第12話 独り歩きする噂

 山田は、詩織は最初から居ないものと考えていた。彼女は死んだ。どこか分からない山奥に埋めてきた。実際に行ってみないと分からない場所というのはあった。昔からある狭い路地の繁華街だったり、急速に発展した入り組んだ住宅地だったり、それから人里離れた、道があるのか無いのか分からないような山の中だった。そんな場所なら、たとえ生きていたとしても戻って来られないだろう。増して埋めてきたのは、間違いなく詩織の死体なのだ。

「明日の講義は、必ず出てね」

 三人が一度に大学の講義を欠席したら、怪しく思われると、別れ際に薫に念を押されていた。山田は、それを夢を顧みるふうに思い出したのが、体は動かず起き上がれなかった。その数に、詩織は入っていなかった。村井が四人だろうと、無愛想に言い返した。薫は、せっかくの忠告に水を差されたと不機嫌になり、村井を無視して行ってしまった。午後からでも講義に出ようかと、山田は布団の中で思案していた。

 山田や村井、それから薫が突然姿を消したとしても、誰も気にしないだろう。誰も気付かないかもしれない。それでいて、詩織と仲が良いことは、大学の多くの者が知っていた。四人がいつも行動を共にしていたことも、周知の事実だっただろう。きっと誰かが、詩織が現れないことを不審に思うはずだ。騒ぎ立てる者も出るかもしれない。詩織はどこへ行ったのか、どこに居るのかと、山田を問い詰めてくるだろう。その時、山田は何と答えればいいのか、適当な言葉が浮かばなかった。死んだ者を、生きたふうに偽ることの難しさを、山田は痛感した。

「いつも通りに過ごすのが、一番よ」

 薫は言ったが、意図して平静を装うことは難しかった。日々の生活の中で、山田は起床してから就寝するまでの行動を、事細かに記録していたわけではないのだから、当然戸惑うのだった。いつも通り。詩織といつも通り過ごすことは、もう叶わない。永遠にだ。

 山田は午後の講義の間に、同じ一年生らしい二人連れの学生が、彼の所へ来て、詩織の居場所を尋ねてきた。山田とは比べものにならないほど、二人は奇麗な容姿に、服装もお洒落だった。山田は、男なのに化粧をしているのかと思ったほどだ。

「講義には来ていたの?」

「来ていたかな? 覚えてないや」

 山田は答えに困ると、二人の問い掛けに問いで返していた。二人は急に気を落として、山田の前から去ってしまった」

 山田は昼から大学に行ったが、村井は午後の講義も出席していなかった。薫が何度も呼び出して、ようやく大学通りにあるアンティークの喫茶店に集まることになった。村井がこちらへ向かう間に、山田は薫に先ほど、詩織の消息を尋ねられたことを話した。薫は、知らん振りを押し通せばいいと断言した。

「反対に僕らが、詩織を捜しているように振る舞った方が、いいんじゃないか」

 山田は二人連れとのやり取りが、功を奏したことに調子付いて、そう提案した。

「それも、やり過ぎれば逆効果じゃない。いつまでも騒いでいたら、誰も彼女のことを忘れないでしょう」

「そうだけど」

 彼らは、いつの間にか詩織を簡単には忘却できない、そういったジレンマに陥っていたのだった。ちょうどその時、山田はすぐ側に立っている村井に驚かされた。流石に濡れた服は着替えていたが、慌てて支度したふうに服も頭も、顔までもがくしゃくしゃだった。山田は一度立ち上がって、村井を奥の席へ通そうとした。が、村井は全身に力を込めたように、まるで動かなかった。

「俺は、詩織のことを絶対に忘れない!」

 村井は、店中に響くような大きな声で言った。村井は、山田たちが議論に夢中になっている間に、ここへ来ていたのだ。さっきの二人の会話を、全て聞いていたに違いなかった。

「分かったから、一々大きな声を出さないで! 早く席に着いて、怪しまれるじゃない。それに彼女の名前を出すのも軽率よ。それ、分かっているの?」

 薫が慌てて、興奮する村井を咎めた

「じゃあ、しお……。何て呼べばいいんだ。S子とでも言うのか」

「そんなの知らない。自分で好きに呼べば。それに彼女の名前に、子は付かないでしょう」

「そんなの適当に言ったんだ」

 山田は、村井と薫のやり取りを眺めながら、村井は絶対に認めないかもしれないが、いや薫もきっとそうだろうが、二人はいがみ合ってはいても、案外気が合うように思えた。少し微笑ましくなった。村井は不機嫌に大きな体を揺らして、奥の席に着いた。山田も、それで腰を落ち着けることができた。

 薫は、徐々に三人の関係が解消されることを臭わせていた。こうやって三人で集まる機会を、少しずつ減らすように提案していた。そうすれば、詩織との係わりも断たれると考えていた。もし詩織の死体が発見されたとしても、薫はしらを切り通すつもりなのだろう。

 それでも、当面は不測の事態に備えて、三人で協力しなければならなかったし、罪悪感に耐えられず、この中から裏切り者が出ないように励まし合わなければならないと、薫は言った。監視し合うの間違いではないかと、山田は思った。薫は絶対に犯した罪を認めないだろう。山田はどうかといえば、犯罪者として裁かれるのは嫌だった。その恐怖心が、彼を支えていた。問題は村井だった。村井は、何を仕出かすか全く予測が付かなかった。理性より感情の方が、完全に勝っていた。

「目立つ行動は控えるようにね」

 と、薫は念を押した。こうやっていつまでも三人で顔を合わせているのも、あまり気乗りしないらしかった。取りあえずその日は、それで喫茶店から出て別れることになった。

「村井くん、明日はちゃんと講義に出てよ」

 薫は最後に、冴えない顔をした村井へ言った。村井は曖昧に頭を振って、返事はしなかった。山田はこのまま何事も無く過ぎれば、三人で集まることも自然に消滅してしまうだろうと思った。こうしてわざわざ顔を合わす理由も、詩織の問題を除けば皆無だった。


 日が暮れて山田が部屋へ帰ると、薫から連絡があった。彼女の声は慌てていた。ほんの数時間前に集まったばかりなのに、それが再び三人で集まることを言うから、山田は不安になった。薫は、村井がどこに居るか知らないかと尋ねた。

「知らないよ。僕は、村井のお守りじゃないんだから」

 山田は、思わず大きな声を出していた。

「連絡が付かないの」

「そんなの心配することじゃない。いつもの事じゃないか。それで、どうしたんだ?」

「分かった。こっちでも捜すから、そっちからも連絡してみて。それじゃあ、いつもの所で、八時に落ち合いましょう」

「何かあったんだ」

「詳しいことは、向こうで話すから」

 山田は釈然としない気持ちのまま、アンティークの喫茶店で二人を待つことにした。店内には、遅めの食事をかき込む、二三人の客がカウンターの席にしがみつくように座っていた。他の客のことなど、まるで気に留めないようだった。山田の方が、何か後ろめたい気持ちで、店の中を隈無く探していた。意外なことに、捕まらないと思っていた村井が、薫と二人で現れた。村井は昼間と別段に変わらず、だらしない格好だった。

「それで……」

 山田は、村井と薫が喫茶店の座席に落ち着くの認めて、口を開いた。山田は初め、薫の話が紆余曲折していて、まるで要領を得なかった。薫は、噂が独り歩きしていると話の口火を切った。それは誰かから聞いたことで、結局のところ、その誰かというのはいつまで行っても、誰かだった。特定の人物には、たどり着けないのだ。

「えーと、何の話だ」

「彼女を見たと言う人が居るの」

「彼女って……、誰?」

「ほら、例の……。彼女よ」

 薫はどこで聞いてきたのか、彼女つまり鈴川詩織を目撃した学生が居ると告げた。

「そんな馬鹿なことが、あるわけ無いじゃないか」

「声が大きい」

「ごめん」

 山田は、声を落として謝った。急に恥ずかしくなって、お冷やを一口口に含んだ。つっかえるようで、それがなかなか喉を通らなかった。

「でも、彼女が生きているはずがない。誰かの悪戯か、他人の空似じゃないのか」

 ここに居る三人以外は、詩織が死んだことを知らなかった。あの時、胸を真っ赤に染めた姿も、すっかり血の気を失った顔も、山奥で冷たい土の中に埋められたことも、誰も知る由はないのだった。

「だだの噂よ。実際に見たって人は、見つからなかったの」

「彼女は、死んでなかったんじゃないのか」

「そんな事、絶対にない」

「でも、確かめたわけじゃない」

「確かめたじゃない。ちゃんと胸に包丁で刺した傷痕があったじゃない。血がどばーっと出ていたじゃない。しっかり土の中に埋めたじゃない。そんなんで生きていたら、不死身よ」

 薫は語気を強めて、矢継ぎ早に言った。村井は二人が会話している間も、始終黙って座っていた。村井が詩織のことで取り乱さないのを、山田は不審に思った。食事をしていた客が、お腹を膨らませ満足したみたいに、順々に出て行った。カウンターに散らかっていた皿も奇麗に片付いていた。

「そんな事、有り得ない。それに、もし戻って来たなら、また埋めればいい。今度は、絶対に帰って来られない場所に置いてくればいい」

 薫は、躊躇いもなくそんな残酷な言葉を吐き出した。

「そんな。僕は、嫌だよ」

 山田は、嘆くように呟いた。村井は何も答えなかった。むしろ詩織が現れたことを喜んでいる節があった。村井は、彼女との係わりを完全に断たれてしまったのを、ひょんな事から元通りになったように考えているのかもしれない。最後までカウンターの座で食事をしていた客が、レジの前で会計を済ませていた。それが終わると、あとは彼らの他は、客は居なくなった。店の中が一段と静かになったように思えた。

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