第五篇

 ボンヤリと薄眼を開けて時計を見ると、正午になつてゐた。純は寢呆けた頭で、今日は鹿野苑でライブだつたな、と考へた。いつもより何となく怠い。携蔕を見ると、

「今日の衣裳はスーツで」

と石橋からラインが來てゐる。肌触りの良いベロア生地の黑いスーツは純の御氣に入りで、ポールスミス製である。ライブの時は頻繁に着てゐる。


「鹿野苑」といふライブハウスはクレイジーオニオンズが據點としてゐるライブハウスである。唐風の寺院のやうな建物は嘗ては中華料理店であつた名殘で、最寄驛からのアクセスは良くないものの人氣があるハコである。全國から演奏者や客が來る、といへば少し大袈裟かもしれないが。


 鹿野苑へ着くと、石橋はまだ來ておらず藤田は來てゐた。「チケット取り置き表」には來ると分かつてゐる客の名前を書ひておく。しかし、クレイジーオニオンズの客はいつも一人か二人くらいだ。今日はアケミといふ名が一つだけ書かれてゐる。

「アケミさん、來てくれるんだ」

「うん」

アケミは藤田と附き合つてゐる女の子で、頻繁に來てくれる。純は何となく申し譯無い氣持ちになる。

「ありがたいね。後で御禮を云つてをいてもらへるかな」

「純、餘り氣にしなくても大丈夫だよ。アケミのチケット代は僕が出してゐるから」

「そつかあ、あはは」


 石橋も來て全員が揃ひ、リハーサルを終へた後に取り置き表をスタッフに提出する。此れが毎囘苦痛を伴ふ。

「今囘も御客さん呼べないんだね」

スタッフは半ば呆れてゐる、といつた表情である。純はヘラヘラしながら云ひ譯をする。

「そもそも、我々は友達が少ないです。そして誰も僕らの演奏なんか興味無いんですよ。いや、此れは自分達の演奏を卑下して云つてゐるのではありませんがね、我々は自分達の演奏に自信と誇りを持つてをりますが…。

 例へば輕音部の聯中は本當の意味で音樂が好き、といふ譯ではないんですよ。少なくとも向上心が有れば、上手な人達の演奏を見に來やう、といふ氣の一つでも起きる筈ですよ。いや、上手な人達といふのは自分達のことではなくて、對バンの人達のことですが…。さうでなくても、知人がライブをすると聞ひたらせめて一度くらいは見にゆかうと思ふ筈ですよ。私は彼らに情報を與へてをりますし…。

 では何故聯中は來ないのか、説明しませう。一つ目の理由は我々が彼らに好かれてゐないからです。我々、特に私は普通とは違ひます。眞の意味での藝術家ですから、彼らのやうな卑俗な者達には理解の範疇を越へてゐるのでせう。二つ目の理由は彼らの忙しさと貧困です。我々もさうですが、彼らは學生です。平日の晝間は學校へゆき、放課後と休日はアルバイトをして僅かな食扶持を稼がなくてはなりません。そして其の稼ひだ金で友達と安酒に狂ふことが彼らの生き甲斐なのです。從つて、我々のライブに來る爲の時間も金も彼らには無いのです。(注 : 後述參照)」

既に何度となく説明された内容である。スタッフも本當は分かつてゐるのだ。


 そして夜になり、ライブが始まつた。對バンが呼んだ客で賑はつてきた。何個かのバンドが演奏し、會場はなかなかの盛り上がりである。

 そしてクレイジーオニオンズの演奏。大勢の客を前に、純は一生懸命唄つた。石橋も藤田も絶好調であつた。演奏をしながら、三人は今囘の出來に手應へを感じた。

 演奏が終はり、次のバンドと轉換する時、純は石橋と藤田と互ひに讃へ合つた。

「今日は上手くいつたな」

二人も滿足氣な表情である。純は最近で最も氣分が良かつた。


 全てのバンドの演奏が終はり、三人はスタッフに聲を掛けられた。

「クレイジーオニオンズは今日一番の出來だつたね。驚ひたよ」

御世辭か本心か分からないが、純は嬉しかつた。

「折角こんなに素晴らしい演奏をするのに、御客さんを呼べないのは勿體無いよね。次は澤山呼べるやうに、何か考へてみると良いと思ふよ」

「はい。頑張ります」

機嫌が良い三人は威勢良く返事をしたが、實際には難しいことだと純は感じた。幾ら知人達が忙しく貧困でも、彼らが本當にクレイジーオニオンズの演奏を聴きたいと思へば無理をしてでも來る筈だ。結局、關心を持たれてゐないのだ。三人が彼らと餘り仲良くないから。

 決して演奏は惡くない、ただ聴き手のレベルが低くて理解されないのだ、と純は思ひたかつた。(注 : 後述參照)



(注) 此の物語は著者の生活狀況とかなり似通つてゐる。然し、あくまでもフィクションである。從つて、主人公純の周圍の知人達に對する心情描冩は完全な創作であり、著者自身が友人達に對して此の樣な感情を抱くことは滅夛に無い。

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搖れる 大川澂雄 @sumio-okawa

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