第12話

 病院からの帰り道、真奈美は母の洗濯物を抱えながら天を仰いだ。真奈美は大磯先生の話しに胸を叩いたのは良いが、実際どうやってお金を工面したらいいか途方に暮れていたのだ。今月分の借金の返済も明後日に迫っている。まだそれすら工面が出来ていないと言うのに、新たに大金を借りるなんて事も出来ない。配送の荷物を増やしたり、生活費をさらに切りつめても、そこで得られる額はたかが知れていた。宝くじだってくじを買わなければ当たらない。賭博で一攫千金をと狙っても、賭場に張る元手がないのだ。ああ、自分の苦境を救ってくれる白馬の騎士が、どこからか現れてくれないだろうか。


 急に、サングラスを外して手を差し伸べる秋良の姿が浮かんできた。慌てて頭を振ってイメージを打ち消した。あいつは、自分達を救う騎士じゃない、あいつは最低な悪魔なんだ。どんな状況になっても、あいつの言うと通りにはならない。


『わたしは絶対に負けない。』


 そう呟きながら、真奈美は大きな洗濯物の袋を持ちかえて、家に向かう足どりに力を込めた。


「お姉ちゃん」


 背後からミナミが声をかけながら走って来た。


「あら、早いじゃない」

「部活が休みだったからね。それでさ、スタバで友達としゃべってたら…何が起きたと思う?」

「どうしたの…嬉しそうに」

「ああ、やっぱり才能ある人間は、見出される運命にあるのね」

「なによ?」

「声かけられたのよ」

「まさか、あんたまた援交しようなんて…。」

「違うわよ。スカウトよ」

「えっ?」

「芸能プロダクションの人にスカウトされたのよ」

「あんたが?」

「さすがプロよね。『久しぶりにダイアモンドの原石を見つけた気分だ。』なんて言って…」

「嘘でしょう…」

「嘘じゃないわよ。ルックスもスタイルもいいので女優向きだから、今度カメラチェックで事務所に来てくれって言われたわ。それまで、スキンケアを欠かさないようにって、ほら、こんなに化粧品買ってくれたの」


 ミナミは、手に持っていた高級化粧品のブランド名が入った手提げ袋を見せた。中には、一杯の基礎化粧品が入っている。


「事務所ってどこ?」

「どこって…そう、名刺貰ったわ」


 ミナミが差し出した名刺をのぞき込む真奈美。そこに、この前家の前でたむろしていた男達の名刺と同じ社名を認めて、彼女の足がすくんだ。


「ミナミ。化粧品よこしなさい!返してくるから」

「お姉ちゃん、どうして?」


 ものすごい剣幕で、化粧品の手提げ袋を奪う真奈美に、ミナミも抵抗が出来ない。


「どうもこうもないわ。こんな事務所、芸能プロダクションでも何でもない。ミナミは、お母さんの洗濯物持って家に帰ってなさい」


 真奈美はそう言い残すと憤然と歩きだした。


 名刺にあった事務所は、繁華街の通りをはずれて路地に入った雑居ビルの4階にある。事務所には、顧客向けのカウンターがあるわけでなし、ただ殺伐とした事務所に応接セットがひとつ。真奈美はそこに腰掛けて下品にニヤつく男達に囲まれていた。


「とにかく、これはお返ししますから」


 応接セットのくたびれた机の上に化粧品の袋を置いた。


「そうですか、私どもはお力になろうかと思って声をかけたんですけどね」

「月々の返済はちゃんとします」

「その月々の返済もおたくひとりでは大変でしょう。妹さんにも協力して頂ければ私どもも安心なんですけどね」

「そう、現役女子高生だったら、結構稼げる仕事を紹介できるぜ」


 別の男が口をはさんできた。真奈美は、その男を睨みつけた。


「家族には近寄らないでください」


 ついに、中央の男が真奈美に身を寄せて本性を見せた。


「森さん、俺達を甘く見ちゃこまるぜ。利子を含めて負債を完済してもらう迄、俺たちはあんただけではなく、あんたの家族全員に追い込みをかける。あんたがだめなら、妹に稼いでもらうのは当然だろう」


 真奈美も負けていない。


「そんな脅しを言うなら、私にだって…」


 男は真奈美に最後まで言わせなかった。


「警察とか自己破産なんて考えるなよ。したところで、俺たちは法の外に居る人間だ。何処までも追いまわして取り立てるからな」


 真奈美と男は黙って睨みあった。最初は自分が押し気味だと自負していた男だったが、真奈美の瞳の奥に恐れが見当たらない。逆に彼女の瞳の奥に鋼の強さを読みとると、徐々に押されていった。やがて視線を外して言った。


「いずれにしろ…明後日の返済日がどうなるか、楽しみにしていますよ」


 真奈美は静かに立ち上がると、挨拶もせず事務所を後にした。

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