第24話 村井の秘密

「どうしたの?」

 詩織が心配そうに、運転席を覗き込んだ。

「やっぱり分からない。最初に行った場所にたどり着けない」

 山田は助手席を一瞥したが、村井も少し窓外を眺めて、小首を傾げただけだった。窓の外は茂みで覆われた森が、手を伸せば届きそうな所まで迫っているが、生憎の暗闇でその全てを隠してしまっていた。

「そうでしょうね。あんな山奥に埋めたんだから、もう見つかりっこないのね。その辺でいいじゃない」

「そうかな」

「いいよ。場所なんて関係ないのね」

 詩織は当ての無い場所探しに、それから薫の死体いじりにも、すっかり飽きてしまったようだった。いつまでもこうやって、真夜中の山奥をさまよっているわけにもいかず、彼らは出来るだけ目立たない場所を確かめて、そこへ薫の死体を葬ることに決めたのだった。

「薫の奴、こんな物まで用意している」

 山田は、車のトランクを開けた。そこに、巨大なシャベルが二本、横にして入っていた。また潮干狩りで使った、小さなクワで穴を掘ることを考えるとうんざりだったが、これなら楽に穴が掘れそうだと、山田は思った。

「ちょうど良かったじゃない。それ使わせてもらおうよ」

 村井は詩織の意見に応えるように、既にトランクから重厚なシャベルを、いとも簡単に二本一緒に取り出した。

「そうだな。せっかくだから、そうさせてもらおう」

 するとその時、まだトランクの中を探っていた、詩織が急に妙なことを口走った。

「ねえ、私の帽子知らない?」

 山田はその言葉に一瞬、ぞっとさせられた。いや、と言ったつもりが声にならず、山田は顔だけ振って見せた。詩織は、そうとだけ悲しげに言った切りだった。

 薫のお陰で、作業は思いの外はかどった。以前、詩織を埋めたときには、苦労して掘ったことが嘘のように思えた。三十分も掛からないうちに、人一人落とせるくらいの、落とし穴が出来上がった。

「ちょっと、深すぎるんじゃないか?」

 山田は穴の縁に立って、恐る恐る底を見下ろした。斜面の土が軟らかく、その縁へ立っていると、すぐに崩れだしそうだった。

「これで、充分だ」

 村井だけは、満足した様子だった。それに気を良くした村井は、その後も独りでよく働いた。車の後部座席から、やすやすと薫の死体を抱えてくると、その穴にゆっくりと落とした。見る見るうちに、薫の体が赤茶けた土で隠れていった。山田も村井も巨大なシャベルで、遠慮無く穴の中の死体に土を掛けた。

「もっと丁寧にしなくてもいいのかな?」

 山田は、ときどき不安そうに言ったが、村井は、大丈夫だろうと更に大胆にシャベルを使った。それで、ますます心配になった。

 薄暗い木立の並ぶ斜面へ掘った大きな穴は、ものの数分も掛からないうちに、完全に塞がってしまった。薫の死体も跡形も無く隠れてしまった。ただ少し地面が膨らんでいるだけが、その痕跡を残していた。それも言われてみないと分からないほどの、痕跡だった。

「お墓を建てなくていいの?」

 その埋めた所を眺めていた詩織が、ふと妙なことを口にした。

「お墓? そんな事したら、誰かに見つかるじゃないか」

「そうか、そうか。それは不味いのね。見つかっちゃうのね」

 詩織の声は、随分と寂しそうに聞こえた。が、それもこんな静寂な森の中では、気の所為に思えた。彼らが山の傾斜を下りながら、車へ向かう途中で、急に雨が降りだした。酷く冷たい雨粒が、ぽたり、ぽたりと彼らの体に当たった。彼らは急げ急げと互いを鼓舞し、それから逃れるように足を速めた。まるで彼らを追い掛けてくるみたいに、雨脚も強まった。

 車へ駆け込んで、ようやく三人が座ったところで、村井がにやにや笑っている。村井は、小さな女物の革靴を手にしていた。

「何やったんだ?」

 山田は、村井へ問い詰めるように迫った。それには答えず、村井はちょっと返してくると言って、その靴を持って車を飛び出した。村井が大きな背中を丸めて、走り去るのが、山田の目に留まった。車の中まで、車体のあちこちや、周りの枝葉や茂みに降り掛かる雨音が、さっきよりも激しくなって聞こえてきた。

 こんな雨の中、どこまで行ったんだろう。村井は、なかなか帰って来なかった。詩織は、酷く不機嫌だった。

「気味が悪い。早くこんな所、離れようよ」

「そう言うわけにもいかないよ。まだ村井が戻っていないんだから。置き去りにはできない」

「私は置いて行ったのにね」

 山田は、言葉に詰まってしまった。顔を暗くする山田に、詩織が慌てて慰めの声を掛けた。

「うそ、うそ。淳二を責めてなんかいないから、今のは無し、無し」

「僕だって、詩織の命を奪ったことを無しに出来るのなら、どれほど嬉しいことかしれない」

「もう、そんな困ったこと言わないでよ。謝っているのね。それに、あれは事故だって言ったでしょう」

「事故? 僕が詩織の胸を刺したことがか? 詩織を殺したのは、やっぱり僕なのか?」

「そんなに困らせないでよ。もう終わったことなのね。今更、何を言っても変わらないよ」

 山田は黙ってしまったから、詩織も口を閉じてしまった。しばらく辺りに雨が降り続くように、車内に沈黙が続いた。


「お待たせ」

 急に陽気な声がして、雨の降り込む冷気を感じた。どちらが先か分からないが、山田は同時に不意を突かれた思いがして、はっと頭を起こした。村井がようやく戻って来たのだった。村井は泥で汚れていたのが、雨に洗われたためか、どこか清々しい顔をしていた。

「何やっていたんだ。遅いぞ!」

 山田は、事がはかどらない焦燥から、つい不満をぶつけたくなった。それでも、村井は不思議と上機嫌で、悪い悪いとにやついて、何も答えなかった。ただ車を発進させる間際に、詩織がやな奴とぼそりと言ったのが、山田の耳に残った。山田には、まるで心当たりがなかった。それを、詩織に尋ねるのは恐ろしかった。詩織は、村井が何をして来たのか勘付いているように、山田は思った。一度大きくエンジンを唸らせ、勢いを付けた。山田は、そうして車を走らせないと気が済まないように思った。後は一心に何も考えず、前ばかりを向いて、町まで車を走らせて帰った。それも後になってみれば、まるでどこをどうやって帰って来たのか、全く思い出すことができなかった。それほど暗い夜道を通って来たという、実感だけが残った。

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