第14話 詩織とコンビニエイトの店員

 山田と村井、薫の三人がいつもの喫茶店で待っていると、アンティークの柱時計が午後九時の鐘を鳴らすと共に、詩織が現れた。彼女はこの喫茶店の屋根裏に住み着いているのではないかと思えるほど正確に、それも誰にも気付かれずに姿を見せたのだった。詩織の姿は、前日と全く同じだった。

「今から、ドライブに行かない?」

 誘い文句も同じだった。それが、山田には悪夢を見せられているようで、急に体が冷たくなるのを感じた。

「そ、それじゃあ。どこ行く?」

 薫も、声が震えていた。これから大それた事をすることへの、緊張と躊躇いだったのか、それとも詩織を前にして、すっかり怖じ気付いてしまったのか。しかし、薫の意志は、そんな事では揺るがないに違いない。

「場所は、淳二に任せる」

 詩織の快活な態度に、変化は見えなかった。何か勘付かれたと言う兆しも現れなかった。そもそも詩織は死んでいるのだから、そういった恐怖や不安、疑念などを抱く対象なのかも疑わしい。現れた詩織の姿は、ゾンビやミイラではなかった。マネキンや蝋人形でもなかった。彼女は生きた人間と、それほど大差無いように見えた。もし山田たち以外の者が、彼女を目にしたとしても、死んでいるとは、誰も疑わないだろうと、山田は思った。むしろ彼女が本当に死人なのかという疑念は、完全に拭えなかったのだ。詩織は、死んでいることに気付いているのかだろうか。そういう疑問さえ浮かんできた。気を揉んでいるのは、山田たちばかりで、詩織は深夜のドライブを楽しんでいるみたいだった。

 山田が車を運転して、助手席には村井が座った。山田の後ろに詩織と、薫は少し愚図ったが、詩織の隣に落ち着いた。これが、いつものドライブの座だった。山田は、薫が行き成り死体の隣には座りたくない、と言い出すのではないか、と冷や冷やしていた。流石に薫も、そんな露骨なことは口に出さなかった。これから大仕事を控えて、それに支障が出ることを、薫は必死に避けたのかもしれなかった。

 車はゆっくりと走りだした。順調な走り出しだった。死体を遺棄しに行く心境など、普通の人なら想像も付かないと、山田は思った。それは、ちょっとした初体験と、それほど変わらなかった。犯罪を犯している認識は無かったのだ。彼らの感覚は、既に麻痺していた。そうでなければ、とっくに正気を失っていただろう。

 山田が方向指示器を点すと、車は右折し始めた。

「今夜は、少し遠出になるかもしれない」

 山田が車内へというよりは、何も知らない詩織へ声を掛けた。

「オーケー」

 詩織は、嬉々と答えた。村井は、詩織の真似をして、レッツゴーと言ったようだった。薫は黙っていた。山田はバックミラー越しに窺うと、薫はごくりと唾を飲み込んだように見えた。山田はハンドルを握る指先が、急に汗ばんだ。薫の緊張が伝わった気がした。

 金曜日の夜だけあって、町の大通りには、車が眩い光を点しながら行き交っていた。山田は街中を通り抜けようか、それとも迂回して混雑を避けるべきか、まだ迷っていた。どちらにしても、郊外へ向かうのだから、道はそれほど混まないはずだ。遠回りして高速道路に乗ることも頭にあった。死体を運んでいることと、これから大それたことを実行しなければならないという事実が、彼を臆病にさせた。やはり時間は掛かっても、人目に付かない山道を走った方が無難だと、山田は考えた。

 その夜、口数が少なかったのは、山田だけではなかった。余計なことを、しゃべってはいけない。詩織に疑われてしまう。薫にそう忠告されていたのが、かえって車内に、不自然な空気を作り出していた。彼らはどこで詩織を捨てるのか、決めてきたわけではなかった。ただ漠然とした目的を果たすために、人気のない山道を当ても無くさまよっていたのだから、適当な場所は簡単には見つからなかった。

「道に迷ったのかもしれない」

 山田は蚊の鳴く声で、ぼそっと言った。ここら辺りの道は、山田も走ったことがなかったし、夜ということもあって、不慣れな道は更に迷いやすかった。下見をする余裕が無かったといえば、嘘になる。昼間の講義をさぼれば、時間は幾らでも作れたはずだ。が、彼らはその事には消極的だった。嫌なことを、先延ばしにしまったのだ。山田には、その付けを払わされているように思えた。

 煌々と輝く四角の看板が、黒い森林の上空に浮かんで見えた。8の字が黄色いコンビニの看板に、村井は気分を高揚させて、ちょっと寄って行こうと言った。

「買う物あるの?」

「お腹が空いたから寄る」

 村井は身なりを整え、既に降りる気でいるらしいかった。ところが、車が止まると、真っ先に詩織が喜んで外へ飛び出した。村井は薫に呼び止められ、暗い車内でぐずぐずしていた。その間にも、詩織はどんどん一人で店の方へ歩いて行った。店内の白々とした明かりが、戸外を照らしていた。それでもがらんとして、だだっ広い駐車場は随分と暗かった。彼らの他に、車は一台も止まっていなかった。山田は、詩織を一人で行かせるのは不味いと思って、彼女を追うように車を降りた。村井はいつまでも車から出て来なかった。山田が遅れて店の中へ入ると、そこに詩織の姿は見えなかった。山田は、車の前へ不意に飛び出し、眩い光線を浴びたように、目の前が真っ白になった。彼は硬直した体で、目だけしきりに動かし、明るい店内を捜していた。詩織はまだ新しい店の陳列棚をただ眺めて回って、奥の棚の陰に隠れていた。彼女は、商品を手にする様子も無かった。

「何か欲しい物ある?」

 慌てて駆け寄った山田が、遅れたことを取り繕うように、詩織に尋ねた。が、彼女は素っ気なく、別に無いと答えた。

「お腹空いてないの?」

「今は空いてないから結構よ」

 詩織は、踊るように頭を振った。

「お金、持っている?」

「財布、どこかに忘れちゃったのね」

 山田は、どきっとさせられた。そのどこかが、詩織を埋めた土の中ではないかと考えたのだった。

「僕が払うよ。欲しい物があったら、遠慮せずに何でも言って」

「今夜の淳二、随分と優しいのね。いいよ。別に欲しい物は、ここに無いから」

「ここに?」

 山田は、思わず呟いた。詩織に全て見透かされている気がして、不安になった。別段、後ろめたい思いから、彼女にいつもより優しくしたつもりはなかった。が、山田は一瞬たじろいだ。たじろっているうちに、詩織はまたふらふらと歩いて、どこかへ行ってしまった。詩織はいつも一ヶ所に留まることを嫌って、どこかへ行ってしまう。行ってしまったと思うと、すぐに戻って来る。空に浮かぶ雲の行き先を知らないように、街角を吹き抜ける風の行方を聞かないように、山田は詩織の行き先も、居所も知らなかった。詩織が死んで、彼女の居場所は山奥の土の中だと、山田は知っていた。が、そうではなかった。詩織はすぐに彼の所へ戻って来たのだった。

「じゃあ、これ買ってくれ!」

 野太い男の声がした。山田は、後ろで村井がカレーパンやメロンパン、スナック菓子など大量に抱えて立っているのを見た。

「村井な、びっくりさせるなよ。それで、薫は何だって?」

「薫? 私の分も買って来てって言うんだ」

 村井は、手の中の獲物ににやにやしていた。山田は多少羨ましそうに、一瞬近くの陳列棚へ目を移した。そこには、白い眼帯や包帯、絆創膏などの救急道具も揃えてあった。山田はそれを手に確かめながら、村井へ話の続きを戻した。

「一緒に買いに来ればいいじゃないか」

「さあ。知らないぞ。何か準備があるんだろう」

「それで、村井。一人でそんなに食べるのか?」

「薫の分もあるからな。それと、今日帰ってからのだ。一仕事した後は、お腹空くだろう」

「こんな大事なときに、少しは自粛しろよ」

 山田は適当に眼帯と包帯、絆創膏なんか取って、お金と一緒に村井の手の中に押し付けた。村井はじっと見て、山田の意図が分かったふうに、素直に受け取った。

「それより、いいのか。詩織のこと放っておいて」

「別に放っておいたわけじゃない」

 山田はそう断ったが、村井が顎で合図した先には、詩織と男の店員が会話しているのが目に留まった。村井は、その事を言っているのだ。別にいつもの事だと、山田は注視せずに、ちらりと視線を送っただけだったのが、彼と年が同じくらいの店員に、どこか見覚えがあることに驚いた。

「村井。あの店員、知っているか?」

「知るわけがない。俺は、男には全然興味ないからな」

 村井は、店員の顔もろくに確かめずに言った。

「そうじゃなくて、同じ大学だろう。見覚えがある」

「そうか。じゃあ、詩織の知り合いだ。詩織は、やたらと交友関係が広いからな。困ったものだ」

 村井は、むっとした顔をしたまま、やはり店員は見なかった。それでいて、村井は山田の渡したお金で足りるのかなと、腕に抱えたたくさんの品物の勘定を数えているみたいだった。

「でも、不味いだろう。詩織の知り合いに、姿を見られるのは」

「不味いか? 全然向こうは、気付いてないようだが」

 確かに店員の態度からは、二人が懇意である様子は窺えなかった。

「女は化けると言うだろう。詩織は今と昔じゃ、少し雰囲気が変わってしまったからな。分からなくて当然だ」

 村井は、詩織の変化に気付いていたのだと、山田は初めて知った。

「でも、このままにしておくのは不味いだろう」

 だからといって、山田がのこのこと、二人の間に割り込んで行くわけにもいかなかった。

「そうだな。それなら、こうすればいい」

 村井は、そう言って詩織と店員の方へ向かって歩き始めた。

「おい、村井!」

 山田は、村井を止められなかった。山田が躊躇っている間に、村井は悠然と詩織と店員の脇を通り過ぎ、レジ台の上に腕一杯に抱えた商品を、わざとらしく置いた。その店員は慌ててレジに小走りして、申し訳なさそうに会計を始めた。山田は、村井の度胸に感心した。それから、その店員の態度が気の毒なくらいだった。

 次々と商品をレジに通す店員の顔を見ながら、山田はようやくその店員が、詩織を埋めた翌日に、大学で彼女を捜していた二人組の一人だと思い出した。コンビニの緑の制服を着ていたし、髪型も全く違っていたから判断が付かなかったのだ。あの時、山田が嫉妬するほど、その店員は華やかだった。が、その輝きは、その夜は消えていた。それは彼らが彼らなりに、精一杯めかし込んだ成果だった。

 山田は、村井が会計を済ましている隙に、詩織を店の外へ連れ出した。

「ねえ、何も買わなくていいの?」

 不意に山田に腕を掴まれた詩織は、何の抵抗もせずに彼へ従った。

「詩織は、あの店員のこと知っているのか?」

 山田は店を出ると、待ちきれないように詩織を問い詰めた。

「知らないけど」

「知らない。本当なのか? 知らないのに、あんなに親しげに話していたのか?」

「どうしたの? 淳二、怖い顔して……」

「何を話していたんだ?」

「大したことないのね」

「本当に知らないのか?」

「あの人、誰なの?」

 山田には、詩織の本心はいつも分からなかった。増して、死体なら尚更だった。しかし、彼女が嘘を吐くとも思えなかった。山田は大学のと言い掛けた、その言葉をのみ込んだ。詩織もその店員も、互いに正体は知らなかった。それ以上、教える必要はないと、山田は考えた。

「知らないならいい」

「今日の淳二、おかしい」

 詩織はまた一人で歩きだした。山田は足を止めて、白のワンピースに細い足首、同色のスニーカー、すっと背の伸びた、彼女の後ろ姿をじっと眺めていた。すると、急に詩織が振り返った。

「あっ、さっき道を尋ねたのね。でも忘れちゃった」

 詩織は悪戯っぽく、山田に笑って見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る