第28話 古都並の思い
その日は、少し違っていた。彼らの前に、予期せぬ古都並が現れたからだった。ちょうど黒崎寧音を連れて、村井と大学通りを歩いているときだった。まだ夕暮にはほど遠いというのに、それでも学生たちは頻繁に、そこを行き交っていた。別段どこへ向うという様子もなかった。
古都並の用件は、やはり薫の消息のことだったから、山田もただの傍観者とはいかない。薫にあれから、会わなかったでしょうかと、尋ねてきた。当然、山田は、いや出会わないと嘘を吐くしかなかった。そう言ってしまえば、諦めると決めて掛かっていた。が、その日に限って、古都並は強情に粘った。きっとあれからも、ずっと何の手掛かりも得られず、薫を捜し続けていたのだろう。その焦る気持ちが、古都並を強情にさせたに違いなかった。あまりにしつこい古都並に、村井が露骨に不快感を表した。せっかくの楽しい時間を、邪魔されたのが気に障ったのだ。
「もう話は終わったんだろう!」
それでも、なかなか去ろうとしない古都並に、村井は苛立ち始めた。が、それとは対照的に黒崎寧音は、この珍客に興味を示したのだ。彼女の凛々しい顔が、一瞬輝いたように見えた。
「誰?」
「誰でもないよ。さあ、あっちへ行こう」
それを、村井は許すはずがなかった。村井はその丸くふくよかな顔が、どす黒く煙ったみたいに見えた。
「僕、古都並です」
古都並は、自分の名前を聞かれたのだと思って、それで黒崎寧音に答えたのだ。ただそれだけのつもりだった。それが、村井を激怒させた。古都並が、黒崎寧音に言い寄ろうとしたと勘違いしたのだ。そうでなくとも、村井の許しも得ずに勝手に彼女と口を利くのは、罪と考えていたに違いなかった。
「知らないって言っているだろう。用が済んだら、さっさと行けよ! 二度と俺たちの前をうろつくんじゃない!」
「村井、声がでかいよ。抑えて、抑えて」
山田が二人を遮らなければ、村井は古都並に殴り掛かっていたと、冷や冷やした。山田は必死に村井をなだめ、その間に古都並へ引き下がるように合図を送った。古都並もそれ以上、争うつもりはないようだった。潔く立ち去っていった。
その夜のドライブは、いつになく村井が雄弁だった。詩織と薫に古都並がまた来たことを告げた。もちろん黒崎寧音のことは、彼女たちには伏せたままだった。それで、当然話すべき本当の成り行きが欠落しているから、黒崎寧音に対する感情が、全て薫に置き換わってしまった。まだあの男は、俺らの周りをうろうろして、薫のことを付け回していると息巻いた。まるで村井が、薫のために憤っているようだった。その様子が、ちょっとおかしくて、詩織は堪え切れずに笑い出した。
「それって、薫の新しい恋人の?」
「誰が新しい恋人よ! 全然違うでしょう」
詩織がからかうから、薫はすっかり不機嫌になってまった。
「早く諦めてくれるといいんだけど、あまり周囲を嗅ぎ回られて、二人の秘密がばれると不味いからね」
「大丈夫だろ! 俺が、がつんと言ってやったから、もう来ないんじゃないか」
「どうだか。そうだといいんだけど」
山田は、村井の冗談めいた口調に苦笑いしたが、古都並がその程度で諦めたとは思っていなかった。彼には、あれほど真剣になれる自信が無かった。たとえそれが詩織のことだったとしても変わらなかった。それで、古都並のことが少し怖く感じた。ああいう思い詰める性格は、いざとなれば、どんな無茶をやらかすか想像できないと、山田は思った。
それから、ついでに山田は以前、詩織を訪ねてきた、二人組がまた現れたことを話した。一人は、彼らが一度行ったことのある、コンビニの店員で、大森慎太だった。もう一人は、常盤池男だと言う。例のイケメンたちだった。詩織は、コンビニ店員の顔なんか、一々覚えていないのねと小首を傾げると、湿り気のない彼女の長い髪が、後からさらさらと解れるように揺れて、彼女の頬に掛かった。山田は、詩織のそのあどけない、生前の記憶を呼び覚ます仕草に、どきっとさせられた。本当に彼女は死体なのだろうかと、疑ったくらいだった。
その二人組も、ずっと詩織を捜していて、そればかりか二人の他にも大学の教授が、詩織を呼んでいると言う。山田は、大森慎太からその話を聞かされたときには、嫌な汗をかいた。妙な悪寒を感じた。いや二人は、その教授に依頼されて捜しているのだったか、そこら辺の詳細は曖昧だった。
「安沢教授って、知っているか?」
山田は、さりげなく詩織に尋ねてみた。
「安沢? やすざわね。何か聞いたことある気がするのね。それが、どうしたの?」
「英文学の先生だそうだ。その教授も、詩織のことを捜しているんだ」
山田は不審そうに顔を曇らせ、詩織の答えを待っていた。
「英文学……。英語のあの先生だ。知ってる。知ってる。ちょっと目付きが嫌らしい感じがするのね。私、あの先生嫌い! 講義中いつも私のこと、じろじろ見ている気がするのね。怖い怖い」
詩織は蛇蝎の如く、さも嫌そうに眉をひそめて、身震いするようだった。
「えー、講義をちゃんと聞いてないから、怒っていたとかじゃないの?」
「酷い。私、講義はちゃんと聞いていたよ。あー、それ凄く昔のような気がするのね」
「別に詩織が講義に来なくなったからって、わざわざ捜しているってことでもないだろう。そこまで、大学の先生は、生徒の面倒を見てくれるとも思わないよ。とにかく気を付けておいた方が、いいかもしれないね」
山田の声は、一種の予感に似た不安から、彼自身に言い聞かせるようだった。山田は、この安沢教授というのが、よく理解できなかた。まさか個人的に、詩織に興味を抱いての行動だとも思えない。しかし、詩織が他人を嫌うなんて、滅多にないことだから、少し気掛かりになった。村井のことは、置いておくとして。地位も、名誉も、人脈も、お金もそこそこ持っている。案外、こういう人物の方が一番厄介なのかも知れないと、山田は思った。
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