第14話

 秋良の指定したカフェは清閑な住宅街にあった。約束の時間に遅れ気味の真奈美だったが、久しぶりの暖かな日が心地よく、足を速める気になれない。カフェに向いながらも、街路樹の隙間から降り注ぐ柔らかい陽ざしを受けていると、真奈美は危険人物と会うという緊張感が次第に薄れていくのを感じていた。


「きっと似合うと思っていた」


 待ち合わせに遅れてきた真奈美に、秋良が最初にかけた言葉だ。真奈美のワンピースに合わせてコーディネートしたのか、若草色のVネックのカシミアセーターを素肌に着て、白いスラックスと素足に白いデッキシューズ。秋良はカフェのバルコニー席で真奈美を待っていた。ガーデンチェアに浅く腰を掛けて、日本人離れした長い脚を組む彼の姿は、本当に彫刻のようだ。


 席に着いた真奈美であるが、秋良はその後まったく彼女に話しかける気配がない。ただ、眩しそうに空を眺めながら、時折カップを口に運んでいる。そんな彼の姿を、真奈美はチラチラと盗み見した。つくづくカッコイイ男だ…これが、本当のデートだったらよかったのに。真奈美は秋良の姿に見惚れながら、心からそう思っていた。しかし、柔らかな時はそう長続きしない。秋良が話しかけてくるとまた緊張感が蘇って来た。


「久しぶりだな」


 真奈美は秋良を見つめたまま返事も返さずにいた。


「あれからなにか良いことあったか?」


「聞かなくても、私のことはなんでもご存じでしょう」


 今度は秋良が真奈美を見つめたまま黙り込んだ。


「でも…私はあなたのこと何も知らないのよ。少しはあなたのこと話して」

「そんなことを話す必要があるのか?」

「だって、デートなんでしょ」


 秋良は、返事もせずに頑なに口を閉じた。しばらく彼の言葉を待った真奈美だが、彼は一向に喋ろうとしない。仕方なく真奈美は、秋良の全身を眺めまわしながら、語りはじめた。


「わたしが思うには…。こんな仕事を思いつくくらいだから、大学出で私と違って頭が良いのでしょうね。お金持ちみたいだから、仕事も成功している。でも…いくら儲かっても、あなたの仕事は普通の神経では続けられないわ。子供がいては出来るはずないし、当然結婚もしていない。女をモノとしか思っていないあなたは、きっと彼女すらいないはずよ」


 秋良は不愉快な気持ちを押さえながらも、彼女が話すのを黙って聞いていた。


「およそ家庭に縁もなく、人と心を通わせるなんてことも出来ない。そんな人は、いくらお金が儲かっても、使い道が思いつかないものよね。ご両親のご加護に気づかず、自分ひとりの力で生きてきたように錯覚し…」


「そうだよ!おやじは俺が物心つく前にどっかへ消えたし、おふくろなんて若い男の尻ばかり追いかけていた!昔も今も自分ひとりだ。満足か!」


 突然興奮する秋良に、真奈美も言葉を失った。今まで感情のひとかけらも見せたことが無い秋良の珍しい反応だった。一方で、すぐ我にかえった秋良は、こんなに興奮した自分に、自分自身驚いていた。商売柄、人に悪く言われることには慣れている。しかし、どんなことを言われても、いつもは平然と受け流せるのに。なんで真奈美の言葉はこんなに自分の感情を逆なでするのか不思議だった。


「興奮して悪かった。デートはまたの機会にしよう」


 そう言って立ち上がりかけた秋良の腕を真奈美が掴んだ。


「あなたが私を誘った理由は、デートなんかじゃないでしょ」


 秋良が座り直しても、真奈美は掴んだ腕を離さなかった。


「あなたと契約したら、サロゲートマザーにもならなきゃいけないの?」


 秋良はしばらく黙って、真剣なまなざしで問いかける真奈美を見つめていた。


「…だいぶ勉強したようだな」

「どうなの」

「前にも言ったと思うが、小指の爪の先ですら、君の身体の一部を切って奪ったりしない。うちはホストマザー専門だ」


 真奈美は相変わらず秋良の腕を掴んだまま、大きなため息をついて空を見上げた。何か思案しているようだった。秋良はそんな彼女の顔を黙って見守った。街路樹の葉からこぼれてくる陽が、悪戯な子供のように彼女の顔の上をはしゃぎまわる。そんな気まぐれな陽を受け入れながら、彼女は薄く眼を開けて考えにふけっていた。


 一方、腕をつかまれた秋良は、自分達が逢っている理由をしばし忘れて、そんな真奈美を眺めていた。はた目から見れば、お揃いの色を身にまとった恋人同士が、甘く緩やかな時間を過ごしているように見えたろう。しかし、真奈美が秋良の腕を離すと、彼も現実に引き戻される。


「わかった…検査を受けるわ」

「そうか…担当に連絡させる」


 秋良は席を立った。


「ちょっと待って…」


 再び真奈美は腕を取って秋良を留めた。そして、言いにくそうにしながらとぎれとぎれに言葉を吐きだした。


「出来れば…、お願いが…あるんだけど…」


 そう言いかけた真奈美の話を遮って、秋良がポケットから白い封筒を出した。


「忘れていた…仕事の話しとなれば、今日はデートじゃない。この前来てもらった分と今日の分も含めた日当だ」


 白い封筒の中身を確認した真奈美は、椅子に座ったまま秋良を睨み上げた。


「あなたは、本当に悪魔だわ」


 秋良はその言葉を聞くと、唇の隅に笑みを浮かべながらカフェを出て行く。その後ろ姿を睨み続けながら、真奈美は身を焼くような悔しさに耐えていた。彼女には珍しく睨めつける眼が濡れていた。封筒の中に入っていた日当の金額は、明日に迫った返済金の額と同額だったのだ。


『なんであんな悪魔が、あたしのおとぎ話に出て来るのよ』


 真奈美は、溢れて来る涙を拭おうともせずに唇をかんだ。

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