第21話 薫と狂気する獲物

 その日、昼間三人で会ったときは、薫は何も言わなかった。いつもの様に、どこかへあの女を連れ出して、始末するしかないと言っていた。薫は、ときどきヒステリックに声を高めることはあっても、おかしなところは見えなかった。しかし、その夜のことは、山田や村井には知らされていなかった。薫が独りだけで、綿密な計画を立てていたのだ。

「あの女を何とかしなくちゃ!」

「まだ諦めてないのか」

 山田は、多少薫をたしなめるように、細い目の下に隈を作った血色の悪い、疲れのにじみ出た彼女の顔を見詰めた。

「諦める? 諦めてどうするの。一生、あの女に振り回されながら、生きていくなんて真っ平よ」

「そんな、大げさな。だって、卒業すれば、きっと三人は離れ離れになって、バラバラに暮らすはずだろう。一生、このままってことはないだろう」

「あの女なら、何を仕出かすか分からない。きっと遠くに就職したって、付きまとうに決まっている。それに大学生の間、ずっとあの女と顔を合わせているなんて、堪えられない」

「あれだけ、仲が良かったじゃないか」

「冗談止めてよ。あの女と、仲良くしたつもりはないよ」

「酷いこと言うな」

 こんなやり取りも、日常的な会話だと思っていた。彼等は、すっかりそんな事に慣れきっていたのだ。


 その夜のドライブは、どこか適当な場所で車を止めるようにと、薫に頼まれていた。それも、誰にも見つからない所が好ましいと注文が付いていた。そんな場所あるのだろうか。山奥だから、どこにでもあるといえばそうだし、厳密に言えば、絶対に見つからないような場所なんて、存在しないはずだ。そんな曖昧な場所を求めて、山田は山道の険しい横道へ車を走らせてから、たどり着いた少し広い所へ車を駐車させた。

 車が止まると、薫はすぐに外へ出た。一体どこへ行くんだと、山田の呼び掛けも開いていないようだった。すると薫は、どこに隠していたのか、手品師さながら、それを詩織に見えるように出した。

「これ、なーんだ」

「あっ、私の帽子!」

「どうしたんだ、その帽子? それ、確か……」

 山田も、そのつば広の白い帽子を目にして驚いた。詩織は急に顔を明るくして喜んで、外へ飛び出した。たちまち薫に詰め寄って、強引に帽子を取り上げた。

「あれ? これ、私のじゃない」

 詩織がそう言って驚いている間にも、薫は透かさず鞄から、ギラリと光る物を取り出した。それを、詩織の喉元に当てた。彼女の白い肌がざっくり裂けて、どす黒い切り口が露わになった。詩織は胸からは出血したが、その切り口からは、一滴の血液も噴き出さなかった。彼女の体が急に力を失ったふうに、地面へ崩れ落ちるのが見えた。

 詩織の帽子は偽物だった。薫の包丁は本物だった。オモチャのナイフなら、刃の所が当たると引っ込む仕掛けになっていて、本物のようにそれが体を刺したように見えるのだ。しかも、その刃はプラスチック製だ。そうだとしたら、どんなに良かったか。が、引っ込んだのは、詩織の首の方だった。彼女の首には、普通の人間なら絶命するほどの、傷口が開いていた。

「正気か、薫! なんて事するんだ!」

 山田の声は、彼の意思とは全く別に、思い通りにならないほど震えていた。震えているのは、声だけではなかった。全身も自由が利かなかった。

「こんなの序の口よ。さあ、よく見てなさい。これから面白いものが見られるから」

 薫は、そこへ横たわる詩織の体をゆっくりまたぐと、恐る恐る馬乗りになった。

「おい、何を考えているんだ!」

「分かっているでしょう。首を切り落とすの。頭と胴体をバラバラにするの」

 薫の目と頬は、こめかみへ向かって引きつっているのに、その下の口角はむしろ不敵に緩んで見えた。怒っているのか、笑っているのか、そのどちらでもないのか、山田には判断できなかった。

「幾ら何でも、それは許されないことだぞ! 人間のすることじゃない」

 山田がそう言い終わらないうちに、薫は彼の言葉を乱暴に奪った。

「人間じゃなきゃ、何? 悪魔、それとも鬼? あの女を葬るためなら、鬼にだってなってやる!」

「薫、少しは冷静になれよ」

 山田は、薫の常軌を逸した気迫に、完全にくじかれていた。彼が何と説得しても、薫は全く聞き入れようとしないだろう。薫は、動かない詩織にまたがったまま、恐ろしい形相で手にした包丁を振り上げた。詩織の引き裂かれた喉元を狙って、包丁を突き立てた。それと全く同時に、突然と詩織が断末魔の叫びに似た声を上げた。不意を突かれた薫は顔色を変えて、一度身を怯ませた。が、次の瞬間には、詩織の喉元を包丁で貫いていた。ぐあっと呆気無い音と共に、詩織は完全に動きを止めた。それでも、詩織が抵抗するように、か細い身体を上下させて見えるのは、薫が詩織の喉元に激しく包丁を突き立てる反動からだった。

 ものの数分も経たないうちに、詩織の体は、頭と胴体の二つに切断された。薫は詩織の髪の毛を鷲掴みにして、まるで狩猟で捕らえた獲物を自慢するふうに、その切り離した詩織の頭部を掲げた。その薫の姿には、怒りや憎悪、恐怖を超越した凄まじいものがあふれていた。まさに鬼だった。

「お、おい。それを持って、どうするんだ?」

 山田は恐ろしさのあまり、何かしゃべってないと気が狂いそうに思った。

「この頭をね。胴体からずっと遠く離れた場所に捨ててくるの。そうすれば、この女も簡単には戻って来られないでしょう」

「そんな事しても、無駄だと分かっているじゃないか。これまでも散々試してきたじゃないか。止めてくれ。これ以上、酷いことをするのは、詩織が可哀相だよ」

「あれ、あれ。山田くん、そんな事言って、一緒に同じ事してきたのに。それって、あれ? 何か私ばかりが、悪人のような口振りだけど。忘れたの? この女の命を奪ったのは、山田くんなのよ。ひどーい、酷い酷い酷い。そんな事しておいて……。今更、何いい子振っているの。はっ、呆れる」

 山田には、返す言葉も見つからなかった。薫の言う通り、結局全ての起因は、詩織の命を奪った山田自身に返ってくるのだ。だから、何と罵られても、どんな無謀な要求をされても、彼には拒む権利がないと、そう薫に脅されているのだった。山田は、薫の言うままに、そこから離れた場所へ車を走らせた。切断された詩織の頭部を、深い山奥の崖から投げ捨てるのを手伝った。それから車を飛ばして、急いで町まで戻って来た。

 村井がその時、何をしていたのかなんて、全く覚えていなかった。山田は助け船を求めるつもりで、目で探した先の村井は、ただ薫が持ってきた偽物の帽子を拾い上げて突っ立っていた。山田はその村井の姿だけが、なぜかはっきりと目に浮かぶように思えた。

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