第8話 村井四郎と危険な火種
村井はあんな不完全燃焼の状態で、どこへ行ったのだろう。山田は昼下がりの人通りも疎らな大学南門を出て、急にその事が気になった。どんよりとした空模様の下で、村井が突然と爆発するんじゃないかと思った。見慣れた通りの景色の中に、あの大きな体で、背中を丸めた村井の痕跡は見当たらなかった。山田は、いつの間にか行き交う学生たちが振り返るほど、足を速めて歩いていた。何と言って弁解すればいいのか分からない。が、とにかく村井を追い掛けることが、先決のように思えた。まさか村井は、詩織を捜しに行ったのではないだろうか。いや、それは少し考え過ぎかもしれない。それでも、真っ先に村井を見つけなければいけない気がした。山田はそう一心に思いながら、自然と早足になった。
村井を見つける前に、詩織が見つかった。彼女に見つかったと言った方が、正確かもしれない。別に彼らは、隠れん坊をしていたわけではなかった。白のブラウスに、淡い黄色のカーデガンがよく似合う、詩織が嬉しそうに手を振った。山田は恥ずかしそうに、彼女へ応えた。
「そんなの今更なのね」
村井の件に対して、詩織の反応は、意外なほど軽薄だった。山田は、もっと大げさに恨み辛みの一つも吐き捨てるのかと考えていた。山田が思うほど、大事ではないのか。あの憎しみに駆られた、村井の目で睨まれたから、彼はすっかり怖じ気付いたに過ぎなかったのだろう。村井は、何かとんでもないことを仕出かすんじゃないか、と心配したのが馬鹿馬鹿しくなった。山田は、屈託のない詩織の笑顔を見ると、そんな風に思えてきた。
それ以来、村井は三人の前に姿を見せなくなった。当然と言えば、当然なのだが、ひょっとすれば、このまま彼らの元には、帰って来ないつもりなのかもしれない。もともと村井は詩織を目当てに、彼らの所に足繁く通っていたのだから、もう来る必要もなくなったのだろう。しかし、村井のことだ。このまま何事もなく、無事に終わるとは、山田にはとても思えなかった。平穏なのが、かえって嵐の前の静けさを思わせ、不気味であった。
「傷心旅行にでも行っているのね」
詩織は、まるで他人事みたいに、そんな言葉を平然と口にした。そういう山田も村井が居ないと、大学通りにあるアンティークの喫茶店に待ち合わせても、講義室にある長椅子に並んでいても、随分ゆったりと座れると呑気に考えていた。思い切り体を動かし、疲れた肩を自由に回しても、十分なくらい余裕があった。村井がいつも一人で場所を、その体格のいい体で独占していたのだ。詩織は、どうも村井にことが話題に上がるのが気に食わないらしく、その度に村井の悪態を吐いた。山田は、薫と二人で居ても、共通の話題に困ると、つい村井の名が口から漏れてきた。今何をして、どこに居るのか。
「どうしたの? いつもの淳二じゃない」
山田には、電話越しに詩織の声が、珍しく驚いて聞こえた。マンションの部屋の窓は、既に暗かった。近隣の建物や外灯の光が、やけに間近に輝いて見えた。彼はまだ茶色のカーテンを閉めず、電話の話に夢中だった。
「なぜ、村井をドライブに誘うんだ」
山田は、いつもの詩織の気まぐれだと分かっていても、顔が見えない分、不安が余計に増してきた。向かいの踏切で、遮断機の音が、突然とけたたましい音を立て始めると、警告灯が点滅し、辺りを真っ赤に染めていた。
「だって、淳二もそれに薫も、いつも村井のことばかり気にしているのね。だからよ。だから、ちょうどいいじゃない」
「それにしても、そんな火中に飛び込むような、真似をすることないだろう」
「声が大きい。そんな向きにならないでよ。それに、縁を切るなら、早いうちがいいのね。このまま、ずるずるされるのも困るし」
「縁を切るだなんて、酷いことを言うな。それに、詩織がやらなくてもいいじゃないか。僕たちは、当事者じゃないか」
山田がどんな事を言っても、詩織を説得させることはできなかった。それは、十分に分かっていた。が、この時ばかりは、山田も一歩も食い下がらなかった。もしまた四人で集まることがあれば、きっと一波乱ありそうな予感が、彼にもはっきりと見えていた。山田は急にそわそわして、背筋に冷たい汗を感じた。嫌な想像が頭の中で、際限なく膨らんで、止めどなくあふれてきた。それが、どんな結末を迎えようとも、無傷ではいられないはずだ。山田には、そんな気がしてならなかった。
「淳二も大げさなのね」
詩織は、平気でそう言った。彼女はその快活な声からして、明らかにそれを楽しんでいた。危ない橋を進んで渡ろうと、目論んでいるみたいだった。マンション脇の旧道には、帰宅途中の車が、朝とは反対の方向へ、絶え間なく走って混雑していた。
「いいじゃない。これまでだって、一緒に楽しんできた仲じゃない。四人でドライブに行くだけ。それだけのことなのね」
「それは、今までの話だよ。今じゃ、村井とは険悪な雰囲気になっている。そんな時に、わざわざ問題を大きくしなくてもいいじゃないか。それに村井の気持ちだって、少しは考えてやりなよ」
「そんなの知らない。私が、なんでそこまで考えなきゃいけないの? 私には関係ない。向こうの勝手な思い込みなんだから、いい迷惑なのね。それに、嫌なら誘っても来ないよ」
詩織は、冷たく言い返した。
「そりゃ村井が来ないなら、それでいいよ。でも来たら来たで、何か魂胆があるってことだろう。村井は、かっとなるときがあるんだから、何を仕出かすか分からない」
山田は彼自身がいつになく、感情的に話していることに気付かなかった。ただいつもより、携帯電話を握る手が、異様に汗ばむのを煩わしいと思っていた。
「淳二は心配性なのね。何か仕出かすって、何をするって言うの? 何もできない癖に。そんな勇気あるの?」
「そうだけど。でも、万に一つってこともあるし、用心に越したことはないよ。危険を冒してまですることでもないんだ。そんな事しても、何の得にもならないんだからね」
「淳二、考えすぎなのね。ただ一晩、ドライブに行くだけのことよ」
「それに、村井は詩織と話すのが、一番辛いだろう。僕だって、そうさ。二人は共犯者なんだから、そんなの酷に過ぎるよ」
「あはは。ちょっと共犯者だなんて、オーバーね。平気よ。私が直接連絡したりしないから、心配しないで大丈夫なのね。ちゃんと薫に頼んでおいたから」
「薫に?」
山田は薫の名前を耳にして、妙な胸騒ぎを覚えた。二人が付き合っていることを、村井に告げ口したのは、薫ではなかったのか。この最悪な状況に、山田たちを陥れたのは、薫ではないのか。そういう疑念が、再燃焼するように思えた。階下で、大きな警笛と共に、バイクの激しいエンジンを唸らせる音が鳴り響いた。また一段と大きな音を立てて、走り去った。
「薫じゃ、不満? 適任だと思うけど」
「それだって……。第一、僕は薫を信用していない」
「あら、淳二も人のこと避難できないのね。あれだけ、四人で仲良くやっていたのに、内心じゃそんな酷いこと思っていたのね」
「別に、僕はそういうわけじゃない」
山田の再三の忠告も虚しく、詩織の思惑通りに、四人で深夜のドライブに行くことに決まった。彼女が一度言い出したら、決まったも同然だった。もう薫に頼んだから、山田にはどうすることもできないのだ。事によると、既に村井へ連絡してしまったかもしれない。あとは、村井が参加しないことを祈るばかりだ。それは、次の金曜日の夜のことだった。
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