第31話 山田の尾行
山田が村井に呼び出されたのは、すっかり日の暮れて暗くなった、午後七時過ぎだった。昼間は、村井に黒崎寧音と会う約束も、すっぽかされたし、夜は詩織たちとのドライブは絶対に参加なのだから、その時では駄目なのかと尋ねても、酷く混乱した様子で、まるで要領を得なかった。山田が詳しい事情を話すように催促しても、村井はとにかく早く来てくれの一点張りだった。
「わ、分かったから。声が大きいよ。耳鳴りがする」
山田は夕食も取らずに、マンションを出た。彼が大慌てて、村井に指定された大学の体育館裏へたどり着いたときには、暗いコンクリートの階段状になった所に、横に寝かされた黒崎寧音は、ぐったりとして動かなかった。
「お、お前。飲ませたのか? 未成年だぞ!」
村井は首だけ振って、また俯いて、山田の顔を見なかった。
「じゃあ。どうして、彼女がこんな状態になったんだ? おい、村井! 何とか言えよ」
村井は何か深刻な秘密を、その乾いた唇で堰き止めるふうに口を閉じて、やはり答えなかった。
「まさか、村井。薬を使ったのか?」
「違う!」
村井は激しく否定した。また下唇を噛んで、黒崎寧音を見下ろした。それが山田には、黒崎寧音をよく見てみろ、と訴えているふうに思えた。しかし、こんなうら若き女子高生を、遠慮無く確かめることには躊躇いがあった。それでも、村井の目は、山田にそれを強いることを望んで譲らなかった。
「おい、大丈夫か?」
山田は恐る恐る、眠るように横たわる、黒崎寧音に近寄った。それでも、ぐったりとした彼女の細身の体は、身動き一つ見せなかった。服が乱れていた。白い太ももが露わになっていた。山田はそれらから目を背けて、黒崎寧音の顔を覗き込んだ。覗き込んで、彼は急に全身が麻痺する感覚が起こった。その顔は青白くなって、血の気が感じられなかった。息もしていなかった。
「村井、彼女に何したんだ?」
山田は、背中に村井の異様な気配を感じたまま、そう言った。
「だって、寧音ちゃんが。寧音ちゃんが、急に俺を拒むから。もう会わないって、言い出すからいけないんだ!」
村井は一度口を開くと、矢継ぎ早にそんな事を吐き出した。顔を激しく振ったり、空中に漂う何かを追い払う格好をしたりして、息を荒らげていた。が、それが一通り吐き出されると、気が済んだように大人しくなった。
「だからって、こんな事して、いいわけないだろう。どうするんだよ?」
「大丈夫だよ」
今度は興奮した山田に、村井は何か自信ありげな微笑を見せた。山田には、村井が何を考えているのか理解できなかった。
「何が大丈夫だ。大丈夫なわけないだろう。村井、自分が何やったか分かっているのか? 彼女は死んでいるんだぞ!」
「大丈夫だって。同じだよ。同じ」
「同じ? 同じって、何が同じなんだよ」
「同じ。詩織や薫のように埋めて来れば、同じじゃないか」
「埋めるって、そんな簡単なことじゃない。人一人殺しているんだぞ!」
「だから簡単だって。同じようにすればいいんだ。そうすれば、寧音ちゃんも詩織たちのように生き返る」
「馬鹿言え、詩織は生き返ったわけじゃない。死んでいるんだぞ!」
「いいじゃないか。それなら、それで。もう二人もやっているんだから、一人増えたくらい、どうってことないだろう」
「村井、どうかしているぞ! それに、どうするんだよ。彼女は一度もドライブに参加したことが無い。詩織たちに、何て言って説明するんだよ。僕の車だって、一杯なんだから、どこに彼女を乗せるんだ」
「大丈夫だって。薫を、トランクに閉じ込めておけばいい。何を言っても知らん顔さ」
「そんな、幾ら死んでいるからって、それじゃ薫があんまりじゃないか」
二人はそんなやり取りをしながら、結局村井に強引に押し切られ形で、黒崎寧音を車へ運んだ。その夜、彼女を山奥に埋めに行くことになった。詩織たちに何と説明すればいいのだろう。いや詩織なら大丈夫だ。薫は、きっと激怒するだろう。そう考えるだけで、山田は酷く気が病んだ。
山田は、ある程度の予期はしていた。が、詩織は嫌がるどころか、むしろ黒崎寧音を埋めに行くことを面白がって、じゃあ、早速行きましょうと乗り気だった。流石に三度目となると、彼らの手際も良かった。何となくこの辺りだろうと、当たりを付けてきた場所には、難無くたどり着いた。その時も、やはり詩織を葬った場所は見つけられなかった。薫を埋めた斜面も、そことは違っていた。トランクの中の物は出せなかったが、村井は、どこからか大きなシャベルを調達していた。黒崎寧音を無事に埋めるまでは、トランクを開けない手はずになっていた。薫がその夜の計画を知れば、何かと難癖を付けるに決まっている。それで、どんなに車の後ろが騒がしくても、薫が何を言い放っても、完全に無視を決め込んできた。案の定、後ろは火事場にように騒がしかった。しかし、それも車を止めた頃には、すっかり鎮火して、何の音も立てないし、声も出さなかった。ひょっとしたら、薫はこれから自分が遺棄されると、勘違いしたのかも知れなかった。
「村井、一人で大丈夫かよ?」
「平気、平気」
村井は、自分の仕出かしたことに負い目を感じてか、独り何でもやってのけた。黒崎寧音の死体も、ほとんど彼独りで運んでいた。
「詩織のときは、二人がかりで苦労して運んだのにな」
山田が、村井の奮闘振りに感心して言った。
「それ、どう言う意味? 私の方が重いって、言っているように聞こえたのね」
「そんな事、言ってない、ない。僕は、村井がよく頑張るなって、ねぎらっていただけだよ」
「そうは聞こえなかったけど」
詩織は、ちょっと膨れっ面をしたが、すぐに山田に白い歯を見せて、それ以上は追求しなかった。ただ村井を見るときの目は、冷たく嫌な感じがした。侮蔑とも嫌悪とも、その両方の感情を含む、彼女の刺すような視線に、山田は戸惑った。それには、全く心当たりがないわけではなかった。山田は黒崎寧音の死体を埋めた後、村井がまた雨の降る中を、一人で車外へ出て行くときに、そっと村井の跡を付けた。暗く明かりの乏しい、森の中を村井の大きな背中は、どんどん奥へ入って行った。山田は村井から少し離れて、悟られないようにすることばかりに気を取られていたから、すぐに村井を見失ってしまった。村井がどこを目指しているのかは、大体の察しが付いていた。が、村井を見失ったまま、そこへたどり着いても、簡単に気付かれてしまうだろう。山田はもう諦めようか、どうしようかと迷ううちに、彼の背後に村井が立っていることに驚いた。
「こんな所で、どうしたんだ」
「いや何でもない。村井が迷ったんじゃないかと思って……」
「道なら知っている。雨が降るから、山田は車で待っていてくれ」
「分かったよ」
山田は村井の顔を見ると、足がすくんだ。激しい強迫観念に囚われ、それ以上村井の秘密を暴くことが出来なかった。詩織は、山田が村井の後を追おうとしたときに、そんな事しても、嫌な思いをするだけなのねと言って、彼を止めた。その意味がようやく分かった気がした。
山田は逃げるようにして、車へ戻って来た。詰まらなそうに一人車内で閉じこもっていた詩織が、分かったでしょうと彼を迎えた。山田は、いや何も分からなかったよと答えた。詩織は、そうとだけ言った。詩織の声は、山田が今走って来た森のように暗く沈んで聞こえた。その時、急に後ろが、うるさくなった。トランクに薫を閉じ込めたままだったことを、すっかり忘れていた。
「あれ、面白い登場の仕方よね」
詩織が真顔で言ったから、山田は先ほどの嫌なことも、全て忘れたように、思わず吹き出してしまった。
「また私のこと馬鹿にしている」
くぐもって聞き取れないような不明瞭な声だが、トランクの中で、薫がそう叫んだのだと、山田は思って、またおかしくなった。そんな薫の声に救われた気がした。
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