第2話

 旧市街へやって来たフレアは街の空気の変化にすぐさま感じ取った。嵐により空気が入れかわることはよくあるのだが、今回は少しおかしい。まるで街が鳥の営巣地になったような雰囲気だ。鳥の体臭と糞尿の匂いが薄く漂っている。実際の営巣地の匂いは遥かに濃厚なのだが、フレアは帝都の中心でこの匂いを嗅ぐことになるとは思いもしなかった。


 大通りでは周辺の店舗の従業員が総出で街路の清掃に当たっていた。石畳に落ちた糞を箒で集め、撒きこびりついた糞を柄の長いブラシで掻き落している。匂いの元は石畳を白いまだら模様にしているこれらの糞のようだ。


 インフレイムスの店頭には布張りのひさしが追加されていた。こちらの路面は水で清められ清掃作業は終了し、店員たちが掃除道具の片付けの最中だった。


「おはようございます。フレアさん」


 フレアの姿に目を止めた店員のコハクが声を掛ける。他全員が軽く頭を下げフレアも頭を下げる。


「おはようございます。何があったんですか?」


「鳥です」コハクはため息をついた。「開けた扉から鳥の大群が飛び出してくる話は聞いてませんか。その鳥のせいでこの辺り一帯は大変なことになってます」


 確かにそんな新聞記事は見覚えがある。記事を呼んだ記憶がよみがえった。扉を開けると黒い鳥の群れがいきなり外へ飛び出し、あるいは外から飛び込んでくるそんな記事だ。大群というのは話を大きくするための誇張と思っていたが本当だったようだ。


「その飛び出してきた鳥達が汚してるんですか?」


「ええ、もうやりたい放題です」


 突然の鳥の大発生など、普段ならローズも興味を持ちそうな奇妙な出来事なのだが、今はそれどころではない。現在の彼女の関心事は西方フルヴァツカで亡くなった魔導士のその後の動向だ。ゴロ・リクオクという名の男でローズも一目置く力を持つ術師で魔法の研究家でもあったという。現地での葬儀を終えた後、故人の遺志により遺体は故郷である帝都に戻って来るという。


 もし、こちらでも葬送の集いがあるのなら自分もぜひ参加したとローズは言い出した。そして実際に集いの準備の手伝いを始めた。当然、ローズが動ける時間は限られているため、様々な手伝いはフレアが代行している。そんな流れで記事についてはすっかり記憶が飛んでいた。


「夜はこの辺りで過ごして陽が昇ったら餌探しに出るようです」


「公園や傍のお屋敷で育ててる花や木の芽をついばんで野菜や果物を荒らして回る。無茶苦茶です」


「一羽だけならニコライさんのお人形みたいでかわいいんですが、あれだけ集まるともう恐怖ですね」


 少女たちは口々に鳥達への不満を口にする。


「今いないのは、単にお出かけ中ですか」とフレア。


「えぇ、でもまた、夜になったら戻ってくるんでしょうね」コハクが項垂れる。


「それでまた朝にお掃除……」


「うんざりする」


 ため息の後、しばし沈黙が訪れた。


「あぁ……フレアさんが来たのはお菓子の受け取りですよね」コハクは顔を上げ鳥のように首を振った。


 全員が仕事中であることを思い出した。


「お菓子の準備はできてます。道具片付けますから少し待ってください」


 置いたままだった塵取りに箒や柄付きブラシ、水桶をコハクたち三人が急いでまとめる。持ちやすく整えている最中にフレアは奇妙な気配を感じた。向かい側の仕立屋からだ。店頭の掃除を終えた職人が扉を開け僅かな声を上げた。開けられた戸口はひどく暗く店内の様子を覗くことは出来ない。その闇の中から手の平ほどの黒い鳥一羽、二羽と飛び出してきた。


「えっ?」


「何?」


 コハクたちの目にも入ったようだ。


 職人も慌てて扉を閉めようとしたが間に合わなかった。おびただしい数の鳥の群れが街路にあふれ出し、真っすぐに勢いよくこちらに向かってくる。小鳥であっても、あれだけの数に囲まれては何があるかわからない。とても落とせる数ではなく、無理をすれば誰かに危害及ぶ。被害を最小にとどめるには威嚇が一番だろう。  


 フレアは素早く大通りに飛び出し、渾身の速さで石畳に向かい拳を撃ち込んだ。乾いた爆裂音が通りに響き、路面に撒かれた水が霧となって飛び散る。爆音に驚いた鳥たちは勢いを失い、千々に乱れて上空に飛び去って行った。騒ぎで路面に墜落した鳥も仲間を追いかけ空へ飛んでいった。ほどなく上空から鳥は消え去り青空が戻ってきた。


「フレアさん……」


 持っていた掃除道具を放り出しコハクたちが駆け寄ってきた。


「音で脅かせばと思ってやってみたけど、うまくいきましたね」フレアは息をついた。


 口いうのは簡単だが、狼人であっても衝撃波を伴う拳を繰り出すことは容易ではない。


「また、戻ってくるんでしょうね」


 全員で青い空を見上げる。皆、晴れた空には似合わぬ曇り顔だ。


「あぁ、いやだいやだ」


「案山子でも立てとく?」


「効き目あるの?」


「知らない」




 案山子はともかくフレアの一撃は効いたようだ。夜になっても鳥たちは大通りの木々に戻ってこなかった。通りに並ぶ店舗の店員たちは何日ぶりかで鳥の糞の始末という不快な作業をしなくて済んだ。


 その経緯を聞いての事なのだろう。塔へ一通の封書が届けられた。差出人はサリー・ジャルディーノとなっている。聞き覚えの無い名だがインフレイムスの客の一人のようだ。朝の大通りでのフレアの活躍を聞きつけ、彼女に頼みたいことがあるらしい。ぜひ旧市街白華園まで来てほしいとのことだ。優美な文字で丁寧な文体を用い書かれてはいるが内容はかなり強引だ。今日届いて明日会いたいとなっている。


「心辺りはある?」とローズ。


 件の手紙はテーブルの上に置かれ、ローズは目下の仕事へと戻った。ローズが手にしているのは西方より帰って来る魔導士のための集いの行程表だ。聖職者や楽団、食事の手配などは整ってきている。二日後にはリクオクとその家族は船で帝都に着き、その一週間後の夜に別れの集いが催される。夜というのはローズにとっては都合のよい事だ。今夜のフレアの仕事は集いへの招待状の制作だ。正式決定した日時を招待客に知らしめる必要がある。印刷も考えられたが納期のと部数の問題で折り合わず手書きとなった。


「例の鳥の一件でしょうね」 フレアは答える。


 ローズは実際にリクオクと会ったことがある為、短い式辞を頼まれている。今はそちらに意識が向かっているに違いない、羽ペンを手に白紙を睨みつけている。いかにローズであっても紙に文面が湧いてくることはない。


「あなたが現れた鳥の群れを拳だけで追い払ったというあれね」


 フレアが見るにローズのこの件への関心は薄いように見える。


「思いのほか話が遠くまで広がっているようです」


「人というのは噂好きだから、あなたが大通りの真ん中で派手な芸を披露すれば噂話も広がるわ」


「芸って言い方ひどくありませんか」フレアはため息をついた。「芸というなら何の変哲もない扉から鳥を大量に呼び出すのもそれに近いですね」


「確かにね。そんな超人技を常人の技にまで下ろしたゴロ・リクオクもある意味超人と言えるでしょう。最初の公開版に使い道は乏しかったとしても、それに改良を加えついには実用に耐える術式を作り上げた」


「何のお話ですか?」


「故人の功績のお話よ。ペンを止めないで動かしなさい」




 派手な芸と言いながらもローズはフレアが白華園へ出向くことを許可した。朝になりローズが眠りについた後、フレアは雑事を速やかに済ませ、白華園へと向かった。待ち合わせ時間には早めに到着し少し待つつもりでいたが、指定された広場にはすでに人だかりができていた。


 女性ばかりの集団で見た目でフレアより少し年上から老女まで年齢は幅広い。全員髪を上品に結い上げ、野良着姿だ。良家の女性による奉仕活動の集まりといったところか。中の一人がフレアに目を止めたようで指を指し、傍の女性と話を始めた。女性は頷くと前に歩み出し、フレアに向かい手を振り手招きをした。柔らかな黄色味を帯びた白髪の老女だ。


 彼女が手紙の差出人のサリー・ジャルディーノなのか。フレアは女性の元へ向かった。


「ご機嫌いかが。あなたが塔のメイドのフレアさんね?」女性はフレアに微笑みかけた。


「おはようございます。わたしがフレア・ランドールです。奥様は?」


「わたしはサリー・ジャルディーノ、急な呼び出しによくぞ答えてくれました」 正解のようだ。


 フレアが軽く会釈をすると女性たちから歓声が上がった。


「まぁ、かわいい」


「こんなかわいらしいお嬢さんだったのね」


「だから、言ったでしょ。歌劇場で見たんだから」


 ジャルディーノの後ろに並ぶ女性たちがおしゃべりを始めた。盛り上がり何の集まりなのか怪しくなってきた。三百を超えてもかわいいといわれることに悪い気はしないが、興味本位の呼び出しに応じている暇はない。


 ジャルディーノが顔をしかめ両手を叩くとおしゃべりが止んだ。皆居住まいをただす。彼女はこの集まりでかなりの力を持っているようだ。


「お待たせしました。わたしたちはこの白華園のお世話の手伝いをしているんです。それはわたしが若い頃からの地域奉仕活動の一つです。ゴミや落ち葉を拾い、肥料を与える。剪定なども指導を受けて行い、この公園の維持に努めております。ですが……」ジャルディーノは大きくため息をついた。「現在はとてつもない危機的状況に陥っております。あなたもご存じでしょうが、扉から突然湧き出す黒ツグミの群れです。あの鳥たちはこの公園や御近所の庭に押し寄せ、芽や花、実を食い荒らすなど狼藉の限りを尽くしています」


 周囲の女たちが頸を痛めかねない勢いで頷く。


「木や花から追い払ってもすぐまた戻って来てきりがありません」


「狩りに使う銃を持ちより追い払おうかとも考えましたが」


「公園内で使用するなど空砲であっても以ての外で……」


「投網で捕らえるなども花が痛んでは本末転倒……」


「スープやパイにして炊き出しに出すにしても数が多すぎます」


「まぁ、どうにも話がまとまらない時にあなたの御活躍を耳にしましてお呼びした次第です」


 後ろに控える女たちが次々に声を上げる。確かにこの面々では中々話はまとまりそうにない。


「わたしがやったのは猟銃の空砲と同じく大きな音を立てただけです。それでいいですか?」


「えぇ、それをお願いしたいのです。鳥たちは今日になっても大通りに戻っていない様子、ぜひこちらでも試してみたいのです。十分なお礼は用意しております。よろしくお願いします」


 ジャルディーノが深く頭を下げ他の女性たちもそれに続いた。


「……はい、そういうことでしたらお引き受けします」


 それからフレアは公園各所を連れて回され、爆裂音を伴う演舞を何度も披露することとなった。ご婦人たちを怖がらせることにならないかと少し気になったが、それは気由に終わった。家庭に銃を置き、狩りもたしなむような身分の女性ばかりで恐れることなくむしろ楽しんでいたようだ。彼女らは爆裂音と共に立ち上がる土煙と、飛び去って行く忌々しい鳥たちの姿を目にして笑みを浮かべていた。

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