第2話
「どうだ。助かりそうか」
アイラ・ホワイトの住処となっている倉庫に二階に置かれた寝台に眠る異国の男。白い肌に砂色の髪をしている。肌は室内の照明の影響か、健康状態を現しているのか、アクシール・ローズのように青白い。男は路上で悪漢に襲われ倒れたところを娘のアイリーンが拾い連れ帰ってきた。
「はい、一時的にわたしと体を繋ぐことにより傷口を塞ぎ、命は取り留めました」アイリーンは男を連れ帰って以来ずっと寄り添っている。
「それはなによりだな」 とホワイト。
「ですが、これ以上わたしの血を与えると、この男の体が耐えられず逆に悪い影響を与えかねません。目覚めるのに数日は掛かると思いますが、それまで寝かせておくのが得策です」
「人の医者はいらんのだな」
「はい」
遠い昔、まだ何の力も持たない子供のリズィアだった頃、彼女は路上で瀕死の子猫を拾い家に連れ帰ったことがある。必死になって世話をしたのだが、結局子猫は数日も経たず死んでしまった。あの時にアイリーンのような存在がそばにいたならあの猫も死なずに済んだだろう。
ホワイトは粗く男の意識を覗いて見た。男の名はマルコ・パーシコス、隣国コリントンより仕える主人への襲撃計画を阻止するためにやって来た使者だ。まずはその事実を主人に伝え、引き続きその警護に当たるつもりだったらしい。
帝都に到着した矢先に後を付けてきた追手に襲われた。アイリーンの目に留まり九死に一生を得ることになったが、数日は動けそうにない。追手はアイリーンが倒し、その身体は残らず彼女の血肉となった。
「お母様、この耳飾りはどうしましょう」
アイリーンは胸元からイヤリングを取り出した。手の平の上には空色の通信石が仕込まれたイヤリングが三つ乗っている。追手たちが装着していたものだ。彼らはこれを介して連絡を取り合っていたのだろう。パーシコスが不意に囲まれたのもこのせいだろう。
「遮魔布に包んで戸棚にしまっておけ。下手に置いておけば向こうに気取られる可能性がある。かといって今捨てるわけにはいかん」
「はい」
高価で買うだけでも手間のかかる品を外国人が所持している。パーシコスの主人への襲撃計画は以前から周到に練られた計画なのだろう。これだけでも彼の主人の身分の高さも伺い知れる。
「朝になってからこの男の主人の居場所を探したいと思うのですがいいでしょうか。身の危険も迫っているようです」
「好きにするといい」
「ありがとうございます」
スターニョス・アキュラは一睡もすることなく朝を迎えた。とても眠れる状況ではなかったのだ。同僚のケイたち四人がパーシコスを補足したとの報を最後に通信が途絶えている。通話の流れからパーシコス排除の知らせをあの方に伝えることが出来ると思っていたのだが、その直後から通信が途切れてしまっている。何度呼びかけても繋がらない雑音一つ無い静寂に跳ね返されるばかりだ。
まさか、ケイたちがパーシコスと一芝居うって一緒に行方をくらましたということはあるまいか。手練れのパーシコスを簡単に追い込めるとはおかしくはないか。それなら彼らがこちらに押し寄せてくるのも時間の問題ではないか。これをあの方に報告すべきか、捨て置くか。 アキュラは思考が底知れぬ闇の淵に落ちる前に頬を叩き意識を現実へ戻した。
そして、アキュラは部屋の戸締りを確認し、再度静寂に向かって呼びかけを始めた。
眠れる男マルコ・パーシコスの記憶によると、彼が会おうとしていた主人というのはエリヤス・ヴァルヤネンという若者のようだ。隣国コリントンで広大な所領を持つ貴族の嫡男で清明な性格をもってその地の民にも大変好かれている。ただ、奔放なところ、はっきりと言ってしまえば落ち着きがないのが玉に瑕だ。今回も帝国で行われるマラトーナに出場しコリントン人として優勝をもぎ取るという意気込みでやって来た。これはただ大口を叩いているわけではなく、彼には既に実績がある。自国での優勝経験を持ってのことだ。
アイリーンは母ホワイトの助言に寄り、まず格式のある宿から尋ねてまわることにした。仮にも貴族の嫡男である。庶民向けの安宿に泊まることはないだろうと考えてのことだ。警備上もそちらの方が都合がよい。 アイリーンは手始めにホテル・スマグラーズから訪ねることにした。外国の要人となればここから当たるのが早いだろう。
豪奢な正面入り口を抜け真っすぐに受付へと向かう。
「おはよう」
「おはようございます」背の高い受付嬢はアイリーンに落ち着いた口調で挨拶を返した。
「こちらにエリヤス・ヴァルヤネンという御仁がご滞在だろうか」
「ヴァルヤネン様ですか。わたしには何とも言えません。どういったご用件でしょうか」
「わたしはアイリーン、マルコ・パーシコス殿の使いだ。ヴァルヤネン殿にお伝えしたいことがあってここまで来た。取次願いたい」
「はい、少々宿帳を調べる時間を頂けるでしょうか」受付嬢は柔らかな微笑みを浮かべる。
彼女はとりあえず現在の宿泊客は大まかに把握している。ヴァルヤネンなる名前を記憶内で検索している。結果は該当なし。
「お客様はヴァルヤネン様とはいかような関係でしょうか」
客の容姿や振舞いでは気を許さない姿勢は受付にふさわしい。彼女の背後では警備部門が聞き耳を立てている。
「パーシコス殿は体調を崩され今は動けぬ身、やむなくわたしが使いでやって来た」
宿帳を検める風体で後方と情報を照合中。パーシコス、ヴァルヤネンの名に該当なし。彼女もアイリーンをどう扱うか。迷っているようだ。悪意はなく客側が単に勘違いをしている可能性もあるからだ。隠し立てはない。本当にヴァルヤネンに心当たりはない。
「若いコリントン人が何人かで連れ立って泊まっていないだろうか」
アイリーンは受付嬢の記憶を刺激してみた。
「コリントンからのお客様ですか。少々お待ちください」
受付嬢は再度宿帳を取り出し捲り始めた。アイリーンも記憶との照合を始める。なるほど、今しがた到着したコリントンからの客はいるようだ。 だが、若くはない。
「申し訳ありませんが、そのような方はこちらにはお泊りではないようです。ご予約もありません」
「そうか。それなら仕方ない。奥で少し休憩されてもらっていいだろうか。この分だと他に何軒かの宿を回らないとならなくなりそうだ」とアイリーン。
「どうぞ。ごゆっくり」
これは本心からの言葉のようだ。ただ、監視は付きそうだ。彼女も客や上司からの面倒な仕事は絶えないようだ。
受付嬢によるとコリントンからの来客は宿泊受付を済ませた後、奥の喫茶室へ向かったようだ。
コリントンからの泊り客はすぐに見つかった。五人連れの客だが少なくとも若者の範疇からは外れそうな中年の男女だ。一人が船旅がどうにも体に合わず、そのため食事が取れずひどく腹を空かせての上陸となったようだ。テーブルの上に飲み物に菓子、軽食を隙間なく並べ腹の中に詰め込んでいる。どれも美味な品なのに勿体ない事だ。四人の友人は茶を飲みつつ閉口気味に眺めている。マラトーナ見物も計画のうちだがヴァルヤネンとパーシコスの両名とは全く関係はない。
アイリーンも頼んだ茶を飲みつつ泊り客や従業員の頭の中を探ったが、誰もヴァルヤネンらしき男は目にしていなかった。それらしき振舞いの男を目にしても条件が合わなかった。アイリーンは茶を飲み干すとホテル・スマグラーズを後にした。
「この分だと他に何軒かの宿を回らないとならなくなりそうだ」受付嬢に告げた言葉はホテルの奥へ向かう方便として使ったのだが、どこで力を得たのか真実となってしまった。七軒目となってもヴァルヤネンの姿は見つからない。こうなると探す宿の規模を小さくするか。
ヴァルヤネンが帝都の知り合いの邸宅を宿として使っている可能性もある。それなら、宿を虱潰しに当たったところで始まらない。改めてパーシコスの意識に問いかける必要があるだろう。だが、彼の意識はまだ混沌に沈んでいる。他の手を考える必要があるかもしれない。
アイリーンは腰かけていたホテルの屋根の上から付近を眺めつつ次の策を練った。
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