第10話 詩織の死体は山奥に① 

「こんな所になんか、詩織を置いていけない」

 山田は頑なに、薫の提案を拒んでいた。彼らは薫の運転で、小一時間ばかり車を走らせて、人も寄り付かない山奥にたどり着いた。深い森林に覆われ、その間を辛うじて車が通った、それも轍で作ったような粗野な道が一本走っていた。そこへ車を止め、森の中へと斜面を少し上った、育ちの悪い雑木林の間に、三人は佇んでいた。

「ここなら誰も来ないし、絶対に見つからないと思うんだけど」

 薫は、まるで誇らしげに、辺りを見回した。流石に山の奥だけあって、どこも真っ暗だった。薄気味の悪い闇が、煙のように辺りを満たして、とても独では踏み込めない所だった。彼らは、巨大な懐中電灯を手に、歪に曲がった木々の幹を、用心深く照らして回った。その巨大な懐中電灯も、夜のドライブが多かった、彼らの思い出の品だった。足元が暗いといけないからと、村井が二個も三個も買い込んできたのだ。

「こんなに暗いんじゃ、どうか分からないよ」

 山田はふて腐れて、少しも譲らなかった。凍えるほどに冷たい夜風が、幹の間を何度となく、さっと走り抜けた。それは、どこから吹いて来るのか分からない風だった。

「埋める穴は、どうやって掘るんだよ。それにこんな時間じゃ、店も開いていない。スコップなんて、ホームセンターくらいしか置いてないだろう」

「スコップは駄目、目立つでしょう。そんな物買ったら、今から死体を埋めに行きますって、言っているようなもの」

 薫は、まだ入念に、そこここと木々の根元へ、懐中電灯の光を当てていた。その眩い光に当てられた途端、重苦しい暗闇が、一斉に逃げだして行くように見えた。すぐに光に照らされなくなると、またそこへ棲み着いた獣みたいに、再び同じ所へ戻って来て、更に闇を濃くした。

「じゃあ、どうするんだ。手で掘るのか? 手だけじゃ、とてもじゃない。掘れやしないぞ。それに爪の中に土が入ると、取れないんだよな」

 村井はそう言って、びくびくしながら暗闇に明かりを照らし続けていた。

「埋めなくても、いいじゃないか」

「それは駄目。誰かに発見されたらどうするの? ここだって、完全に人が来ないって保証は無いはずよ。それに埋めてしまえば、そう簡単に見つかりっこない」

「そうだけど。僕は、詩織を土の中に埋めるなんてできない。そんな残酷なことはしたくない」

「どうして残酷なの? 昔は死んだら、土葬だったんだよ。間違ったことはしてないはずよ。それで不満なら、三人で詩織の葬儀をして上げましょ。それなら、問題ないでしょう」

 薫は詩織のことになると、急に快活になった。明らかにこの状況に満足してようだった。てきぱき働いて、独りで全てを取り仕切るつもりだ。

「小さいクワとか、スコップとか持ってないの?」

「ああ、夏に潮干狩りで使ったクワなら、車のトランクにあるだろうよ」

 山田は少し考えて、乗り気しない声で言った。

「そう言えば、そんな事もあったね。それで行きましょう。あとバケツも使えそうじゃない?」

「バケツも一緒に入っていると思うよ」

「本当にここでいいのか? もっと奥にした方が見つからないぞ」

 村井が、山田の後に続けて言った。

「それだと、車から運ぶのが大変よ。それに早くしないと、いつまでもここに居られない。こんなところ誰かに見つかったら、死体を埋めるどころの話じゃなくなるじゃない」

「埋めるなら、早く終わらせよう。こんな事は、もう終わりにした」

 山田は、ようやく覚悟を決めた。村井も黙って頷いた。それが決断の合図だったように、三人は一度に顔を見合わせた。

「そうね。早速始めましょう。山田くんは、車から潮干狩りのクワとバケツを取って来てね」

「詩織は、どうするんだ」

「死体は、ある程度穴が掘れてからでいいよ」

「で、俺は何をすればいいんだ?」

「村井くんは、穴を掘る所の草とか、枯れ葉とか取り除いておいて、その方が掘りやすいでしょう」

「手が汚れるじゃないか」

「仕方無いじゃない。そんなの今日だけのことよ。少しは我慢してね」

 それでも、村井はぶつぶつ言いながら、そこへしゃがんで手を動かし始めた。日当たりの悪い斜面で、厄介な雑草はほとんど生えていなかった。その代わりに、湿った落ち葉が積もって、それも数センチにも至らず、この辺りは葉っぱの育ちも悪いようだった。詩織の死体が、この場所を肥沃な土地に変えるのだろう。

 山田は重い足をゆっくりと動かし、緩やかな傾斜を下りだした。少し歩いたところで、背後から早く取って来てねと、薫の催促が追い掛けてきた。山田は、薫へは振り返りもせずに、それでも薫に応えて、心持ち足を速めてみた。歩みは大して変わらなかったが、足に掛かる負担は大きくなった。これでは割に合わないと、山田は思った。


 彼らが穴を掘り出して、おおよそ一時間が経とうとしているのに、まだ半分も終わっていなかった。ここら辺りの土は、粘土質で重かった。やたらと粘りがあって、掘れない硬さではないが、なかなか地面を崩せなかった。クワを入れてみても、少し放っておけば、たちまち土と土とが結合してしまうほど、粘度があって厄介だった。それでいて、やたらと細い根っこに突き当たった。山田には、ここへ死体を埋めるのを拒んでいるようにも思えた。それがこの土地の意志なのか、それとも詩織の魂の叫びなのかは分からない。が、それもまた山田の意思のように思えた。

「こんな調子で、本当に掘れるの?」

「あと少しだから頑張ってよ」

 薫も次第に弱気になったとみえ、先ほどの元気は失っていた。またどこからともなく、気味の悪い風が吹いてきた。彼らの寒々とした上着の袖や、ズボンやスカートの裾を、押し退けるみたいに、強くなびかせて逃げて行った。こんな場所に長く居たら、本当に気が変になりそうで、山田は恐ろしかった。

「詩織は、そんな事言わないぞ。自分を埋める穴を掘れだなんて」

「ちょっと何わけの分からないこと言っているの? 村井くん、しっかりしてよ」

 急に奇妙なことを口走った村井は、しばらくぼんやりして、また平静を取り戻したように働きだした。三人は休憩する間もなく、一心に穴を掘り続けた。穴の半分は、一時間で掘ったが、残りの半分は三十分ほどで掘ることができた。その頃には、山田も村井も汗だくの泥まみれになっていた。薫ですら、頬や額に褐色の泥を塗って、スカートの裾も土で汚していた。辺りは、土と腐った落ち葉のむせる臭気で満たされていた。手の平にこびり付いた褐色の泥が、すっかり乾いて、触れるそばから、ぼろぼろと落ちていった。が、地面に落ちた泥は、もうどこに行ったのか分からなかった。山田は、その手に残ったわずかな破片を、ただ何も考えずに、じっと見ていた。

「遅くなったね。これだけ掘れば、十分。急いで死体を運びましょう」

 薫は立ち上がって、掘ったばかりの穴を眺めた。よくもこれだけ掘ったと思えるほどの穴が、ひょろ長い木々に囲まれた傾斜にできていた。しかし、どう見てもそのぽっかりと地面に開いた穴は、この場所には異質な存在に思えた。こんな所にこんな物を作っては、いけなかったじゃないかと、山田はじっと掘った穴を見詰めていた。

「ああ、腰が痛いよ。この爪、見ろよ。土だらけだ。これ取れないんだよな」

「文句言わないで、まだ終わってないんだから。急ぎましょう。早く死体を埋めて、ここを離れないと、誰かに見られたら大変」

「こんな時間に、ここを通す人も居ないだろう。あっ、居るか俺たちが……」

 村井は冗談のつもりで言ったが、二人からは笑えない冗談だ、と冷たい視線を向けられた。穴を掘ったことで、気持ちに余裕ができたのだろう。

「さあ。余計な事言っているなら、早く動いてよ」

 薫が、村井をたしなめるように言った。が、その声は妙に生き生きしていた。

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