第26話 詩織と薫の違い

 薫が、詩織と同類になってしまったからには、例の計画は自然消滅したも同然だった。山田も村井も、最初からその計画に賛成ではなかった。計画に協力したことさえ、薫に根負けしてのところが多かった。それに詩織と同じで、薫も昼間は人前に姿を見せなかった。が、詩織と違って、薫の消息を尋ねる学生は居なかった。いやただ一人、古都並ことなみを除いてだ。山田は、この古都並が彼に近づいてきたとき、また詩織を捜している奴らが現れたと思った。それまでも、ちょくちょく誰かが山田の所へ訪れては、詩織の居所を問いただすことがあったからだ。

 誰もが同じ質問を口にするから、山田はさあとか、どうだろうかとか、曖昧な言葉を返すことにしていた。それを一々考えるのも面倒だし、余計なことを口走って、詩織の秘密を勘付かれるのを避けるためだった。そうすれば、大概の奴らは、不満な態度を露骨に表しながらも、潔く退散するのが分かっていた。が、その時は完全に、山田が不意を突かれてしまった。彼の予想だにしない、百瀬という名字を耳にしたからだ。

「ちょっと、あの……」

 古都並は、このちょっと、あの……という言葉を、話の切っ掛けに決めて来たところがあるように、山田は思った。そのちょっという声に、はっきりとした意思が込められているのを感じたからだ。それは、どこか気弱そうで背の高い、日に焼けた地味な印象を与えた男子学生からは、全く想像の付かないものだった。もっとも古都並の方は方で、何とか山田に取り付こうとして、それが上手く行かずに、何度も失敗を繰り返すうちに、いよいよ覚悟が定まって、そのちょっとを思い付いたに過ぎないのだろう。

「百瀬さんの知り合いですか。彼女が、どこに居るか知りませんか?」

「百瀬? 百瀬とは……」

 山田は、その百瀬というのに心当たりがあっても、薫の名字だとはすぐには気付かなかった。

「百瀬薫さんです」

「か、薫? 薫は……。いや、分からない」

 山田は不味いと思った瞬間、苦し紛れに誤魔化したのが、かえってそれが、古都並の目には不自然に映ったに違いなかった。古都並は、そこで初めて氏名を名乗った。百瀬さんとは、同じ理学部だと山田に告げた。

「そう言われても、分からないものは、分からない」

「そうですか。もし……。いえ、何でもありません。ありがとうございます」

 古都並は何か言い掛けたが、すぐに諦めてしまった。酷く失望したように肩を落としてとぼとぼと、山田の前を去って行った。山田の方が罪悪感を覚えるほどの、落胆振りだった。


 その日、村井に古都並のことを話したら、学部も違うし、そんな奴は知らないなと首を傾げただけだった。詩織のことを探りに来る奴なら放っておけないが、とまで言った。薫のことは、大して気にならないらしい。既に死んでいるんだし、奴らが幾らあがいてみても、詩織や薫には簡単に接することはできないと考えていたのだ。

 詩織や薫の加わった、その夜のドライブでも、昼間の出来事は話題に上がった。山田は、二人に黙っておこうか、どうしようか態度をはっきりさせないうちに、村井が古都並の名を口にしたのだった。詩織は当然、知らないと言った。薫は、心当たりが全く無いわけでもなさそうだった。ただ学部が一緒の学生くらいにしか思っていないらしい。

「何、何? それ、薫の新しい恋人?」

 詩織は意地悪そうな流し目で、薫の顔を舐めるように見た。

「どうして、急にそんな話に展開するの?」

 薫は曲げた唇を閉じて、頬をわずかに膨らませていた。酷く不満な様子だ。

「あれ、否定しないんだ。否定しないところをみると、満更でもなさそうなのね」

 詩織は更に調子付いて、口を滑らかにして言った。

「何でよ。否定するに決まっているでしょう」

「そうなの? なーんだ。詰まらないのね」

 詩織は、既にその話には興味が薄れたとみえ、それ以上追求しなかった。

「何が詰まらないよ。勝手に言い出しておいて。大体ね。私たちには、関係無い話でしょう」

「どうして、関係大ありなのね」

「どこが大ありなの。だって、私たちはもう死んでいるの。死んでいる人が、恋愛なんて出来ないでしょう」

 薫はそう興奮しながらも、次第に興が冷めるふうに声を潜めた。

「死んでいる? 私は死んでなんかいないのね」

 詩織は、平然と言った。

「どこが? だって、一度確実に死んだでしょう。胸に包丁が突き刺さって、どばどば血が出たでしょう。それで、生きていたらおかしいじゃない。覚えてないの?」

「あまり覚えてないけど。死んだけど、でも生き返ったのね」

「生き返った? そこがおかしいの。大体、今生きているの?」

 薫は呆れたと言わんばかりに、詩織を直視した目を大きく見開いて、言葉を吐いた後も、小さな口は閉じないままだった。

「生きているじゃない。ほら、ほら。動いているのね」

 詩織は、喜劇役者がやるふうに、大げさに手を振り動かし、踊るような格好をしてみせた。

「そうじゃなくて、胸に手を当ててみてよ。心臓動いている? 脈はある? 息している?」

 詩織は薫の言うことに一々頷いて、素直に従うようだった

「心臓は? あっ、動いてない。脈もない。息? 息は臭い? えっ? 息してるかなんて、どうやって調べればいいのね?」

「そんなの知らない。鼻を摘まんで、口を閉じて、平気なら息してないんじゃないの」

「鼻を摘まんで、口を閉じるのね?」

 山田は、こんな滑稽な真似をする、詩織を見るのは初めてだった。

「どう? 苦しくなった」

「何か苦しくなった気がするのね」

 詩織は、ふっと止めていた息を吐き出すふうに、口をすぼめた。

「そんなわけないでしょう。それは、生きていたときの名残よ。苦しい、苦しいって思い込んでいれば、そう思えてくるの。でも、実際は息をしていないんだから、苦しくも何ともないはず。とにかく、私たちは死んでいるの」

「私は、死んでないもん」

 薫は、もういいよと、詩織を納得させるのは無理だと諦めてしまった。山田は、二人のやり取りを見ていて、微笑ましく感じた。詩織は認めたくないらしいが、薫の言う通り二人は確実に死んでいる。心臓も動いていないし、脈もない。息だってしていない。皮肉にも死んでから、初めて本当の友達みたいに振る舞っている。二人は死んでから性格が変わったようにも見える。特に薫は、詩織に負けず劣らず我が儘になった。詩織の我が儘は以前からだが、子供っぽさが顕著に表れていた。もし二人が生きている間に、言いたいことを言い合って、喧嘩して罵り合って、泣いたり笑ったりすることが出来ていたならば、詩織も薫もこんな姿にならずに済んだかもしれないとまで、山田は思った。死んでないもんと言った詩織の言葉が、急に彼の胸を締め付けた。

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