第11話 詩織の死体は山奥に②
詩織は、土の中に埋まった。明きからにそこに死体が埋まっていると分かるほど、こんもりと土が盛り上がっていた。動物の死骸にしては、明らかに大き過ぎて、その森のどんな幹よりも、その盛り土は目立っていた。ここに、誰か埋まっていますと言いたげだった。
「穴が小さかったのよ。もっと大きな穴を掘ればよかった」
薫は小さな山になった所を、仁王立ちになって見下ろしていた。
「枯れ葉とか、抜いた草を掛けておけば、いいんじゃないか」
村井は、足元の抜かれてすっかり萎びた雑草を手に取っていた。
「駄目よ。不自然に枯れた草が置いてあれば、誰かが掘ったってことが、すぐに分かるよ。――できるだけ土を平らにしておきましょう」
「おいおい、そんなに乱暴にしたら、土の中の詩織が潰れるだろう」
「潰れたって、平気よ。もう死んでいるんだから。こうしたって、大丈夫!」
薫はそう言いながら、詩織の埋まった土の上を足で踏み付けた。山田も村井も唖然として、薫がすることに目を奪われていた。二三度踏みならすうちに、薫は足が滑って転倒しそうになった。薫が山田の方へ顔を向けると、真っ青な顔が見えた。
車の後ろで潮干狩りのクワとバケツを片付けていた、薫の明るい声がした。薫は、こんな物出てきたよと言った。薫は頭に、つば広の白い帽子を載せていた。トランクの奥に仕舞い込んでいたのを、引っ張り出してきたのであろう。それも潮干狩りのときに、詩織が被っていた物だった。薫は、妙にはしゃいでいた。詩織の死体を載せて、運転すると言ったときもそうだが、まるでドライブ気分だった。
「詩織」
山田はその時、確かに村井の口から、彼女の名前を耳にした。場違いなほどに小躍りする薫の態度に気を取られて、本当に村井がそう言ったのか、それとも山田の空耳だったのか、どうかは判断できなかった。が、村井は、段々おかしくなっていた。殊に薫を詩織だと勘違いしがちであった。山田自身も、薫の帽子姿に、全く詩織の面影を感じないわけではなかった。詩織は、何を身に着けてもよく似合った。服装の選び方も、着こなし上手かった。もっとも奇麗なモデルや女優なら、一見不格好な衣装や被り物を身に着けたとしても様になる。容姿の優れた詩織だから、それと同じだとも言える。しかし、薫にはそう言った才は、目立って見られなかったはずだ。が、その時の薫は、妙に白い帽子がよく似合っていた。
急に降りだした激しい雨に、彼らは完全に逃げ遅れてしまった。山田は何とか運転席に震えながら座って、車のワイパーがフロントガラスの雨水を拭い去るのを見詰めていた。雨水はいくらワイパーを速く動かしても、たちまちそこへ雨が流れ落ちて、視界を歪めた。それほど強い雨だった。
「ちょっと最悪! ずぶ濡れじゃない」
車へ乗り込むなり、薫が口を開いた。山田は、奇妙な違和感を覚えながら、急いで車内のヒーターを全開で点けた。体は冷え切っていたし、湿度が上がってむっとしたが、濡れたままの服を、そのままにしておくより増しだった。村井は疲れたように黙って、前を向いて座っていた。薫が小さなハンカチで、髪や顔にまとわり付いた水滴を払っていた。山田は、その黄色い花柄のハンカチが可愛らしいと思った。
「ねえ、タオルとか持ってないの?」
その小さなハンカチでは、とても間に合わなかった。薫が後部座席から、まるで恋人のように、山田へ声を掛けた。
「残念だけど、無いな」
「そう」
無いのは分かっていた。あるなら、山田が真っ先に差し出すことも、薫は知っていた。それでも、何か言わないと気が済まなかったのだった。
「あっ、後ろにティッシュならあったよ」
山田は思い出して言ったが、そんな物は何の役にも立たないと思っていた。後ろで、ぐしゅんと音がした。薫のくしゃみだったのか、それとも彼女が鼻をかんだ音だったのか、どちらとも取れた。それを聞いたからというわけではないが、山田も急に鼻がむずむずしてきた。欠伸は伝染するというが、くしゃみがうつるとは聞いたことがない。もっともこれだけ服を濡らし、体を冷やしたのだから、くしゃみが出ても当然だといえば、当然だった。
「悪い。僕にも、一枚」
薫は、はいと言いながら、山田に箱ごと差し出してきた。
「このままじゃ、本当に風邪を引きそうだ」
車内は先ほど点けたヒーターで暖まり始めたが、それでも気休め程度にしか、ずぶ濡れの服は乾かせないだろう。
嫌な物を見つけた。山田の、あっと叫んだのが悪かった。山田が気付いて、薫がそれを悟った。詩織の靴だった。白の布靴の片方が、後部座席の床に横に倒れて落ちていた。
「この靴、どうして埋めるときに気付かなかったの! 山田くん、早く埋めて来てよ。こんな物、このままここに置いておけない」
「どこかで捨てれば、いいじゃないか」
「そんなの絶対に駄目! 捨てるところ、誰かに見られたら大変でしょう」
「そうだけど。こんな土砂降りで、傘も持ってないのに」
山田はもう少し小降りになって行こうと、外に出るのを渋っていると、村井が突然、俺が行くと言って、山田から詩織の靴をもぎ取った。山田の手が、千切れるほどの勢いだった。
「こんな酷い降りの中、大丈夫なのか?」
山田の心配をよそに、村井は大丈夫だとだけ残して、車外へ飛び出した。村井は大きな体で、詩織の靴が濡れるのをかばうように、腹に抱えていた。
雨は、なかなか止まなかった。村井も戻って来なかった。車の中はエンジンの低い響きと、ワイパーがフロントガラスの雨水を拭う奇妙な音、車のヒーターが熱風を吹き出す音、それから車の屋根や、そこら中に落ちる雨音で満たされていた。山田と薫の二人は、そこで座って黙っていた。急に車体の後ろで大きな音がして、山田は体がびくついた。体の中の物が、飛び出すような嫌な感じがした。車の後ろや、屋根に何かがしがみ付くように衝突したのだと思った。誰かの大きな体が、急に現れた。扉が勢いよく開いて、村井が車体を傾かせ、助手席に乗り込んだ。
「いつまで掛かっているんだ。心配したんだぞ!」
山田は、村井が座り終わるのを待たずに、大きな声を出していた。村井は山田に顔を向け、単に苦笑いして見せた。それから、トランク開いていたぞと返した。
「開いていた?」
「大丈夫、大丈夫。今ちゃんと閉めてきたから」
山田はその時、村井のがたいのいい体が、縮んでしまったのかと錯覚した。雨に降られ無精に伸ばした頭髪も、だぶだぶのポロシャツも、生白い肌に張り付いて一回り小さく見えたのだった。山田は、村井の心までしぼんでしまったのだと思った。が、そうではなかった。村井は、どこか清々しい表情を浮かべていた。
「ちゃんと埋めて来たんでしょうね」
山田は、よくそんな無神経なことが言えるなと考えながら、バックミラーを透かして後ろを見た。薫は、窓外へ顔を向けていた。
「まあね」
あれほど大事そうに、詩織の靴を抱えて、山田だって躊躇した酷い雨降りの中へ飛び出して行った、車を出て行ったときとは信じられないほど、村井は平然とした顔を見せた。山田はその時、村井はもう車には戻らないのではないかと思ったくらいだ。それが、まあねだ。それがかえって、山田を不安にさせた。
「じゃあ、早く出発しよう」
山田が運転する車は、走りだすと行き成り泥濘にはまったように、タイヤを滑らせた。が、それもしばらく車体を揺さ振るうちに、タイヤが地面を捕らえると、急に勢いよく前進し始めた。山田には、それが不吉の前兆で、それを強引に振り切った形になったように思えた。
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