第二篇

 山本典子は純の同期である。大學のバンドサークル、通稱「輕音部」で知り合つた。高校時代から少しギターを彈ひたゐたやうだが、そんなに上手くない。知識も乏しく、それ程やる氣は無かつたやうだ。明るい性格で、誰とでも話せる。酒を飲み、大勢でワイワイ騒ぐのが好きだ。所謂陽キヤだと皆思つてゐる。だが、彼女の心の奥底にある闇を純は感じてゐた。

 純は大學の友人から遊びの誘ひが來ることが滅夛に無いので、其れだけでも少し嬉しかつた。

「誰がゐるの」

と純は典子に聞ひた。

「えゝとね、今のところ決まつてゐるのはヨシヲと逹ちやんと瑠美ちやんだよ」

 ヨシヲもサークルの同期、上島逹哉(通稱逹ちやん)と加藤瑠美はサークルの後輩である。純は彼らを結構氣に入つてゐる。其れを典子は知つてゐるらしかつた。

「さうか。では僕も參りたい」

「良かつた。じやあ明日、よろしくね」


 純は典子達と待ち合はせた大衆居酒屋に行つた。純はわざと少し遅れて行くのが好きである。今囘も例に漏れず遅れて行つた。皆がゐた。然し、其の中に山形充がゐたことは想定外だつた。

 充は純が嫌いなサークルの同期の一人であつた。樂器はそこそこ上手いが、如何にも頭が惡い大學生といふ感があつて、兎に角五月蝿い。其れでゐて、大人しい人(さういふ人は彼からするとイケてないやうに見へるらしい)や自分よりも學校の成績が惡い人などを輕蔑してゐる。爽やかな大學生を氣取り、自分よりも程度が低い(と彼が感じてゐる)人を見下す態度が純には分かるのである。

 純は途端に歸りたくなつた。然し歸る譯にもゆかず、端の席に座つた。 充が語り出した。

「實は此の間、北海道に旅行に行つたんだ。箱館と札幌、三泊四日だつたんだけどさ。友人が良いホテルを豫約しておいてくれてさ。超豪華な料理が出て、アイスが食ひ放題でさ。初日は箱館山に登つて、綺麗な夜景を見に行つたんだ」

「へえ、良いなあ」

「札幌では有名な海鮮を食べたんだ。此の邉のものとはレベルが違つてさあ」

純は苛々してゐた。他人の旅行話など、聞ひても仕方ないではないか。純は黙つて煙草に火を附けた。

「良いねえ。私達も旅行に行きたいわね。純君、さう思はない?」

「うん…。まあ…。行けば樂しいかもね」

「純は旅行とか行かないのか?」

「まあ、バンドをやつてゐると時間も金も無いし…」

すると、充が驚ひたやうに、

「え、まだ君のバンドは續ひてゐるのか」

と云つた。

「うん、まあ、一應…」

白けた空氣が一帶を支配した。

「そつかあ」

と充は興味無ささうに云つた。

 其れから退窟な會話が續き、純は適當に相槌を打つて、其の儘解散となつた。純はサークルの連中と話が合ふことが無かつたし、彼らの程度の低い會話が退窟なのであつた。いつも、かういふ會合は純を不愉快にさせ、行く度に後悔するのである。(注:後述參照)


 歸路の道中、瑠美と一緒になつた。さういへば瑠美とちやんと話したことは無かつたな、と思つた。すると瑠美が云つた。

「純さんが作る曲、私とても好きなんです。だから、バンドは辭めないで欲しいんです。充さんや典子さんはああいふ風に云ふけど、氣にしないでやつて欲しいんです」

純は瑠美の意外な言葉に驚ひた。

「ありがたう。他に好きな事も無いから、當分續ける豫定だよ」

「良かつた。純さんがゐないクレイジーオニオンズなんか、有り得ないですもんね」

クレイジーオニオンズとは、純がやつてゐるバンド名である。

「じやあ、此の角を曲がるとまう家なので。おやすみなさい、純さん」

瑠美は歸つていつた。他人から褒められるのは珍しかつた。御世辭だと思ふが、少し嬉しかつた。


(注) 此の物語は著者の生活狀況とかなり似通つてゐる。然し、あくまでもフィクションである。從つて、主人公純の會合での心情描冩は完全な創作であり、著者自身が友人達との飲み會に於ひて此の樣な心理狀態になることは滅夛に無い。

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