第20話 詩織の注文
彼らが昼間集まって、話題にすることは、ほぼ決まっていた。物騒な話になるが、単刀直入に言ってしまうと、詩織の死体をどうやって捨ててくるかの計画だった。それは、いつも失敗に終わった。たとえどんなに周到な計画を企てたとしても、その夜どんなに完璧に事を成し遂げたとしてもだ。翌日の午後九時には、アンティークの喫茶店に何事も無かったふうに、詩織は彼らの前に現れた。もっとも山田と村井は、最初から彼女を葬ることには反対だったから、それらの計画には常に消極的だったし、何をやっても無駄だと思っていた。薫一人だけが、相も変わらず、詩織の抹殺に躍起になっていたのだ。それも、次第に寄り道の方が多くなりがちだった。
詩織の突拍子もない行動に、三人はいつも翻弄されてしまうのだった。彼女の奔放さの前では、綿密に準備された計画でさえ、支障を来された。その度に、薫は怒りを募らせ、山田と村井を、はらはらさせた。それでもこの頃は、山田はその馬鹿馬鹿しい詩織の茶番に付き合うのも、悪くないと思えてきた。詩織が、なぜそんな無茶苦茶なことをするのか。詩織は三人を咎めているのだと言えば、彼らを困らせる行動も理解できる。しかし、困らせるのなら、もっと残忍な手段は幾らでもあったはずだ。詩織がするのは、どれも子供のような幼稚な悪戯だった。どちらかと言えば、詩織は彼らと一緒に過ごすのを楽しんでいた。彼らを困らせたり、驚かせたりするのは、詩織が彼らに構って欲しいからなのだろうと、山田は思っていた。
「今から、ドライブに行かない?」
彼らは散々試してみたが、詩織のその言葉には決して逆らえなかった。如何に彼らが、詩織と会わないような行動を取ろうとしても、喫茶店に集まらないように急用を入れても、やはり無駄だった。別に何か不思議な力が、彼らに影響を及ぼし、彼らの抵抗を阻止するといった、大げさなことが起こるわけではなかった。むしろ逆らえないというよりも、長年の習慣を止めることができないのと近かった。無意識のうちに、やってしまう悪癖や、それをしなければ落ち着かない些細な習慣など、そう言った類いのものと同じような感覚だった。
例えば、寝る前に必ず歯を磨くこと、朝食は必ずパンを食すること、そんないつもの習慣を変えることに抵抗を覚えるのと一緒で、彼らはどうしても、詩織の現れるアンティークの喫茶店へ、例刻に集まってしまうのだ。それが当たり前だと、彼らの体に認識されているらしい。一種の催眠術といえるかもしれない。
その夜、彼らはドライブの途中で郊外にある、ファミリーレストランに立ち寄った。詩織を人目に曝すのは避けてきたが、それも次第に慣れてしまっていた。誰も詩織のことを疑わないし、彼らに不審な目を向ける者も居なかった。それでも、用心に越したことはないと、山田は反対したのが、その夜は珍しく、村井が赤子のように愚図った。腹が減って死ぬと訴え、少しも譲らなかったのだ。
山田はしぶしぶ了承し、みんなで店内へ足を運ぶことにした。詩織だけ車で留守番させるわけにもいかない。彼女がそれを承諾するとも、山田にはとても思えなかった。先ほどまで不機嫌だった薫も、反対はしなかった。腹を立てるのにも、お腹は空くのだろう。
「何名様でしょうか?」
まだ内装の新しい広い店の入り口で、ウェイトレスが彼らを出迎えた。
「別に四人で、いいんだよね?」
山田は、彼らよりも若く可愛らしいウェイトレスの笑顔に、思わず顔がほころんだ。詩織は当然、何も答えなかった。村井は考えてもくれない。薫と目が合ったが、聞くんじゃないという嫌みな表情を返された。仕方なく山田は曖昧に、はいとだけ返事をした。どちらとも、なんとも受け取れる困った返事であったが、可愛らしいウェイトレスは、少しも笑顔を絶やさずに、彼らに応対していた。それで、山田は更にそのウェイトレスに好感が持てた。
四人はウェイトレスの案内で、窓際にある奥の席に落ち着いた。遅い時間帯だけあって、店の客は疎らだった。みんな自分たちの会話や食事に夢中で、他人のことを気にしているのは、彼らだけだった。
山田はすぐに紅茶だけ頼んでしまって、手持ち無沙汰になり、村井が何を注文するのかと眺めていた。村井は真剣にメニューを覗いたまま、あちこち見比べて、いつまでも顔を上げなかった。薫は、アップルパイとコーヒーを注文していた。詩織はメニューをめくって指差して、これとこれと言っていた。
「何を頼んだんだ?」
山田が気になって、詩織に尋ねた。
「秘密なのね」
詩織と、ずるそうに歯を見せて笑った。何か含みのある笑いだった。
「秘密にしても、すぐ分かるじゃないか」
「でも、秘密なのね」
ようやく村井は、パンケーキとフライドポテトのセットとコーラを、遠慮勝ちに注文していた。そんなセットあったかなと、山田はメニューを見返したが、そんなセットは載っていなかった。
「パンケーキとフライドポテトを、お一つずつ」
ウィイトレスが、そう言い換えるのが聞いて、山田は合点がいった。村井が勝手によその店の感覚で、セットを作ってしまったのだった。それでも村井にしては、遠慮したのだろう。
山田と薫の注文が真っ先に来た。アップルパイといっても、どこかで作った物を皿に載せて出してくるだけの物だった。山田の紅茶がぬるくなって、村井のパンケーキとフライドポテトのセットが運ばれてきた。思っていた以上に、食べ応えのある分量だった。当然、村井は満足げだったが、山田は村井の遠慮した態度に、さっきは同情したのが、随分と損したように気分だった。詩織の注文だけは、なかなか運ばれて来なかった。
「何を頼んだんだ? いい加減、教えてくれよ」
山田は気になって、また尋ねた。秘密なのねとだけ、詩織は答えた。彼女がテーブルに正面を向いて、行儀よく座っているのが、何かを期待しながら、それが明らかに先ほどの注文とは、まるで無縁なことのように思えた。ようやくウェイトレスが、詩織の前に来た。が、はっきりとその顔に、困惑した表情を浮かべていた。手にしたナポリタンとカレーポットを傾けて見せた。
「あの、こちらのご注文は、これでよろしかったですか?」
「さっきも聞いたけど」
詩織は、冷淡に答えた。そのウェイトレスは何度も頭を下げて、悪びれた様子で注文を聞き直して行った。
「間違えたの? どうしたんだろう」
「新人だろう。新人の教育がなってないんだ、この店はね。ここは、きっと人手不足なんだ」
村井は、ホットケーキをナイフとフォークで丁寧に切り分けながら、得意げだった。
「そうだろうか」
薫は、村井の意見に否定するつもりで口を挟んだ。次にそのウェートレスが詩織の前に立ったときも、中華そばとコーンスープを見せて、同じことを尋ねていた。そのウェイトレスはどんどん顔色が悪くなるし、おろおろしながら、焦点も定まらないように、オムライスと白玉ぜんざいを手に、目をあっちこっちに始終動かしていた。先ほどの可愛らしい印象は、どこかへすっかり消え失せてしまった。それが何度か繰り返されるうちに、そのウェイトレスは来なくなった。代わりに厨房から白いコック帽を頭に被った、二三十代くらいの男が現れ、ガシャンと音がするくらい不機嫌に、詩織の前に皿を置いて行った。その時、皿の上の奇麗に並んだサンドイッチが一瞬、飛び跳ねたように思えた。
「サンドイッチ頼んだの?」
山田は、待ちかねたように詩織に聞いた。彼女はテーブルの上のサンドイッチを眺めて、悲しげに頭を振った。
「結局、何を注文したんだ?」
詩織はまた笑って、秘密なのねとだけ言った。彼女は、出されたサンドイッチには一口も手を付けなかった。会計のとき、そのサンドイッチの料金は払わなくてよかった。どうも、それは不手際のお詫びに店側が用意した物らしい。それなら、もっと丁寧に説明してくれてもいいだろう。詩織は何も言わなかったが。店を出ると、薫の方が急に怒りだして、別に詩織を擁護するつもりは無いにしても、あのウェイトレスの対応も、コックの態度も気に食わないと不満をぶちまけた。あれが、客に対する態度なの、信じられないと散々文句を口にしていた。
明らかにあのウェイトレスの様子はおかしかった。もしかすると、詩織が三人以外の人間にも、何かしら不可思議な影響を与えているのかもしれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます