第16話 詩織の隠れん坊

 山田がその夜、アンティークの喫茶店で待っていると、薫と村井が遅れてきた。山田は二人が一緒に来るとは思わなかったから、少し面食らった顔を二人に見られてしまった。また村井の奴が捕まらなかったのだろう。薫も村井も、酷く疲れていた。昼間、大学で集まったときも、そうだった。空いている講義室で、少しだけ三人で顔を合わせた。その日は薫も疲労で、午前中の講義は出席できなかったと言った。起きたばかりというような寝癖の髪を、頭に生やしていた。山田もほとんど眠れなかった。風に飛ばされた白い帽子のように、闇の中を舞った詩織の姿が、目蓋に焼き付いて離れなかった。さっき起きたばかりだと言う村井も、目の下に隈を作っていた。村井も不安で眠れなかったはずだと、山田は思った。もっとも村井の場合は、山田たちとは違った意味合いの心配だった。村井は、だだっ広い講義室の中をきょろきょろ見回し、少しも落ち着かなかった。

「こんな所、捜したって無駄よ。あの女が居ると思っているの?」

「あの女とは酷い」

 村井は、口ごもるような声をした。

「現れるとしたら、どうせ夜でしょう。今夜、またアンティークのお店で集合し直しましょう。あの女が、どうなったか確かめるまでは安心できない」

 薫がそう言って、それで昼間は話を切り上げたのだった。


 午後八時四十分過ぎて、ようやくアンティークの喫茶店の席に、三人が顔が揃えた。彼らは、詩織が現れるであろう、その時が来るのを、固唾をのんで見守っていた。なかなか時間は経たない。薫が度々腕時計を覗くのが、山田は煩わしく思った。

「詩織は来るのかな?」

 山田は、焦る気持ちを紛らわせるように言った。

「さあね。山田くんは、本当はあの女に来て欲しいの?」

「そんなの分からないよ」

 薫の意地悪な問い掛けに、山田の声は小さくなった。

「まあ、いいけど。それは、もうすぐ分かることでしょう」

 アンティークの柱時計が、不穏に時を告げた。ボーンボーンと鳴って、夜の九時がやって来た。詩織は現れた。前日のことが夢であったように、彼女は全く平然としている。詩織は、どこも怪我をしていないように見えた。もっとも彼女の場合、既に死んでいるのだから、正確には傷付いていないと表現した方が適切なのかもしれない。詩織は、また今夜もドライブに行こうと、三人を誘った。山田は恐怖と安堵の二つが入り交じった、不思議な感覚に囚われた。あんな崖から落下して、平気で戻って来る彼女に恐怖しつつも、酷いことをしたと、山田は悔やんでいた。その後悔から救済されたように思えたのだ。村井は何を考えているのか、山田にはまるで分からなかった。が、薫は明らかに落胆の色を見せているふう、山田の目には映った。


 そこは、初めて通る山道ではなかったはずだ。それでも、山田は道を間違えた。前日の疲れが溜まっていたのか、それとも詩織の所為だろうか。彼女とのドライブには、必ずといっていいほど、奇妙な出来事が起きた。山田は、その事に気付いていた。それから以前に比べて、彼女の性格が少し変わったふうに感じた。それは何年振りかに再開した、すっかり垢抜けした同窓生に感じるものとは違った、むしろ幼少の頃の無邪気な姿を顧みるような気分だった。彼女は妙にはしゃいで、前にも増して我が儘になっている。滅茶苦茶なことも平気でするし、わざと問題を起こして、三人を困らせているみたいだった。

 彼らを乗せた車の車体が、急にガタガタ震えて、舗道はそこで途切れていた。辛うじて轍に沿って、疎らに雑草が伸びているのが、道だろうという程度の所を走ってきた。彼らは完全に公道を逸れて、奥深い山の中へ紛れ込んでしまった。その轍を挟んで、旺盛に育った雑木が車のヘッドライトを嫌うように、たちまち車体の両端に分かれては消えて行った。それが、森の中を切り開いて進んでいるふうに見えた。

「一様、車が通った跡があるんだから、どこかへ行き着くはずだろう」

 村井の言葉は、全く当てにならなかった。その轍の道も、今に消えてしまいそうなほど、頼りなく見えた。突然と森が開けて、草むらと荒い小石の上を滑るように車が止まった。

「酷い道ね。お尻が痛くなったのね」

 詩織が、車が止まるのと同時に不満を露わにした。

「そんな事言っても、どうしようもないよ」

 山田は振り返りもせず、ハンドルに腕を突いたまま、車の外を用心深く見回した。道は行き止まりだった。そこは、一面に下草の生えた広場のような所だった。元々は駐車場だったのかもしれない。この様子では誰も車を止めないだろうというほど荒廃して、所々に大小の石も頭を覗かせていた。それが、隠れん坊しているふうに見えて、山田はくすりと笑った。

「わっ、お地蔵さんだ!」

 薫は、何か恐ろしいものを見たように驚いた。眩いヘッドライトの光に当たった地蔵の顔は、寝ていたところを急に起こされて、不機嫌そうに映った。

「お寺かな? 御堂は見えないけど」

 山田が、もう一度確かめた。

「お地蔵さんだらけだ」

 山田がよく目を凝らして見れば、その広場には数え切れないほどの地蔵が、草むらのあちこちに様々な格好で、小さな体を沈めていた。

「気味が悪い」

 薫の声には、多少汚い物を見詰めるような嫌悪が漏れていた。

「せっかく来たんだから、少し散歩して行こうよ」

 詩織はそう言うが早いか、弾けるように車を飛び出した。車内に草むらの青臭い空気が、忍び込んできた。

「本気かよ!」

 村井も、腰だけ上げた。山田が車を降りると、酷く寂しい所に取り残されたようで、不安になった。やけに静かな場所だった。車のエンジンの音だけが、必死に騒いでいないと、その音もかき消されてしまうほど、辺りは静寂に包まれていた。時折どこからともなく風が囁くのを、山田は聞いて耳をそばだてていた。彼らは雑草の群生していない所を、慎重に選んで歩いた。そこにも、苔生した地蔵が寝転んでいた。

「あっ、また見つけた。たくさんあるね」

「何体ぐらいあるんだろう?」

 村井も、薫が見た後でその地蔵を見下ろした。今度は逆立ちしていた。山田の視界にも入ってきた。

「さあね。数えられないけど」

 詩織がどんどん先へ行こうとするから、山田は気が気でなかった。彼らはしばらく歩いて、夜目に慣れると、広場の端に石畳を敷いた所を見つけた。が、そこもすっかり廃れて、あまり地面と区別か付かなかった。彼らは、とにかくそこを目指すことにした。石畳は、やがてそのまま長い階段を作っていた。その石畳も、階段の石にも既に苔が生して、辺りの緑と同化していた。その階段の端には、数え切れないほどの地蔵が、彼らを迎えるように道を空けて立ち並んでいた。

「背筋がぞっとする。こんな場所、早く出ようよ」

「そうだな。そろそろ引き返そうか。時間も時間だし」

 山田は、珍しく薫と意見が一致した。

「ちょっと、まだ奥まで行ってない。気になるのね。ちゃんと最後まで確かめてみよう」

「でも暗いし、これ以上先に進んで、帰れなくなったら困るだろう。それに、何か不気味だよ、この場所は」

 山田はこのままここに居たら、何か起こりそうな気がして、いつになく弱気になった。墓所とは違う、何者かに常に見られているような、そんな薄気味悪い場所に思えた。もっともそれは、あの地蔵たちなのかもしれない。悪戯に踏み込めば、災いを招くような場所に違いなかった。

「いい場所じゃない。そうだ。ねえ、ねえ。ここで隠れん坊しよう」

 詩織は童心に返ったように、両手を腰に当てて、それが名案みたいに、彼女自身が言い出しっぺだと威張る格好をしていた。

「隠れん坊? 詩織。こんな場所で、冗談にもほどがあるぞ」

「暗くて、危ないよ」

「大丈夫、大丈夫。ちゃんと私の顔、見えているのね」

 山田は、詩織が白い歯をわざと出して、変な顔で笑っているのが分かった。こんな山の中でも月明かりが射すのだろう。確かに不思議と歩くには、不自由しないほど視界は取れていた。それで一層、辺りの不気味さを増していた。

「スリル満点なのね」

 詩織は怖がる山田に、澄んだ瞳をきらめかせ、平気でそんな事も言った。

「何がスリル満点だよ。そんな事したら、きっと罰が当たるぞ!」

 山田は、彼女にどきっとさせられて、つい向きになって声を荒らげていた。

「早く戻ろうよ。車に戻れなくなったら、どうするの?」

 薫はあれだけ無謀なこともやってのけたのに、どうも怖いのは苦手らしい。そわそわして、些細な物音にも一々振り返って、全く落ち着かなかった。

「もういいじゃない。そんな車なんて放っておけば。それで、鬼はどうする? 誰から始める?」

 まるで子供だった。詩織はこんな不気味な場所で、本気で隠れん坊しようと考えていた。

「詩織、もし誰かはぐれでもしたら、どうするんだ。洒落にならないぞ!」

「別にいいじゃない。その時は、その時よ」

「そんな無責任な」

 山田は、詩織に反対した。薫も当然同じだ。村井はどちらとも態度を示さないが、詩織の肩を持つだろう。本来なら二対二の引き分けなのだが、いつも詩織に押し切られる。

「じゃあ。淳二が、最初に鬼やってね」

 そう言うと、詩織はどんどん先に行ってしまった。

「おい、待てよ!」

「ちゃんと、十数えてから捜しに来てね。ずるは駄目なのね」

 山田には、詩織の声が随分と遠い所から聞こえたように思えた。

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