第17話 包帯を巻いた地蔵

「どうする?」

 山田は、残った村井、薫と顔を見合わせた。薫は溜息を吐いて、嫌な顔をした。村井はまだ迷っていたが、こんな寂しい場所で独りで歩き回るのは、流石に気が進まないらしかった。

「じゃあ、三人で詩織を捜そうか。その方が安心だ」

 村井も薫も、山田の意見に黙って賛成した。その間も、三人はそうしないと落ち着かないみたいに、しきりに辺りを眺め回していた。あっちこっちが朽ち果てた石階段や、そこに立ち並ぶ無数の古びた地蔵、そこのすぐ側まで迫った暗い雑木林、生い茂る枝葉の透き間を埋める黒い空、どこへ視線を向けても、彼らの目には恐ろしい景色しか映らなかった。山田は、人数はこちらの方が有利なのだから、勝負は目に見えていると思っていた。が、当然三人で固まって行動するのだから、その数の有利さは全く行かせなかったのだった。

「山田くん、先頭お願いね」

 薫は威圧的な作り笑いを、山田に向けた。まあ、そんな事だろうと山田も覚悟はしていたし、薫の顔も恐怖に引きつって、あまり怖くもなかった。とにかく、三人ともこの場所のただならぬ気配に、すっかり弱気になっていた。

「俺、真ん中でいいぞ」

 村井は、言った者勝ちというふうだった。

「いいぞって……」

「でも、こう言う場合、真ん中が一番危ないって聞くじゃない。それでいいなら、どうぞご自由に」

 薫は軽く、村井の丸まった背中を押して、彼女はその後ろ側へ替わった。

「えっ、そうなだ」

 村井は急に慌てて顔色を失い、「俺は俺は、やっぱ先頭にするとか、やっぱ後ろにするとか迷いながら、あちこちに体を入れ替えるから、山田も薫も各々が自分だって嫌だと不満をぶつけ合いながら、押し競饅頭みたいに、押し合いを繰り返して、一向に前には進まなかった。それで、とうとう三人で横一列になって行こうというところに、何とか落ち着いたのだった。村井はその後、二人三脚のように、三人で足を揃えることを思い付いた。

「それに、何の意味があるの?」

 薫は、冷たく村井をたしなめた。が、村井も、そう言った薫も恐怖に魅入られて、正しい判断が出来ないくらいに怯えていたから、結局三人で足並みを揃えて、怖々と歩いていた。

 苔生した階段を上った先は、かつてそこに御堂が建っていたというような、平らな土地があるだけで、そこで終わりだった。迷うほどの場所でもなかった。もっともその向こうがすぐ茂みに迫られ、そこへ紛れ込んだら、抜け出すことは不可能な所だった。詩織の姿は、どこにも見当たらない。どこへ行ったんだろう?

「おーい。詩織、出て来いよ。もう帰るよ」

 山田は多少心配になって、そう森の方へ呼び掛けた。すると、山田は急に袖を引っ張られ、驚きながら確かめた。薫が山田のすぐ脇へ立って、上着の肘の所を摘まんでいた。

「このまま置いて帰れば」

 薫は声を潜めて、そう提案した。ちょうどいいとまで言った。山田は、薫の考えに素直に賛成できなかった。詩織から始めたことだから、途中で投げ出せば、山田が後からねちねちと怒られるのは、目に見えていた。山田は口には出さないが、薫のやり方も気に食わなかった。

 その後すぐに詩織が、すんなり山田たちの前に現れたので、そんな嫌なことをする必要も無かった。山田は、少しほっとした。

「もう終わり? 怖くなったの。意気地が無いのね」

 詩織は、澄ました顔でそんな事を言った。アンティークの喫茶店で、午後九時に現れるときと、全く同じなのだ。ああ、そうだった。詩織は死んだ人で、突然現れたり、消えたりするのが得意だった。隠れん坊の達人なのだと、山田は改めて感心した。が、村井は達人ではなかったはずだ。

「あれ、村井は?」

「えっ、さっきまで一緒に居たんじゃないの?」

「放っておけばいいんじゃない」

「おーい、村井。帰るぞ。出て来ないのか。出て来ないと、本当に置いて行くぞ。――置いて行くからな」

 山田たちが地蔵に背を向けるのと、同時に村井が大きな体を揺すって、駆け出してきた。ぜいぜい言って息を切らせ、苦悶の表情を浮かべていた。

「おい、おい。村井、大丈夫か?」

「平気、平気」

 悪ふざけのつもりだったが、本気で置いて行かれると思ったのだろう。村井の顔が、気の毒なくらい青ざめていた。山田は、ふと背後に妙な気配を感じるまま振り返ると、何十体もの地蔵が一斉にこちらを見詰めているようで、背筋がぞくぞくした。


 山田は出発前に車内を見回し、全員揃ったか、何度も確かめた。詩織も、村井も、薫も車の座席にきとんと座っていた。乗り遅れた者は、誰一人居なかった。それで、山田は大丈夫だと思っていた。しかし、その中に招かざる客も、一緒に連れて来てしまったのだ。それに気付いたのは、しばらく車を走らせ、何とか公道へたどり着いた頃だった。

 急に車内で、思わず口から漏れたような、短い悲鳴が上がった。その後すぐに続けて、もーと不満をぶつける薫の声に、山田は不意を突かれて、後部座席をちらっと覗いた。詩織と薫の間に、一体の薄汚れた地蔵が、そこが自分の居場所だと、これ見よがしに立っていた。有り得ない光景に、山田は口を開けたまま、顔を引きつらせ、片頬に苦笑いを浮かべていたのだろう。それが、地蔵の罰が当たったのだと言ってしまえば、それまでだが。こんな物は、誰かが悪戯することだってできる。

「詩織、持ってきたの?」

「私、知らない。私の力じゃ、絶対運べないのね。淳二、私のこと疑っているの? 酷い!」

「ごめん。そうじゃないけど。でも、どうしてそんな物が、ここにあるのかなーと思って。地蔵が独りでに歩いて、入って来たわけでもないだろう」

 詩織は山田に本気で怒る様子も無く、むしろその珍客の方に気を取られ、怒りも湧き起こらないらしい。どうして、こんな馬鹿げたことがあるのかと面白がっていた。

「ねえ。気味が悪いから、早く降ろしてよ」

 悲鳴を上げた薫は、当然本気で怖がっていた。それも、嫌悪を含む怖がりようだった。山田も、薄気味悪いと思っていた。彼には後ろめたいことが山ほどあったが、それでも神仏には祟られたくないと願う節があった。強気を装っていた村井だって、薫が叫んだときは、その大きな体を反射的に怯ませていた。隠れん坊のこと以来、口数も減ってしまった。臆病なのは、山田といい勝負だった。

「でも、どこに?」

「そこら辺に捨てれば」

 詩織が素っ気なく、山田に言った。

「不味いだろう。そんな事したら、確実に罰が当たる」

「じゃあ、さっきの所に戻る?」

「嫌だよ。あんな所には戻りたくないし、もうどこをどう通って来たのか、道を覚えていなよ。あそこへ戻る自信も無いからね」

 山田は急に背筋が凍えるように感じ、思わず後部座席を確かめた。その地蔵が、山田を怒っているように思えて怖くなった。

「お地蔵さんも、きっと一緒に来たいのね。ドライブしたいのね。あんな殺風景な所なんか、退屈なんでしょう」

「冗談じゃない。それに、地蔵はそんな事、言わない」

「お地蔵さんと、ドライブするなんて笑えるのね」

 詩織は、快活に歯を見せて笑った。

「笑えないよ。仕方無い。ここで降ろすしかないよ」

 山田は、後の方は独り言のように言った。慎重に車を道の端に寄せると、停車させた。森林と崖に挟まれた夜の山道は、暗澹として、他に車が通る気配も感じられなかった。

「村井、起きているか? ちょっと手伝ってくれ、僕一人じゃ、運べそうにない」

 村井は大儀そうに体を起こして、黙って山田に従った。薫が既に後部座席の扉を開けて、待っていた。山田が一度、車内へ潜り込んでから、地蔵を引きずり出した。彼の両腕に、ずっしりと石像の重みが掛かった。想像以上に重かった。腕が千切れそうなほど、下へ引っ張られる。何とか外まで出して、村井に地蔵の頭の方から渡した。村井は頬を引きつらせ、困惑した顔を作った。

「やっぱり、俺、足の方がいい。替わってくれ」

「面倒臭い奴だな。分かったよ」

 地蔵を車から運んで、道端の草むらへ立たせた途端に、石が割れた。地蔵の頭が、ぽとりと落ちた。山田も村井も心霊現象にでも遭遇したふうに、怯えた顔で見合わせていた。

「俺じゃないよ」

「どこかにぶつけたのかな?」

 山田は、慌てて地蔵の頭を拾った。片手で拾うには重くて、驚いた。嫌な重さだった。しかし地蔵の頭は、山田がその胴体にくっ付けようとしても、すぐに地面に落ちて、ころころ転がった。それを見て、詩織だけが声を立てて笑った。それでも、山田は必死に地蔵の頭を胴体の上に載せようとした。

「だって、そうでしょう。淳二がそんな事、真面目にやっているから、おかしくて」

 詩織は大笑いするほど、山田も村井も、薫もぞっとして、更に恐怖が増した。

「包帯でも、首に巻いておけば」

 詩織がまた笑いを堪えながら、そう言った。

「そんなので直るかな?」

 山田は疑いながらも、詩織の言う通りに従った。車の中に、包帯があったはずだ。地蔵の頭は、何とか落ちずに元の場所に収まった。今のうちに、ここを離れようと、彼らは急ぐように車へ乗り込んだ。たとえその後に、地蔵の頭が落ちたとしても、捨てて顧みない勢いで、車を発進させた。

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