第4話
裏口近くに止めてある馬車に潜む人の警戒心が強まった。邸内の精霊と造物もこちらを確実に捉えている。精霊はカイゼの住まいに立ち寄ることはあきらめた。邸内の入らずに使用人を呼び出すとしても危険が大きすぎる。踵を返し来た道を全力で駆け戻る。精霊と造物もこちらの動きに気が付いたか追いかけてくるようだ。幸いカイゼには土地勘がある。それを使い北への最短路程を導き出す。こちらが人の足であっても、向こうが空を使わなければ容易に差を詰められることはないだろう。
丈の長い上着が動く邪魔になり出した。動く足にまとわりつくのだ。脱ぎ捨てようかと思ったが、中身もこれ自体も役に立つとカイゼが言う。その言葉を当てにして脇に抱え走る。汗ばんだ体に風が当たるようになったため少しは快適になった。
大きな通りまで来てカイゼの足が動かなくなってきた。体熱く呼吸が乱れている。長くはもたないだろう。人の体はすぐに使い物ならなくなる。変異させればましになるが、それはそれで騒ぎとなり目立ちすぎる。どこかに隠れるかと考えるが、後を追ってくるのは精霊と造物、奴らは気配を頼りにこちらを探している。役には立たない。
痛みに足が今にも止まりそうだ。変異も止む終えないかと観念したところで前方の馬車が目に入った。素早く意識を探る。害はなく普通に客を待っている馬車だ。
「おーい!」大声で叫び手を振る。
咳き込み足が止まりそうになるが前に進む。御者の関心は得ることができたようだ。
「乗せてもらえないか」馬の後ろに座っている男に声を掛ける。
「えぇ、どうぞ。どちらまで?」 汗まみれの男に驚いているようだ。御者は何か事情があるのだろうと無理やり自分を納得させている。
「ザツィット・アコント三十二番だ。大至急向かってくれ」
精霊はカイゼから聞き出した別邸の位置を御者に告げた。客車に萎えた足を掛け、腕で体を引き揚げ転げ込む。
「かまいませんが、値が張りますよ。五百は頂きますがいいですか?」
「問題ない。出してくれ」
御者はカイゼの身なりを眺め値踏みした、そして元は取れると判断したようだ。確かに上着は役に立っている。
「では、まいります。少し揺れますがご勘弁を」
御者は馬に鞭を入れ馬車を出した。
「お母様、すみません。見失ってしまいました」
「落ち着いて周囲を探ってみろ。何か見つかるかもしれん」
最初は勢いがあった精霊も乗り物であるカイゼの体力が尽きてきたか、徐々に動きが緩慢となってきた。差を詰め容易に捕らえることができると思えたが、突然猛烈な加速により気配の感知範囲から消え去った。変異に伴うような力の発現は感じられなかった。何があったのか?
この辺りのはずだ。姿を消したままアイリーンは大通りで周囲を探った。通りを行きかう者たちに不審な存在、慌ただしい行動を取る者はいなかったかを問う。
身なりのよい汗まみれの男。疲れ果てた男が馬車に声を掛けていた。馬車か、興味深い。馬車なら大量の金を掴ませれば、言う通り駆け出して行く。力など使わなくとも人より遥かに早く動くことができる。
どのようなやり取りがあったのか。汗まみれの男の声が思いのほか大きかったため、近くにいた新聞売りがやり取りを耳にしていた。
「貸馬車にザツィット・アコント三十二番へ向かうよう指示した男がいます。長身で容姿はお母様が描写した通りです」
「屋敷に到着した。夫人もその住所を知っている。その男カイゼと見ていいだろう。行先はそこだ。よくやった。夫人は取り乱しているようで、それを口に出せるようになるのはまだ時間がかかりそうだ。今しばらく時間は稼げよう、アイリーン、わたしたちはそちらに向かうぞ」
「お母様、わたしは行けそうにありません。月下麗人がそばまで来ています。やり過ごせるか。どうかやってみます」
「面倒な奴に絡まれたな。策はあるのか?」
「はい」
「では、やってみろ」
アイリーンはまず透明を解き姿を顕わにした。魔法の使用を制限すれば感知もされにくくなるだろう。今回は常時姿を消してきた。この娘の姿を契約者の男は見ていないはずだ。
突然出現した真っ赤な衣装纏った浅黒い肌の娘の姿に、目を疑う者もいたが敢えて何もしないでおく。力を捉えられ所在を掴まれては面倒だ。この姿でも目立たない場所を探すことにしよう。
すこし離れた場所に「ホテル・スマグラーズ」が目に入った。ウィリアムとおじさんことマイケル・ヴィセラの件で立ち寄った場所だ。あそこなら目立たず過ごすことができるだろう。中に入り体を人にすれば月下麗人をやり過ごすことができるはずだ。
スマグラーズへは力を使うことなく、入り口の守衛に軽く会釈をするだけで造作なく入ることができた。後は人に成りすますだけだ。不安があるとすれば、普段使っている読心や意識操作などの力が封じられることだ。
不審な二体の気配は当初同じ方向へ移動していた。
片方が追いかけていたのか、連れだっていたのかわからない。カイゼ邸付近に張り込んでいた警備隊士から、それらしき男が踵を返し走り去っていったとの情報がアトソンが外に出ると同時に入ってきた。その動きからカイゼの可能性が大きかったが、残念ながら彼らは男にまかれてしまったようだ。アトソンが感じ取っていた気配も片方は消失した。警備隊は不審人物の聞き込みを開始し、そのやり取りがアトソンの頭蓋内で響いている。ビンチたちも急行している。
人通りが増えてきたためアトソンは姫をターバンに戻した。カイゼと思われる精霊の気配は取り逃がしたが、こちらを眺めていた気配は弱まっているがまだ感じられる。
「もう片方を追ってみるよ。近くにいるのは間違いない」アトソンは告げた。
「了解」
大通りを渡り向かい側に見えるホテルへ向かう。仰々しい文字で「ホテル・スマグラーズ」と書かれた看板が入り口の壁に掲げられている。アトソンとしては目にするだけで息が詰まるが、虚勢を張り入り口の守衛の元に向かった。件の気配はこの中にいる。
身分証を示すと軽く要件を話す。守衛は困惑しながらも頷きアトソンを招き入れた。気配は奥から感じられる。泊り客や従業員から刺さる視線を感じながら奥へと進む。最奥の喫茶室を目の前に気配が消え去った。何も感じることができない。
「消えたよ。何も感じられない」
「逃げられたか?」
「わからない」
傍をすり抜けられたはずはない。喫茶室で息をひそめているのか。入口を抜け部屋に入ってみる。室内にいるのは今すぐにでも舞踏会を始めそうないで立ちの客たちばかりだ。先のテーブルに座る若い女性などは見るからに高価な真紅の生地に伝統的な文様の入った衣装を身に纏っている。スラビア移民丸出しのアトソンは完全に場違いだ。
何かが潜んでいる様子はない。お茶やお菓子を楽しんでいる客ばかり、不審な気配はない。むしろ、アトソンが不審に思われている。彼らは身分証を出し業務で訪れたことを客たちに告げた。
「カイゼの別邸が場所がわかった」ユーステッドの声だ。「使用人が話してくれた。ザツィット・アコント三十二番、そこにある屋敷に彼は集めたお宝をそこに収めているらしい」
「見に行ってみる必要があるな」とオ・ウィン。
「新聞売りがそこに馬車で向かう男を見たそうだ」ビンチからの声。「声が大きくて丸聞こえだったようだ」
「ビンチ、お前たちでそちらに向かってくれ」
「アトソン、お前はどうなんだ」
「見つかりません」
「もういい。そこは出てユーステッドと合流しろ」
「了解」
アトソンは客たちに一礼をし、その場を出て行った。
皆が向かうことになったザツィット・アコント三十二番に位置する邸宅に最初に到着したのはアオラナの精霊だった。精霊は上着の中から見つかった硬貨をすべて手渡した。
「いいんですか?」と御者。
「かまわん、持っていけ」
「ありがとうございます」
御者は満面の笑みを浮かべ去っていった。
玄関口の鍵は持ち合わせていないが裏庭に予備の鍵が隠してあるらしい。門を開け敷地に入り裏手に回る。裏庭の隅に置かれた二羽の鶏の像、地面に座り込んだ雌鶏が腹の下に鍵を隠している。右手で雌鶏の前側を持ち上げ、左手を隙間に差し込み探り出す。カイゼの言葉通り鍵を見つけ出すことができた。
玄関口に戻り鍵を差し込む、間違いはないようだ。玄関広間から続くのは一階奥へと続く廊下と二階へと伸びる階段でカイゼの私室は二階にあるようだ。精霊は服を着替え、使える物を集め、少し休養を取ることにした。このままではこの男は弱り果ててしまう。
覚えのある強い気配に階段を駆け上る。玄関上の飾り窓が弾け飛び、あの白い女が飛び込んできた。なぜ人のくせに扉使わないのか、なぜ住処を壊すのか。
玄関広間に着地した女は軽く笑みを浮かべこちらを見つめてきた。いくつもの意識が内在する女の意思は読み切れない。そのため精霊は声に出し尋ねてみることにした。
「なぜ我の行動の邪魔をする?なぜ後を追う?」
「精霊よ、どちらかと言えばわたしはお前を助けたつもりなのだがな。あのまま、あの場に居合わせた人を手に掛けていたなら、どうなっていたかわかるか?お前は駆け付けた人の一団に問答無用で破壊されていたぞ」
「我は長年みじめな扱いを受け虐げられてきた!やっと反抗の機会を得たのだ!何が悪いというのだ!」
精霊は怒りを爆発させた。変異起こしたカイゼの体が黒い骸骨へと変わる。
「お前の気持ちはわかるが、人としては放ってはおけんのだろう」
女が目の前から姿を消し、精霊の背後に現れた。女が手にした片刃刀はカイゼのうなじに添えられている。下手に動けばこの男の首は次の瞬間に床に落ちている。女はそれをためらいなくやってのけるだろう。
「フン、お前に何がわかル。お前の狙いはナンだ」
「わたしの狙いはその男だ。その造形、実に面白い、魅力的だ。こちらにもらい受けたい」
「乗り物が無くなった我はどうなる。動きが取れなくなるのだぞ」
骸骨の干からびた顔面が僅かに動いた。鼻で笑っていたに違いない。
「精霊よ、お前はこれからどうするつもりだったのだ?どこに行くつもりだった?この男の体が長くはもたないのはわかっているだろう。行く先もない。替わりの乗り物が見つかったとしても落ち着ける場所がなければ、お前の体は傷んでいくばかりだぞ」
「それならどうしろというのだ?」
「さほどかからず、ここにも人が駆けつけてこよう。その時にここにいるのがお前だけであれば、あの者たちはお前に危害を加えることなく安寧な書庫へと連れていくだろう。それは保証しよう」
「なぜそうだといえる?」
「この街の者はな、お前たちのような存在を恐れていると同時に敬ってもいる。無碍な扱いはせん。乗り物で逃げた果てに衰えるか、破壊されるよりはよいかもしれんぞ」
「もしその言葉に嘘偽りがあれば容赦はせんぞ」
「それでよい」
次に駆けつけたのはビンチとフィックスだった。玄関広間からすぐの階段の三段目に魔導書「アオラナ」が置かれていたが、コナ・カイゼの姿は見つからなかった。魔導書は速やかに魔導院の地下書庫へと運ばれた。精霊は運び出されるときに眠らされはしたが気が付けば快適な書庫にいた。他に騒がしいものもおらず、微睡むほどに心地よい。接触を持つ者もいたが無礼な扱いはない。精霊は白い女の言葉に嘘はなかったと安心した。
コナ・カイゼはといえば今は楽園の地下施設に設置された水槽に浮かんでいる。ホワイトは変異した彼の体を調べ上げるつもりだ。だが、いつまでもというわけではない。変異が戻れば彼を街に戻すつもりでいる。もちろん生きた状態でだ。すでに変異は解けてきている、彼がここにいるのもそれほど長い期間ではないだろう。
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