それをホワイトさんに話すか」 とライデン。


「おそらくそんな流れだろう」エリオットは軽くため息をついた。「もう一週間と経たないうちに忙しくなる。静かにしていてほしいもんだ」


 エリオットとホワイトは彼女が二百年の眠りから覚めて以来の関係だ。ローズに並ぶ力を持つとされる女魔導師に頼りにされるのは悪い気はしない。だが、時に彼女の頼みは混乱を引き起こしかねない。マラトーナを控える今、エリオットはマラトーナが平穏無事に終わることを願ってやまなかった。




 オキシデンを経由して帝都リヴァ・デルメルへ、コリントンからの旅程には緊張を強いられたが船旅自体は順調そのものだった。話に聞いていたリヴァ・デルメルは砂漠の玄関口とあって、もっと埃っぽく乾いた土地だと思っていたが、海の傍に広がる港町だけあって過ごしやすい風が吹いている。これが気の置けない友人との旅であればと、マルコ・パーシコスは任務に出てから何度目かのため息をついた。


 後をつけられている。コリントンの港で見かけた男だ。中背で細身の男。金色の短髪の男で見かけは商店での売り子といった風体なのだが、目つきはパーシコスと同じ光を放っていた。男は要注意人物として気に留めておいた。同じ船に乗り道中では何度となく姿を見かけた。広くはない船内では仕方なかろうと思ってはいたが、帝都に着いてからも傍をうろついているとなれば確定だろう。


 もうすぐにでも大きな通りに出られそうなのだが、先に追手を撒く必要があるだろう。奴をあの方の傍まで引き連れていくわけにはいかない。足取りを早め左手に見える路地に駆け込む。ほどなく足を緩め振り向くと路地の入口に男の姿があった。男はしばし棒立ちになったが、見つかったことに開き直ったか小走りでパーシコスに近づいて来た。懐から短剣を取り出し逆手で持つ。パーシコスも短剣を取り出す。背負い鞄から取り出しておいてよかった。気にかかるのはこのわかりやすい男の仲間がどこにいるかだ。一人で動いているはずはない。


 短剣の斬撃を何度かかわし男の間合いに踏み込む。肘を側頭部に打ち込み男の動きが鈍ったところで膝で腹を蹴りあげる。どちらも人の体では最も硬い部類に入る個所でお勧めだ。男は身体を前に折り喘ぎつつ後ろへ一歩後ずさったがそこまでだ。足から崩れその場に倒れた。

 

 背後に気配を感じた。確認するまもなく二の腕に鋭い痛みが走る。痛みを頼りに手をやると柔らかな羽根の感触、引き抜くと短い矢であることがわかった。先端には鋭い針が付いている。気配の主は小型の石弓を手にしている。その後ろにさらに二人。


 羽根が付いた矢を石弓の男に投げつける。その鋭い針は男の首筋に刺さった。男は手を首筋に持っていこうとしたがそれより先にパーシコスのつま先が男の顎を蹴りぬいた。鈍い破壊音と共に男は大きく首を横に振りその場に倒れた。


 残りは二人。小太りと痩せた長身の男でどちらも短剣を手にしている。彼らも金髪男の仲間か。これであの男の役目がわかった。陽動役で時間稼ぎ担当だ。めまいが手と足がしびれてきた。さっきの針に毒が塗られていたのだろう。男がこちらに向かって突進してくる。痺れのために手足に重りを繋がれたようだ。強く地に縛り付けられた手足で抵抗を試みるが長くは続かなかった。最後に受けた胸への一撃は毒による痺れのせいかあまり痛みを感じることはなかった。 




 パーシコスを仕留めたケイは速やかに彼の背負い鞄の中を探り始めた。今回の襲撃に関する書状などがあれば面倒なことになる。長身のカイヤはナガオの介抱に向かったが首筋に手を当て口元に顔を寄せた後すぐに頭を上げ首を横に振った。やはり、パーシコスは相手にするのは自分たちでは荷が重かったようだ。しかし、これしか方法がなかった。隙を突かず毒無しでは立ち向かっては全滅していたかもしれない。


「お前達はそこで何をしている?」不意に女の声が聞こえた。


「その男、お前たちが手に掛けたのか。その上荷物を漁るとはなんと恥知らずな」


 ひどく横柄な物言いだ。顔を上げるとケイの目の前に小柄な女が立っていた。黒い髪に浅黒い肌で派手な赤い服を巻き付けている。


「外国人か、言葉がわからぬのか。だが、むやみに人を殺めてはならぬことはわかっておろう」


 女は一歩前に出た。


「その男はまだ息がある。おとなしくこの場から立ち去れば命は助けてやろう」


 短剣はどこか。足のすぐ横に置いてある。手を伸ばせば取れる位置にある。


「そうか、去る気はないのだな。それなら仕方ない」


 短剣に手を伸ばす直前にケイは胸を何かが貫いたことを感じた。痛みは特に感じない。ただ気が遠くなるだけだった。

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