第34話 追跡者と古都並
翌日、山田は昼間にアンティークの喫茶店で、村井と落ち合った。こうして、村井と二人で席に座って顔を合わせるのは、随分と久し振りな気がした。
「またあの猫、現れるかな?」
村井は、昨夜の黒猫がやたらと気になるらしい。もっとも、あんな凄惨な別れ方をしたのだから、気にならない方がおかしいといえば、そうかもしれない。
「どうしたんだ? 急にそんな事思い出して……。あんな猫なんか珍しくもないだろう」
山田だって、黒猫のことは誰よりも心配していた。が、黒猫の正体を、村井には絶対に秘密だった。彼は、あえてつれない態度を見せるしかないのだった。それでも、あまり村井がしつこいから、山田は次第に感情的になっていた。殊に黒崎寧音の安否については、彼は後悔と焦燥から、つい頭に血が上っていた。
「無事でいるかな?」
「当然だろう! 死骸も見つからなかったし、きっと轢かれていないんだ」
山田は行き成り声を荒らげたから、村井は少しびくついて、山田を見返した。彼も慌てて声を潜め、平静を装った。とうに昼食の時間は過ぎていて、喫茶店の中は満員という訳ではないが、それでも数人の客が遅い食事や、談笑を楽しんでいた。山田の声に、驚いたふうに顔を上げた者が、二三人見えた。
「そうだといいな」
村井は、山田の不自然な態度には、ほとんど頓着を見せずに、本当に黒猫の無事を切望するようだった。
それから、二人は取り留めのない閑談を交わした。そのほとんどが、大学の話だった。その中で、村井はこの頃、妙な奴らに尾行されていると切り出した。村井は、あまり細かいことを気にする質ではなかったから、そんな事を口にすることを、山田は意外に思った。
「尾行だなんて、大げさだな」
「嘘じゃない」
山田が冗談扱いするから、かえって村井に熱を込めてしまった。大きな体を、ときどき力んで震わせていた。テーブルを飛び越えてくるんじゃないかと、山田は焦った。
「別に、村井が嘘を吐いているだなんて、言っていない。だからって、勘違いってことも有り得るだろう。たまたま帰宅の方角が一緒だったり、近所の人だったり、学生なら行きも帰りもみんな同じだからね」
山田の返事に、村井を納得させるほどの説得力は無かった。彼も、全く心当たりが無いわけではなかった。ただ確固たる証拠も見つからないうちに、そう決め付けるには躊躇いがあった。いや単に厄介ごとを抱えたくないばかりに、事実から目を逸らしたいだけなのかもしれない。が、彼だって、現実から目を背けてばかりもいられないと、ようやく決断した。
「村井、ちょっと出掛けようか」
「えっ、どこへ」
山田は、面食らった顔の村井を見てにやついた。
「男同士で、ドライブにね」
それから間もなく、アンティークの喫茶店を出た、山田と村井は車に乗り込んで、大学の前の大通りを走っていた。こうして、二人だけでドライブするのは初めてだった。村井はいつもと変わらない助席に座っているだけなのだが、偉く新鮮な気がするのだった。
「どうだ? 怪しい車は付いてくるか?」
山田は注意深く周囲に目を配って、運転していた。村井も黒く小さな目を、忙しく動かして通りを見回していた。そこをひっきりなしに車は走った。それらの車はどこから来て、どこへ向っているの分からないが、信号待ちで滞っても、すぐまた車は行き交って、途絶えることはなかった。とにかく交通量の多い所だった。
「分からないぞ。どの車も怪しいと言えば、怪しい。ずっと後ろをくっ付いて来るからな」
「そりゃ、そうだ。同じ道を走っているんだから仕方がない。どこかで止まってみよう。それから、できるだけ詩織たちとのドライブとは、関係ない場所を走ってみるよ」
山田の言葉に、村井は納得して頷いた。山田が探偵で、村井がその助手といった様子だ。しかし、これと言った手掛かりがあるわけでは無いから、彼らは小一時間ほど、闇雲に探して回って、何の成果も得られなかった。次第に二人の集中力も、緊張感も途切れきた。
彼らの車が、ちょうど横断ほどの手前で信号待ちしていると、急に助手席の村井がくじで当たりを引いた時のような、びっくりする声で叫んだから、山田も同じような気持ちで驚いた。
「スクーターだ。スクーターだよ」
村井は、しきりに車の前方を指差している。
「スクーター? どんな奴だった?」
「いや普通のスクーターだ」
「普通じゃ、説明になってないよ。全く分からないじゃないか」
「そんな事言ってもな」
村井は後ろ頭をかきむしって、困って目鼻や口、眉を顔の真ん中に集めている。ジタバタしたって、どうにかなるわけではなかった。
「色はどうだった?」
「色? 白じゃなかった」
「白じゃないって、他には? 黒とか赤とか、黄色とか色々あるだろう」
「いや、黒でも赤でも黄色でも、白でもないんだ」
「じゃあ、一体何色なんだよ」
「だから、白じゃない色なんだ」
村井は何とかして伝えようと努力するのだが、それは空回りするばかりで、村井が必死になればなるほど、山田には要領を得なかった。山田も村井の気持ちが分かるだけに、歯痒く感じた。きっと詩織なら、村井の言わんとすることも、簡単に察しが付くだろうと、山田は思った。そう思たところで、午後九時を過ぎなければ、詩織は現れないのだった。
「あっ、あれだ! あれ」
山田は、村井がそう指差す方を覗き見た。今度は、間違えようがない。村井の言う、そのスクーターが目の前を走っているのだ。
「あっ、ベージュね。確かに白じゃないね」
山田は、ようやく村井の言わんとすることが理解できて、胸のつっかえが取れた。と同時に、別の疑念が山田の気持ちを曇らせた。
「でも、あれは」
山田の見間違えかもしれない。あるいは偶然だったか。その時、信号待ちで停車する、彼らの車の前を横切って、颯爽と走り去ったのは、古都並の姿だった。背の高い痩せ型の体を少し前屈みにして、ベージュのスクーターに跨がっていた。あっと言う間の出来事のように、古都並の乗ったスクーターは、道なりにぎっしりと並んだ建物の間に隠れてしまった。
「古都並って、誰だ?」
「えっ! 忘れたのか? 村井が散々脅かしていただろう。薫を捜している奴だよ」
「薫を? ああ、あいつまだ俺らの前をうろついていたのか。今度見掛けたら、ただじゃおかない」
「もう行ってしまったよ。それに、同じ大学なんだから、ここら辺で出会っても不思議はないだろう。妙な考えは起こすなよ」
山田はそう村井に念を押したが、彼の忠告など村井が聞くとも思えなかった。信号が変わって、山田はゆっくりと車を走らせた。それは、古都並が入って行った路地とは、まるで別の方角だった。山田たちの車が行き去っても、その交差点には次々に車が流れ込んで出て行った。それが深夜、車が途絶える頃まで延々と続くようだった。が、そんな事は誰でも知っていて、誰も考えないことだった。
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