第22話 薫の応報
薫の奮闘も虚しく、翌日の例刻に詩織は、アンティークの喫茶店に現れた。それでも、いつもと変わった所があった。そんな事は、初めてだった。間違え探しでなくとも、山田にはすぐそれが分かった。彼でなくとも、誰でも気付くことだった。詩織の首に、白い包帯が巻かれていた。しかし、切り離された彼女の首は完全に繋がって、元通りに、彼女の胴体の上へ据えられていた。いつか首が落ちた地蔵がそうだったように、包帯一巻きで、その首を支えているとも思えなかった。しかし、だからと言って、詩織にそれを尋ねるのは、残酷過ぎると言うものだ。その夜、山田は湧き起こる衝動を何とか抑え、詩織の包帯のことは口にしなかったし、彼女自身も話す気はないようだった。
それでも、薫だけはやたらと詩織の首へ、遠慮のない視線を向けていた。それが、車を運転する山田にさえ煩わしく思ったのだから、当然詩織も見て見ぬ振りをしていたのだろう。村井はどうだか分からないが、この頃はすっかり口数も食欲も減ってしまった。やけに大人しいのが、少し不気味だと、山田は思うときがあった。
「きっとあの包帯に、秘密があるのよ」
薫がそう意気込んだのは、詩織が包帯を巻いて現れた、次の昼間のことだった。大学の駐車場に止まった、山田の車へ三人は集まって、昼食とも話し合いとも、休憩ともはっきりしない、中途半端な時を過ごしていた。
「首の包帯をはぎ取ってでも、確かめないといけなでしょう。きっとあの女も不死身じゃないんだ。まあ死んでいるんだから、いわゆるゾンビね。体を再生できるゾンビなの。でも、完全ではないはず。それなら、あの女はとっくに生き返っていてもいいはずだから。でも、死んだままなのは、その再生能力に限界があるってことよ」
薫は後部座席から、手にしたハムとレタスのサンドイッチと、紙パックのコーヒーもほとんど口にしていないまま、詩織の包帯についてそんな見解を述べていた。
「そんなの、ただの憶測に過ぎないよ」
山田は、とっくの前にスポンジケーキ風の菓子パンを一つ平らげてしまった。手持ち無沙汰になった彼は、ストローを差し込んだ紙パックの紅茶を吸った。ずーずーと嫌な音がするだけで、中身は空だった。
「だから、あの女の首を確かめる必要があるんじゃない。そうすれば、はっきりするでしょう。あの包帯は、傷を癒やすための物じゃないはず。きっとそう……」
「そうだとしたら、何だって言うんだ」
村井が珍しくロを出した。それも、どこか不機嫌そうだった。遠くでスクーターの走り去る音がした。それも、どこか道を探すみたいに、迷走しているように開えた。それは、しばらく周りを一周して、向こうへ走り去って行った。
「えっ? そんなの決まっているじゃない。もし、まだ傷が残っているなら、そこが狙い目よ。あの女の再生能力を超える、損傷を負わせてやればいい」
「そんな事、無理だろう。できるはずがない」
「できるでしょう。そう簡単よ。あの女を燃やすの。滅茶苦茶に燃やしてしまえばいい。跡形もなくね」
「そんな。燃やすだなんて、恐ろしい! 何てこと言うんだ、薫」
「どうして? あの女は、既に死んでいるんでしょう。死んだ人間を焼いて、なぜ悪いの? みんな死んだら、火葬されるんだから、結局それと同じよ。どうして駄目なの?」
もし詩織が死んだときに、真実を打ち明けて、正式な手順を踏んで遺体を火葬していれば、こんな奇妙な状況に陥らなかっただろう。薫の理屈はこの正式な手順であれば、間違っていないのかもしれない。しかし、それとはまるで状況が違う。詩織を殺害し、それを隠蔽するため、死体の遺棄までやってしまった。その上、詩織を燃やしてしまおうとまで言っている。とても常軌を逸しているとかし思えない。ゾンビや再生だの言う前に、これ以上罪を重ねてどうするのだと、山田は言いたかった。
「そんなの駄目だ」
村井は、いつに無く強情に言った。ムッとした表情で、大気な体を強張らせていた。
「どうして?」
「それに、まだ分からないじゃないか。焼いたからって、詩織はまた現れるかもしれない」
山田は、村井の言葉に勇気付けられた。
「それは、そうだけど。だからよ。だから、やっぱり今夜、あの女の首を確かめる必要があるんじゃない」
さっきまで昼間の些細な休憩風景だった車内が、いつの間にか彼らの会話も白熱して、修羅場と化していた。また近くでスクーターが走る音がした。今度は勢いよく走り去っていった。
「それじゃあ。燃やす方法は、村井くんと二人で用意するから、山田くんは、いつもの様に運転をお願いね。それから、適当に良さげな場所も探しておいてね」
「おい、僕はまだ承知していない!」
薫は用件だけ残して、車を降りた。すぐに薫は助手席の外に立って、村井に来るように合図して、二人でどこかへ行ってしまった。
その夜、恐ろしい事件があった。あれだけ詩織に対して執念深かった、薫が突然命を落としてしまった。薫の死は、呆気無かった。不幸にも打ち所が悪かったのだ。もみ合っている間に転倒して、たまたまそこにあった大きな石に、頭を強くぶつけてしまった。ゴンと後頭部をぶつける音はしなかったが、山田が危機を感じたときには手遅れだった。もみ合いの原因は、当然薫にあった。詩織の包帯のことを、しつこく尋ね始めたからだ。詩織は勿論、嫌がった。苦笑いして、無言で抵抗するようだった。
「それは、何? 何で首に包帯巻いているの? 怪我でもしたの? ちょっと見せてよ」
薫は、私が手当てして上げるとまで言った。薫は、何とも態度を変えない詩織に、痺れを切らして、詩織に飛び掛かった。腕を突き上げて、乱暴に詩織の首から包帯を奪い取ろうとした。
山田が二人の間に割って、止めようと試みたが、彼よりも早く村井の巨体が動いた。山田は、明らかに出遅れてしまった。村井は房のぶどうをもぎ取るくらいに、やすやすと詩織から薫を離れさせた。
「どうして、邪魔するの? 私の言うことには服従なはずよ!」
薫が酷い剣幕で、村井を睨み付けた。
「もう詩織を傷付けるのは、止めてくれ!」
村井は、それでもくじけなかった。むしろ山田の方が、村井の迫力に圧倒されていたくらいだった。真っ暗な夜の上空で、轟々と激しい強風が吹き荒れていた。何かトンネルの中に居るように、それがくぐもって、彼らの頭上で鳴り響いていた。
「あの女を葬る」
「それは駄目だ!」
「いいから、どきなさいよ。この愚図!」
村井は薫の罵倒に動揺してか、下を向いて動かなくなった。その隙に、薫が詩織に詰め寄った。山田は、そこへ割って入って、薫を阻んだ。薫は強引に、山田を押し退けようとした。その程度の力なら、持ち堪えられると過信していた。が、その瞬間に、思いも寄らぬ加勢が入った。村井が薫目掛けて、突進してきたのだった。山田は、何とか体勢を整えた。村井は後先考えずに、力任せに倒れ込んだ。薫だけが前後からの無理な力を受けて、回転しながら体の均衡を失った。薫の二本の足はもつれながらも、抵抗と転倒を両天秤に掛けようとしていた。それも、結局は片側に大きく傾いてしまった。山田は足元に目を向け、釘付けになった。薫の小柄な体が、更に小さくなったふうに、うずくまる格好で横たわっていた。また一段と恐しい強風が激しさを増して、渦巻くように騒ぎだした。
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