第9話

 アーランドとジェロダンは街路で捕まえた馬車でトゥムロボッカへ駆け付けた。馬車の代金やこれまでの経費については署に帰ってから一騒ぎ起きそうだが今は気にしてはいられない。


 三二二の地所に位置する建物はこの辺りでは一般家庭向け―と言ってもアーランドの給金では何年分にも相当するだろう―規模の住居に見える。高い煉瓦壁で囲まれているのは無粋な気もするがそれは感性の違いか。ここを工房とするなら用心も必要なのだろう。


 建物の門扉に近づくと錬鉄の扉が左右で僅かにずれていることに気が付いた。アーランドが左側を肘でゆっくりと押してみると、何の抵抗もなく奥へと動いた。


「ダニエル……」


「先に入った奴がいる」


 アーランドは中途半端に開いた門扉の隙間を抜けて敷地内へと侵入する。ジェロダンも放ってはおけず後についていく。 短い通路の先にある玄関扉も施錠されおらず開いたままとなっていた。


「外で待機って指示でしょ」


「玄関も開いたままになってるよ。無断で忍び込んだ奴がいるんだよ。確かめないと」


 アーランドは腰に下げた武器を抜き邸内へ入っていく。ジェロダンもやむなく後をついていく。二人とも常時支給された剣を携帯しているが、使用することは少なく得意でもない。


 剣で押し開け玄関広間に入ると不穏な匂いが感じ取られた。間違いなく腐臭、死臭だ。今度は誰が殺されたのか。スニーフか、では誰が魔人を呼んでいるのか。


 玄関広間から廊下を奥へと進む。匂いはさらに強くなっていく。廊下の中ほどで半分ほど開いた扉から光が差し込んでいる。アーランドが剣を使い扉を押し開ける。中へ入ってみると、そこは庭に面した応接間となっていた。柔らかそうな革張りの椅子が置いてある。一人掛けと三人掛けの椅子がそれぞれ二つずつ同じ椅子を対面に長方形に配置してある。


 一人掛けの椅子の片方に黒々とした剣を持つ惨殺体が座ってさえいなければ実によい部屋だ。


「ジョー……」ジェロダンの喉から声が漏れだしてきた。


 二人は行方不明となっていた遺体をついに発見した。




「トゥムロボッカ三二二で行方不明だった遺体を発見しました。わたし達が探していたジョーに間違いありません」


 ビンチの頭蓋にジェロダンの声が響く。明らかな恐怖も感じられる。


 警備隊の二人は忠告も聞かずスニーフの工房に到着後中に踏み込んだようだ。


「急ぐぞ。フィックス」


「まったく、誰も彼も無茶しやがる」とフィックス。


 幸いスニーフの工房の煉瓦塀は目の前に見えている。両名とも召喚した武器を宙でつかみ取り門扉へと回り込む。開いたままの門扉に突進し玄関口へ飛び込む。


「トゥムロボッカ三二二へ到着、今どこにいる」とビンチ。


「一階、応接間です」


「玄関から奥へ右側です」


 声に案内され応接間に入る。到着した部屋には大柄で屈強そうな男と小柄な女が剣を構え、凝った作りの剣を手にした遺体と向かい合っている。彼らが声だけでやり取りしていたジェロダンとアーランドのようだ。見た目は年の離れた姉弟といったところか。


 腐り始めた黒ずくめの遺体は杖のように剣を床に突き立て革張りの椅子に腰かけている。目を閉じ項垂れている。顔色さえよければ眠っているように見えただろう。


「アンディー・スニーフの部屋から回収した文書の中から条件発動魔法の式書が発見されました」


 魔法院からの連絡だ。


「スニーフが組んだ式は自身の死後に、彼の所持していた剣と同化することです。他に発見された日記などによると彼は既に近づく死を悟っていたのでしょう。もしそれが何者かによる殺害の場合は、その関係者を全員報復のため殺害します。式は既に発動しています。式書抹消の下りが不発となって、おかげでわたし達の目に留まることになりました」


 この点ではピカタは嘘は付いていなかったようだ。ポンテソットら四人はスニーフと仕事についての折り合いが付かず殺害した。そして自らの死刑の命令書に署名することになったのだ。


「つまり、目の前にいるあの遺体こそが……」ビンチはジェロダンとアーランドに順に目をやった。「ここ何日間も誰もが躍起になって探していた奴なんだ。アンディー・スニーフは一連の事件の被害者であり犯人でもある」


「スニーフを海から引き揚げた者も病院から攫った者もいない。すべては奴自身がやったことだ。自分で組んだ式により自身を魔器と一体化させ、動かなくなった自分の身体を乗り物にしてな。魔人にも手伝わせたに違いない」とフィックス。


 彼らの前に黒い靄が湧き出した。やがてそれは黒いぼろを纏った痩身長躯の人の姿を取る。手にしているのは動くのこぎり刃を持つ幅広の剣だ。


「ここからは俺達の仕事だ」とビンチ。


「後ろに下がっていてくれ」フィックスが二人を促す。


 警備隊の二人が素直に後ろに下がり、それを視界の隅で確認したビンチとフィックスは魔人の間合いに飛び込んだ。


 左から振りぬいたビンチのクルアーンが魔人の胴を一刀両断する。切断面は靄となり即時修復を始める。その最中にものこぎり刃を持つ剣はビンチの頭を落とすべく左右に振るわれる。フィックスは薄紫の閃光を帯びた細剣で魔人の腹に大穴を穿つが、同様に効き目が無く魔人は攻撃を続ける。


「これが本気というわけか。面白い」ビンチが苦笑する。


 スタニョスの酒場で相対した折は力のある魔よけの札に干渉され店内に入って来るのがやっとだった。そのため魔人は一時撤退を余儀なくされた。ここは自分の拠点であり何の干渉もない。力を存分に発揮できる。


「弱点は?」とフィックスの声が頭蓋に響く。


 穴を開け、腕を頭を断裂するがまったく効き目がない。むしろ魔人の間合いを広げる補助となっている。


「核は」とビンチ。


「なさそうだ」


「それならあれか」ビンチは剣を手にしたスニーフに目をやった。「剣を破壊しない限り埒が明かんか」


 この会話は後ろに退いていた二人も聞いていた。


 それを耳にしたアーランドが二人の周囲を回り込み、スニーフの元に突進した。大きく振り上げた剣を振り上げ渾身の力を込め、スニーフが剣を持つ右手に振り下ろした。腕を断ち切ることはなかったが、スニーフ本体が入った剣を遺体から捥ぎ離すことはできた。


「おい!」ビンチが声を上げる。アーランドの元に駆けつけたいが魔人がそれを許さない。


 剣は直立する力を失い、隣の椅子のひじ掛けに倒れた。アーランドはひじ掛けに立てかける形となったスニーフの剣に向かい足を上げた。


「止めろ!」彼の意図を察したビンチが叫ぶ。


 アーランドは剣の刀身に全体重を掛け勢いを込め踏みつけた。剣はたわむことなく柄のすぐ上で折れた。剣の破壊により内包されていた精霊とスニーフが解放され、その余波で室内の気が乱れ寒風が吹き乱れた。魔人が力を失い靄と変わると同時にアーランドもその場に膝を着き倒れた。




 三日が経ちスニーフの工房で倒れたアーランドが目覚めたとの知らせを聞き、ビンチは彼の相棒のジェロダンと共に病室へとやって来た。


「ダニエル、あなたはね、すごく運がよかっただけなのよ。あと少しのところで死ぬかもしれなかったの。呪われていたかもしれないし」

 ジェロダンは挨拶もそこそこにまだ寝台の上で上半身を起こしただけのアーランドに説教を始めた。聞いているアーランドの髪は酷く乱れ目つきも少しうつろだ。


「とんでもない無茶をするんだから」


 笑顔を涙が相半ばし声は微妙に震えている。


「ごめん、あの時は夢中でさ、スニーフの傍まで駆け寄って剣を払い落して、そこからはまるで覚えてないんだ」ぼんやりと頭を掻く。ジェロダンをなだめるように手を伸ばす。


「使命感があり勇敢でもあるのはいい事だが、無茶は別だ。気を付ける事だな」とビンチ。


「あなたが剣に操られでもしたら腕の一本も落とさなきゃならなかったかも知れないのよ」


 アーランドは思わず右手を押さえた。それからもジェロダンの説教が続く。


 アーランドがスニーフの剣に操られなかったのは本当に幸運と言える。その後の検証でスニーフの剣の剣身の根元には傷が入っていた。アーランドに踏みつけられたことで剣はそこから折れたのだ。おそらくスニーフはそれを知らず剣を買い求め魔器とするための精霊を降ろした。その無頓着さが結果的にアーランドを救う結果となった。


 スニーフを殺害した実行犯たちはあの日の夜に遺体で発見された。死亡して既に一日は経っていたようだ。魔人はスタニョス襲撃に失敗した後、実行犯の元に行ったのだろうと警備隊は見ている。特化隊も同意見だ。


 ミュウーラーの指示に寄る犯行らしいが依頼人と実行犯と共に死亡したために動機については不明のままとなっている。スニーフが剣との一体化を図った理由については日記にある通りなのかもしれない。


「それぐらいにしておいてやってはどうですか」ビンチは助け舟を出した。


「はい……」ジェロダンは軽く頷いた。


「いい相棒じゃないか。あまり心配をかけるなよ……まぁ、それについては俺も人のことは言えんがな」


「はい……」アーロンドが頷いた。


 この様子なら二人とも問題はないだろう。ビンチはこの後少し言葉を交わした後病院から引き揚げた。まだ雑務はたっぷりと残っている。

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