黒ツグミ騒動

黒ツグミ騒動 第1話

 月明かりに浮かぶ白い二つの人影、それらが動かなくなってしばらく経つ。元々は二つとも人の男だったが今は石像だ。その周囲をおびただしい数の精霊が舞う。精霊たちは男たちを操り外へ出ようとしたが、別の精霊が邪魔をした。その精霊は書棚の平穏を乱れたくなかったのだ。男たちを乗り物に使った精霊たちはその精霊に激しく抗議をしたが無視された。腹は立つが全員でかかっても勝てる相手ではない。精霊たちは別の策を講じることにした。




 揺れる水面はまぶしいほどに輝き、いい風が吹いている。絶好の仕事日和だ。マシュマは晴れた空を見上げ笑みを浮かべた。空模様を睨んで仕事をせかされるのも、濡れて滑りやすい甲板を重いずた袋を担いで歩くのも勘弁してほしい。


 今日はうまい段取りで進んでいる。荷運びはこの船が最後だ。陽のあるうちに荷物の運び出しが終われば、その後は給金をもらって一杯やるつもりだ。気分上々のマシュマの頭の中はもう仕事が終わってからことでいっぱいになっている。


 船が旧市街の埠頭に遅れることなく到着し、親方のビットコも上機嫌だ。十分な人員が揃えられ、倉庫へも待たせることなく運び込むことができそうだからだ。


 船側も準備が整った。船長の合図で船員たちが滑車を使った巻き上げ装置の操作を始める。甲板に設けられた巨大な扉がゆっくりと開き始める。扉の下にある船倉には豆と唐黍がぎっしりと詰められたずた袋がたっぷりと収められている。


 マシュマたち作業員はそこから袋を取り出し指定の倉庫に運び入れるのが仕事だ。今回は目に見える範囲に倉庫があるため楽なほうだが、船倉から袋を担ぎ出し船外の荷車へ降ろす、それをひたすら繰り返することが担当のマシュマには倉庫の位置などさほど関係ない。


 船倉の大扉が持ち上げられ人一人ならぎりぎり入られる隙間が空いた。マシュマは暗い船倉の中で黒い何かが動いているように思えた。虫やネズミなら見たことはあるが、それより大きく大量にいるように見える。親方も周囲の仲間もそれに気づいたようで息を殺しまだ暗い船倉を見つめる。船長も一時、大扉の巻き上げを停止した。中を探るためにランプを用意させる。


 唐突に船倉から鳥が飛び出してきた。長く黄色いくちばしで体は真っ黒だ。黒い鳥は開きかけた大扉の端に止まると辺りを観察するように盛んに首を左右に振りまわした。鳥は一羽、二羽と船倉から飛び出し、扉に止まり同じように首を振り辺りを観察する。


 先陣を切って、船倉から飛び出してた十羽ほどが空へ向かうと、それを合図に船倉から鳥の大群が溢れ出してきた。目の前が真っ黒になり周囲は羽音で満たされた。一羽や二羽なら目を離した隙に忍び込むのもわからないでもないが、この数はの鳥はどこから入り込んだのか。


 鳥たちによる四方からの体当たりでマシュマたちは動きが取れなくなった。マシュマは両足を踏ん張り両腕で頭を守った。小さいながらも鋭いくちばしや鉤爪で目などを傷つけられたくはない。


 やがて、羽音も遠ざかりマシュマはそっと目を開け辺りを見回した。甲板は細かな羽根と糞で汚れていたが怪我人はいないようだった。誰もが唖然として上空を見上げている。船倉から湧き出した鳥たちは船の上空何度か旋回した後、街の方向へ飛び去って行った。


「何だったんだ。あれは……?」親方が呟いた。


 誰もが鳥の群れが去っていった空を見上げている。


「ツグミでしょうかね。潰した木苺を塗り付けて焼くとうまいですよ」


 誰の声かと思えば同僚のプラットだった。西の山奥からやって来た男だ。大柄で力自慢だがどこかとぼけたところがある。プラットに親方、同僚、船員の視線が集中する。


「本当ですよ。羽根毟って頭と足取って腸も抜いて、それから木苺を塗ってじっくり火であぶるんです」


 視線の意味を取り違えたのかプラットはツグミの調理法を仔細に渡って説明し始めた。


 そのおかげなのか突然の怪異に誰も取り乱すことはなく、その場にいた全員が速やかに次の対応に移ることができた。害があったとすれば、この落ち着きが事の露見を遅らせたことだろう。




 

 夜か明けて一刻ほどが過ぎた。


 柔らかに丸まった大聖堂の朝の鐘が倉庫街に到達する。この鐘が鳴れば夜警担当のレッジとヴァンの仕事も終わりが近い。今夜も盗賊や大猿が現れることもなく、無事に乗り切ることができた。もう間もなく早番の連中がやって来る。朝一番の荷物も到着するだろう。


 倉庫の表で朝の鐘を聞いた二人は通用口から中へと戻った。残された仕事は表の大扉の閂を外し解放することだけ、終われば誰かが来るのを待てばいい。


 レッジは腰に掛けた鍵を外し、大あくびの後の涙で霞む目で閂へ向かった。巨大な南京錠を外し足元におく。ヴァンと息を合わせ閂を外し所定の場所に持っていく。南京錠を元の場所へ戻し、左右に別れ巨大な引き戸を開放する。荷車が通り抜けることができる程度まで引き戸が開かれると、黒い何かが飛び込んできた。それは二人の背後の床に着地した。首を左右に振り黄色く縁どられた目を二人に向ける。それはくちばしと目の周りが黄色く他は真っ黒な鳥だ。倉庫へ鳥などが迷い込むのは珍しくない。だが、すぐに追い出す必要がある。レッジは黒い鳥にゆっくりと近づいた。


「レッジ!」ヴァンの声が倉庫に響いた。


 その声にレッジがヴァンに目をやった。彼の顔が引きつっている。その視線の先、引き戸の外を何かがいる。倉庫に入る朝日を遮るほどのおびただしい数の黒い鳥、鳥たちは真っすぐに倉庫へ飛び込んできた。その勢いにヴァンは扉脇に飛びのき、レッジはその場にしゃがみ込んだ。レッジは猛烈な鳥の羽ばたきを感じた。突進する鳥たちは彼の手と耳、頭皮をくちばしと足爪で傷つけていく。


「レッジ、大丈夫か?」


 羽音が遠ざかりヴァンの声が聞こえるようになった。


「なんとかな……」


 立ち上がり引っ掻き傷だらけの右手を上げた。赤くはなっているが血は出ていない。目も守り通した。


「奴らはどこに行った?」


 ヴァンは無言で後ろを指差した。


 鳥たちは積まれた樽やずた袋に止まり通路の間を飛び交っている。終わり間際で大仕事が追加された。鳥たちを追い出すまで彼らの夜勤は終わらない。


  


 旧市街の高級近東料理店スペッツェスにロバート・トゥルージルは一度訪れたいと思っていた店の一つだ。出来ることなら、魔導騎士団特化隊の仕事を離れて食事で訪れたかったが、現実はそうもいかない。彼がこの店に相棒のカーク・パメットとやって来たのは最近続発している黒ツグミの大量出現事案についての相談である。


 旧市街の倉庫、店舗、住居などで両開きの扉を開放した際に、扉の向こう側から黒ツグミの大群が飛び込んでくるのだ。通常ありえないことだが、出現場所には糞や羽根などの痕跡が残されており、幻影ではなく本物が現れたことに間違いない。現時点での人的被害は引っ掻き傷程度の外傷、他は屋内及び周辺の糞などによる汚損で済んでいるが、明らかな怪異を放置するには訳にはいかず特化隊が動くこととなった。


「ここも他と同様でしょう」トゥルージルは執務室にいる隊長のフィル・オ・ウィンにゴルゲット越しに語り掛ける。「黒ツグミの召喚者はこの店の玄関扉を出口に使い、どこかの森に集まっていた鳥たちをこちらに呼び寄せた」この意図は全く分からない。

「居合わせた店員によると、扉を開けた際に店外から大量の黒ツグミが侵入、混乱状態で飛び回り、勢い余った幾らかの黒ツグミが壁に衝突し店内を荒らしまわり、飛び去っています」


「お前は召喚者をどう見る?」オ・ウィンの声が頭蓋に響く。


 店員たちは汚れた店内の掃除を続けている。羽根を掃き出し、雑巾で床やテーブルに落ちた糞を拭きとっている。大半の鳥は速やかに出て行ったが、誘導がまずかったのか厨房や奥の部屋に迷う込む鳥も出て、掃除を始めることができたのはトゥルージルたちが訪れる少し前の事だった。


「召喚の手際と鳥の扱いからいってかなり腕が立つのは間違いないでしょう。体の小さな鳥に負担を掛けることなく大量に呼び寄せている。組んだ魔法も優れていますが、それを制御できる術者もそう数はいないでしょう」


「それらしき術者を見た者はいたか」


「魔導士や僧服を来た人物の目撃者はその都度いますが、よくよく聞いてみれば聞き込み途中のうちの人員や寄付集めの聖職者ばかりで不審者は見つかりません」


「……そうか。続けてくれ」


「はい、次に移ります」

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