第4話

 少し離れた先の通路の中央に小ぶりの蜘蛛が潰れていた。

「逃げ帰る途中に逸れてた蜘蛛を踏みつぶしたようね」

 アリアスが立ち止まり靴の裏を確かめた。しかし、元々汚れた靴底で他の汚れが付いたところでわからない。彼は気味が悪い蜘蛛の残りかすを取るために、何歩か進む間足を引き摺り歩いた。もう少し行くと潰れてひっくり返った蜘蛛が通路に二匹、三匹と転がっていた。

「足元見てなかったでしょ」

「はい」

「それでよかったのよ」

「えっ……」

「見たら足が止まったでしょ。勢いあまって転げて、そこに蜘蛛がたかってくる」

「ちげぇねぇ」ミッコが笑い声をあげた。

「これより大きな蜘蛛を見つけたのはその先?」フレアは通路の先を指差した。

「まだまだ先です」

「それなら、別の群れがいるのかも……」

「あぁ……」

 骨の傍まで行ってから蜘蛛に後ろを取られてはたまらない。フレアたちは道中の地上へと通じる脇道を確認しつつ進んだ。最初の二か所で見つかったのは小ぶりの蜘蛛が五匹ほどで、フレアの予想は杞憂に終わるかと思われた。しかし、三か所目での発見によってそれは現実となった。地上へと向かう行き止まりの階段の傍に、多数の蜘蛛の死骸と共に骨となった人の死体が転がっていた。ぼろぼろになったアクトンを身に着けた骸骨には無数の細かな傷が入っていた。肉片の一片までこそぎ落とされたことがわかる。

「あなた達が言っていたのは彼のこと?」フレアは目の前の骸骨を指差した。

 フレアが前に出てアクトンの襟元持ち中を覗き込む。中に居残っていた蜘蛛が手袋の指に飛びつく。フレアがそれを素早く握りつぶす。

「そいつは別です。こっちで把握しているのは二人ですが一人は生きてます」

「それならこれは別の共犯者ね。それにしても肉だけしか食べないのね。骨髄もいけるのに」

「うへっ」

「何よ。あなた達だって牛や豚の骨煮込んで出汁とってるでしょ」

「それはそれはそうですが……」

 フレアは立ち上がった。手袋から蜘蛛の欠片を払い落す。

「彼はここまで逃げてきたはいいけど、出口が開かず最後は食い殺されてしまったんでしょうね。かわいそうに」

「それなら、人様の荷物に手を付けなかったらよかったんですよ」 マルコが嫌味を吐き捨てる。

「それはそうと彼を食べつくした蜘蛛はどこにいるの?餌にありついて大きくなったか。それとも……」

 フレアの言葉に全員がそこに思い至った。確かに、蜘蛛の死骸は自分たちが目にした群れとは構成されている大きさが違う。

 さっきまでなかった気配をフレアはマルコ達の背後で感じた。

「あなた達、後ろ!」

 フレアの声にランタンを持つ二人が素早く光を後ろへむけた。その光に照らし出されたのは死骸と同じ大きさの蜘蛛の群れ。蜘蛛は彼らのすぐ背後まで迫っていたが突然の光に後じさった。蜘蛛はマルコたちを渇望しているが、光の中には足を踏み入れることができない。

「本当に光が嫌いなようね。とりあえず片付けましょうか。まず四人で横に並びなさい。全員腰の武器を取り出して」

 男達はフレアの指示に従い、揃いの曲刀を取り出し構えた。構えたのはいいがとてもその中足を踏み入れることはできない。ちらちらとフレアと蜘蛛の様子を窺い戸惑っている。

「中に入っちゃだめよ。隣の人に注意して、刀の先を使って目の前にいるの奴だけを叩きつぶしていきなさい」

 頷いた彼らは少し腰をかがめて曲刀を地面に打ち下ろし始めた。最前列の蜘蛛が砕け飛び、死骸が積み重なっていく。マルコ達が前に行く必要はない。蜘蛛が彼らを求め、光のたもとに波となって押し寄せ潰されていく。マルコたちは少しずつ後ろに体を引きながらも丹念に蜘蛛を叩きつぶしていった。

 やがて、通路を三歩分ほど細かな死骸で舗装し終え、ようやく蜘蛛の波は勢いを失った。男たちは黒い残骸から足を引き息をついた。曲刀を杖代わりにしてもたれ掛かり肩で息をする。腰を折っての殲滅だったための皆腰を押さえている。

「まったくなんて数だ。どこに隠れたやがった」マルコが呟いた。

「他の脇道でしょうね。全部確認したわけじゃないでしょ」

「ええ…」

「それでよかったの、運よく見つけず見つけられずにすんだ。もし遭ってたら彼みたいになってたかも」

 フレアは階段の傍の骨となった泥棒を指差した。

 マルコは顔をしかめ、他の者は肩をすくめた。

「先に進みましょう」

 フレアは男達の間を抜けバラバラになった蜘蛛を踏みしめ歩き始めた。男達も曲刀を地面から引き抜き後に続いた。

 他の場所でも幾らかの蜘蛛は見つかったがはぐれ者が数匹だったため脅威とはならなかった。

 そして、一同は起点となった場所へと戻ってきた。骨となったシォブの姿は少し乱れていたが、ランタンはまだ光を放ち蜘蛛をまだその向こう側に止めつけていた。アリアスが落とした時に転がらなかったのが幸いしたのだろう。闇の畔でうごめいている蜘蛛はさっきまでの群れに比べて明らかに大きい。

「これが卵のようね」フレアはシォブの遺体の周りに散乱する黒い殻を蹴り飛ばした。「巣が近いのかもしれないわ。前の連中はわたしが相手をする。後ろのお願いね」

「任せてください」マルコが応じ全員が頷く。

 フレアが深呼吸をし一歩前に進んだ。その時イヤリングに入信があり二歩下がった。

「はい、フレアです。おはようございます」

 頭蓋内にローズの声が響く。

「はい、急な用事ができまして」

 事情を知らぬものからの連絡のタイミングなどこんなものである。

「書置きにあるようにカッピネン様の要請もあって蜘蛛の駆除にあたっています」

 このタイミングでの通話に面喰ったマルコ達だが、相手がフレアで通話相手も察しがつくため、かれらとしては待つしかない。

「はい、カッピネン様の縄張りの地下です」

 通話はそこでぷっつりと切れた。

「ローズ様からよ」フレアは男たちに目をやった。「もう日が落ちてたのね。さっさと済ませましょ。後ろはお願いね」

 男達は再度緊張感を持って曲刀を構えた。

 フレアは改めてランタンの灯の向こうへとゆっくりと歩き蜘蛛の群れへと近づいて行った。転がっているシォブを超えた辺りで軽く飛び、光の畔で着地する。蜘蛛の体はフレアの加速の付いた着地の衝撃には持ちこたえることはできない。その場で砕けちり終わりとなる。フレアは闇の中で群れた蜘蛛の上で飛び跳ねる。蜘蛛に彼女を追うことはできず、ただ仲間の居なくなった地面を満たすのみ。

 そして、マルコ達が見るのは暗い空間に浮かび、舞い踊る金髪の少女の姿。砕ける蜘蛛の破壊音を伴奏に、金色の髪と長いお仕着せのスカートを揺らせて宙で舞う少女。彼らにその光景がどこかゆったりとして見えるのは、彼らの視覚で捉えられる範囲の限られた残像しか追えていないためである。ほどなく、蜘蛛は小砂利程度の破片に変わりフレアは地上に降りた。フレアは放置されていたアリアスのランタンを取り上げ先を照らす 。

「行きましょう」

 その先はちょっとした広場となっていた。間隔を開けて柱が二本あり荒れた地面には例の黒い卵の殻が散在している。片側の柱にまた一体骨と化した泥棒が見つかった。柱を背にうなだれもたれ掛かっている。前方の闇の中からは今までより遥かに強い気配が伝わって来る。

「ここが巣ね。」

 フレアは一人ランタンを手に前に進んでいく。

「あなた達は壁際にいなさい。なにがあっても光の外には出ないこと。いいわね」

 マルコ達は指示に従い壁に後ずさり、フレアはランタンを手に前へと進む。周囲を囲まれたことを感じ、足元にランタンを置く。光の円が縮み蜘蛛が詰め寄る。仲間に押しだされ前に出た蜘蛛を踏みつぶし、足に這い上ろうと近づいた奴を蹴り上げ拳で叩きつぶす。足を草刈り鎌のように振り、群がる蜘蛛を蹴り潰す。群がる蜘蛛の中に最初から脚の欠けているものを見かけ理解した。最初扉で押しつぶした蜘蛛が含まれているのだ。すぐ近くにあの道具屋があるに違いない。だから、あそこはあれほど気配が強かったのだ。

 幾らかの蜘蛛を潰し、フレアの周囲に死骸の円が形成された。また一匹蜘蛛を蹴り上げ殴り潰す。何かの目覚めを感じた。今までより遥かに大きい。人には聞こえない怒号を上げ、こちらへと向かってくる。

 闇の中から新たに現れたのは巨大な脚、先端に鋭い爪を持ち丸太のように太く、針のような剛毛におおわれている。爪がフレアの頭部を狙い左右から何度も空を掻く。フレアが見上げると、対になった黒光りする牙と目まぐるしく回転する三つの瞳が彼女を見下ろしていた。フレアはこれがすべて蜘蛛の母であることを確信した。これが卵を産み哀れな泥棒達を餌にしたのだ。  

 蜘蛛が腕代わりの一対の前脚でフレアを狙い地面を打ち据えた。脚が地面に食い込んだところをフレアが殴りつけ、それを関節からへし折った。脚に生えた剛毛がはじけ飛ぶ。手袋がなければこちらが大怪我をしていたところだ。もう片方の爪を蹴りでへし折り、先は横の闇へと飛んでいった。

 しかし、蜘蛛にはこれぐらいでは何の障害にもなら居ないようだ。脚は折れた関節で繋がり、爪はすぐに生えて戻った。 子と違い親は回復力を持っているようだ。

「頭を狙えということね」

 フレアは再生した脚の攻撃をかわし、飛び上がり渾身の拳を蜘蛛の頭部に打ち込んだ。三つ目が並ぶその手前に一発、二発でひびが入り、三発目で牙の付いた頭部崩れて下に落ちた。それでも、落ちた一対の牙は開閉をつづけ、前脚は攻撃を止めない。頭部もすでに再生を始めている。急所となる核は他にある。

「面白いものを見つけたものね」

 突然の声にフレアは蜘蛛の脚を脇腹で受けるところだった。当たれば脇に穴が開くか、それを免れてもランタンの光の外に飛ばされるところだった。しかし、蜘蛛の方が動きを止め事なきを得た。蜘蛛は突然の拘束を振りほどこうと必死の抵抗を試みて、体を小刻みに震わせている。子蜘蛛の方は見えない圧力に負け一匹ずつ潰れていく。

 広場に幾つもの光球が放たれ、母蜘蛛の禍々しい顕わとなった。黒々とした巨大な蜘蛛は一体の骸骨と胴で融合していた。蜘蛛の背に骸骨が乗り骨となった両腕で黒い魔導書を抱きしめている。フレアは息をのみ、壁際にいた男たちは叫び声を上げた。

「興味深いけどこのままにはしていられないわね」

 長身で黒い外套と黒い仮面をつけた人物が広場の入り口から蜘蛛へゆっくりと向かう。背には豪奢な幻龍の刺繍が施されている。

「まったく、いいところだけ持っていきますね」

 マルコ達がフレアの傍に足元を気にしながら寄ってくる。

「どなたで?」尋ねはするが、大体の予想はついている。

「ローズ様よ」

 ローズが一歩近づくごとに蜘蛛が揺れ、ついには足が折れ次に体が崩壊した。大きな身体が煙のように空消え、ほどなく子蜘蛛は土の山となり、後には哀れな骸骨と力を失った魔導書だけが残った。

 男たちはローズに頭を下げた。

「わたしはこの娘が面白いものを見つけたと聞いたので見に来ただけ、楽にしてください」

 ローズは骸骨が投げだした魔導書を拾い上げた。

「この人たちは荷物が金細工だという嘘を真に受けて盗んだんでしょうね。そして盗んだ後、中を確かめるためにうかつに封を解き、魔導書に巣くっていた精霊に操られた。その果てがこの哀れな最後です。カッピネンさんにも言いましたが、中身の確認が取れない物は扱ってはいけません。どんなにお金を積まれてもです。今回のように遮魔布で包んである物などは特に要注意です。世の中には人を騙して、このような物を運ばせようとする輩がいるのです。気を付けなさい」

「はい、そのお言葉肝に銘じて、これからも働かせていただきます」

 男達は態度こそ恐縮していたが、内心は上機嫌となっていた。彼らの立場ではローズを偶然見かけることはあっても、直に声をかけられるなどまずありえない。ましてやその力の片鱗を目の当たりにすることなどありえない。これから何年もの間の自慢話だ。恐ろしい目にも遭ったが十分に価値のある見返りである。

「では、わたしは先に出ます。あなた方はこの人たちを運び出して、きちんと埋葬してあげなさい。彼らは罪を犯しましたが、もう十分な報いは受けています。最後ぐらい慈悲を与えてあげなさい」

「はい、お任せください」マルコが頭を下げる。

「ローズ様はどちらへ?」とフレア。

「わたしは今回の後始末を付けて来るわ」ローズは手にした魔導書を指で示した。「あなた方も今回の出来事、このままじゃ収まりつかないでしょ」

「はい、十分な仕置き期待しております」

 マルコは笑みを浮かべた。


 三日後の新聞に旧市街のホテルの一室での乱闘騒ぎの報が掲載された。記事による取引のもめ事による乱闘騒ぎに発展、そこに居合わせた六人が重傷を負い病院へと運ばれた。なかでも一人は重厚な書物で滅多打ちにされての負傷だった。なお、その室内からは禁制品が多数発見されておりそちらでも警備隊が動き出したとも報じられていた。


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