第三篇

 純は久し振りに研究室へ顔を出した。純の住む寮は大學の構内に有るので、歩ひても五分程度しかかからない。然し、純は部屋から出ることが何よりの面倒なのである。では何故此の日に顔を出したかといふと、担當教員の三浦教授と打合せの豫定が有つたからだ。

「榊原君。試驗體が到着したから、實驗の準備をしておいてね」

 純は三浦教授に怒られたことがない。純は自分の素行や成績に大いなる不安を感じてゐたし、實際にゼミをサボタージュしたこともあつた。

 然し三浦教授は優し過ぎるのだ。三浦教授が餘りにも優しいので、純は教授の心中が讀めない。反對に怖ろしくさへ感じ、自分のすべき事はきちんとしなければならないと思ふやうになつた。


 研究室に戻ると、同期の富田が純に目配せした。煙草を吸ひにゆかうといふ誘ひである。二人で外へ出て、喫煙所へ行つた。

「最近研究が上手く進んでゐなくてさ…」

富田は煙草を吸ひながら愚痴を云ふことが夛い。

「此の間の設計課題が終はつてから、何となく氣持ちが乘らなくてね」

「そりやあ、君は設計をとても頑張つてゐたし、仕方がないことなんぢやないかな。ひと段落したところだし、少し氣樂にやつてみたら良いんぢやない」

「うん。實は其の設計課題、外部のコンペに出すことになつたんだ。學外でどれくらいの評價が貰へるか、樂しみでもあり不安でもある。此れと研究を並行してやらねばならん」

富田は純よりも學業に熱心で、成績も惡くないし一生懸命である。然しただの眞面目ではない。服裝は派手だし、髪を伸ばして結んである。樣々な分野に拘りが有りさうだ。

 そんな富田と何故自分は仲が良いのか、純は考へてみたことがある。普通なら、純のやうな怠惰な奴は輕蔑される。利口は利口同士、莫迦は莫迦同士でつるむ。

 確かに純は勉強を眞面目にやつてゐないが、其れは無能だからではなく、他にバンドや趣味に忙しいからだ。其の上で、純にも拘るところは夛く、其れがお互ひに面白いのだらう。そして、さういふことを富田は認めてくれてゐる。其のことを純も分かつてゐるからだ。

「今度、クレイジーオニオンズのライブはいつだい」

「來週の土曜日だよ」

「さうか。丁度、先生とエスキースをすることになつてゐる日だ」

「無理に來てくれなくても大丈夫さ。君は此の間も見てくれたぢやないか」

「だつて、純のライブ見たいんだもん」

純は少し照れ臭かつた。


 歸り道、學科の知人が女と並んで歩ひてゐるのを遠くから見附けた。二人は附き合つてゐるらしかつた。

「莫迦な奴め。あんな低レベルな男とイチヤイチヤしてゐるところを見ると、女も程が知れてゐるな。俺や純のやうな高尚で有能な男には目もくれないんだな」

と富田が云つた。餘計な御世話である。

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