第16話

 週に一度、秀麗と乃木坂のフレンチレストラン・フウ(FEU)でランチを取ることが、秋良の習慣であった。会議で話せないこと、話しきれなかったことを、食事をしながら話すのだが、話すのはもっぱら秀麗の方であって、秋良は耳を傾けながら、相槌を打つか、イエスかノーかの返事をするだけなのだ。

 ベジタリアンの秀麗は、サラダをナイフとフォークで器用に切り分けながら、口に運ぶ。


「会議でも話したけど、新しい受入国としてフィリピンを検討したいんだけど、いいかしら?」

「根拠は?」

「日本からの距離、物価、それに法規制が柔軟で私たちにとっては都合がいい」

「そうか…」

「ねえ、いっその事、マニラに病院建てちゃおうか」

「それもいいかもな」


 大して関心もなさそうな秋良の返事にため息をつきながら、秀麗はしばらく黙って宝石のようなプチトマトをフォークで突いていた。


 秋良から持ち込まれたこのビジネスは、順調に利益を産んでいる。しかしこのビジネスを作った当初からのパートナーでありながら、秀麗はこんなビジネスが成立することが不思議で仕方が無い。自分に置き換えてみれば、自分は子供なんて必要ないから、大金を払ってまで子供を欲しがる親の気持ちが理解できないのだ。今は需要が絶えないものの、このままマーケットが拡大するとはどうしても思えない。


 それに長年ウテルスの出産に立ち会い、彼女たちがもがき苦しむ姿を見ているうちに、さすがの秀麗も、女性の身体を商品化するこのビジネスに対して、複雑な思いをいだくようになっていた。


「秋良も感じているでしょう。私たちのビジネスも8年も続けて黄金期を迎えているけど、もう斬新なビジネスではなくなっているわ。男女平等法に無関心な国では、各国とも代理出産の法的認可とビジネス化の準備もしているし…。国内でも今後は競合も増えるでしょうし、所轄の監視の目も厳しくなってくる」

「そうだな…」

「ねえ、ふたりで新しいビジネスを始めない。北京、ハノイ、台北、ニューデリー。アジア各国に病院を建てて、ネットワークで結び、華僑を始めとしたアジアの大金持ちや政治家を相手に、ヘルスコンサルをするのはどうかしら」

「金持ち専用の病院と言うよりは、都合が悪くなった時の隠れ家になりそうだな…」

「それでも、今みたいに違法ビジネスではないわ。利益率は高いけど、捕まりそうになったらさっさとたたんでしまうような、腰掛けのビジネスとは違って、一生かけて育てられるビジネスよ」


 秀麗はナイフとフォークを置いて秋良に向き直った。


「あなたとは、一生のパートナーでいたいの」


 熱い眼差しの秀麗とは裏腹に、秋良は食事をする手を止めもせずあっさりと受け流した。


「新しいビジネスの話しは、今度の会議の時にでも話し合おう。他に話しはあるか」


 秀麗にしてみれば、それなりの勇気を振り絞って、このランチで初めてプライベートな話題を切り出したのだ。しかし、秋良は何事もなかったように振舞う。肩すかしを食らった失望感で、噛み切ったセロリがやけに苦く感じた。


「久々に、お金に糸目はつけない超VIPからのオファーよ。自分でも妊娠できるのにオファーするなんて、動機に不純なものを感じるけど…」

「いつも言っているだろう。俺たちのビジネスに動機なんて関係ない」

「そうでした…でもね、超VIPだからこそ胸騒ぎがするのよ。決しておとなしいクライアントじゃなさそうだから…」


 秋良のスマートフォンがテーブルの上で震えた。秀麗に『すまない』と手のひらを向けると、スマートフォンを取った。三室からの電話だった。


「この前、社長が結果が判ったら教えろと言ってた、宅配便のお姉ちゃんの検査ですが…」

「ああ」

「見事に合格ですよ」

「そうか…」

「これから彼女に連絡します」

「いや…俺が行く。書類を机の上に置いといてくれ」

「えっ、また社長がですか?」

「不都合でもあるか?」

「いえ、別に…。それではよろしくお願いします」


 不服そうな返事に、秋良が電話を切りかけると、三室が慌てて話しを継いだ。


「あっ社長、ちょっと待ってください」

「なんだ?」

「どうでもいいことなんですが…」

「だから、なんだ?」

「彼女はあの歳で珍しく…処女のようですね。処女なのに受胎するなんて、まるで聖母マリアだ」


 秋良は三室の余計な無駄口に、何の返事も返さず電話を切った。秀麗はそんな秋良の口元に、わずかながら微笑みが浮かぶのも見逃さなかった。

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